この人生、なかなか大変だぁ

日々の人生雑感をつれづれに綴り、時に、人生を哲学していきます。

競馬場はゴミ捨て場か?

2022-09-22 15:12:20 | たかが競馬、されど競馬
「JRAの池添謙一さんは2022年9月19日、『皆さんに1つお願いがあります』とツイートし、2枚の写真を共有した。1枚はベンチの上にマークカードやスポーツ紙、紙コップが無造作に置かれたもの、もう1枚は馬券の自動発売機付近に馬券などが散乱しているものだった。
 池添さんは『前から気になってはいたけど最近よく目にします』と事情を伝え、『競馬場はゴミを捨てる場所じゃありません。自分のゴミはゴミ箱へ。当たり前のことです。普通のことです。来た時よりも美しく。よろしくお願いします』と要望した」

Jcastニュースにこんな記事が載っていた。
確かに、わたしが通っている頃の競馬場内はゴミだらけだった。外れ馬券やら読み捨てられたスポーツ新聞、食べ物のゴミや吸い殻などが散乱していた。
掃除係の人たちが毎レースごとにゴミを掃き集めていたが、次から次へと捨てていく。
最終レースが終わった後は、地見屋(と言ったと思う)が捨てられ外れ馬券を足でチャッチャッと散らしながら当たり馬券を探している。結構間違えて捨てる人がいるらしいのだ。

師匠とわたしが東京競馬場に行くときは、まず入り口付近の「ふんどし」と言われる出馬表を取ってスタンドに行き、座席に置く。席取りに使い、読むことはない。資料は競馬新聞がある。帰りにはそのまま捨て置いていたが、飲み物とかはパドックで飲んで屑籠に捨てたし、席に持ってくることはなかった。外れ馬券も屑籠に捨ててそのあたりにポイすることはなかった。
わたしたちはベンチの中の大谷翔平みたいにお利巧さんの部類だった。

昔は煙草のポイ捨ても当たり前だった。痰なども平気でそこらにペッペッ吐く人が多かった。
駅のホームの柱の傍の痰壺はいつも一杯だった。片付ける駅員さんはいい迷惑だったと思う。
立ち小便も多かった。これは今でも見かけるんじゃない?
常識と言うか、道徳は進化していくというか、変わっていくのだ。
もう、駅のホームに痰壺はなくなった。
たばこもそこらへんで自由に吸えなくなった。副流煙で吊るし上げられてしまう。
かつてヘビースモーカーだったわたしですら、くわえたばこで道をゆく人には目をひそめるし、道端で煙草を吸っている人のそばを通るときは息を止めている。
競馬場はまだ、切った張ったの極道者の棲みかなのだろうか?

道徳ではないが、昔今の話の流れで思い出したことである。わたしが小学校の4年生ぐらいの頃だから、60年前ぐらいか?
その頃トイレは溜め込みだった。汲み取りの業者はその頃馬車でまわっていた。
木製の四角い箱を馬が引いて、おやじさんが長いひしゃくのようなもので家々をまわって汲み取っていた。
悪童たちは馬車が通ると大げさに鼻をつまんでからかっていたが、それはお前たちの糞の匂いだろうと言ってやりたかった。
道には馬糞色(?)の馬糞が落ちていた。
子どもたちの間で馬糞を裸足で踏むと足が速くなるという伝説があったが、わたしは裸足でなく靴のまま一二度踏んでみた。
そのせいだろう、ずっとこれまでかけっこは速くない。

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