7月2日の朝、セミの声を聞いた。「あ、初セミだ」というと「昨日も鳴いていたよ」とカミさんが言う。7月に入って夏到来ということか?といっても連日30度越えでクーラー全開、すでに夏だった。
カミさんはセミの声は暑苦しくて嫌だと言う。わたしはセミの「シャンシャンシャン」という声は生命力に溢れていて気持ちがいい。
西洲(いりじま)で仕事をしている頃、泊高橋から曙に向かって那覇大橋をくぐると左側はハーリー競争の会場になる那覇新港があってその間に公園が続いている。そこは毎年セミが大量発生していて、突然大合唱に出合う。ずっと浴びていたいくらいだ。
さて、明日7月5日に都知事選挙がある。投票率はどうなるだろう?新型コロナで政治に関心を持っただろうか?
若者が選挙に行かないと言われて久しい。残念である。自慢しているようだが、わたしは20歳になって投票権を持って以来47年、この年まで一度も棄権したことがない。棄権をしないのは、投票しなくては政治に対して文句は言えないと思っているからである。
ただ、小選挙区になってから支持する候補者がいないときに白票を投じたことはあった。
中選挙区は選挙費用がかかり過ぎるということで小選挙区に変わったが、相変わらず金はかかっているようだし、なんといっても49%が死票になることが耐えられない。1票の格差も広がるばかりだ。
国民の意見は自民か非自民だけじゃない。もっと多様である。できるなら中選挙区に戻してほしい。
ちょっと横道に逸れたが、若者だけに限らず投票に行かないのはイメージ(想像)力の乏しさにあると思う。
芸能人や有名な候補者が出ないと誰に入れていいかわからないとか、誰に入れても一緒だからと言い訳をする。
間違ってもいいからじっくり選挙公報を読んで考えて欲しい。そして自分が投票した人が当選するかどうか結果に注目して欲しい。当選したら日々の活動を追うのだ。自分が育てたような気になる。それがまた次の選挙につながる。
中学・高校で普通選挙に至るまでの歴史は習っただろう。最初は多額納税者だけにしか投票権は与えられなかった。それから成人男子になり、婦人が参政権を得るまでには多大な時間がかかったのだ。
投票権は義務ではない。権利なのだ。若者たちはそこをわかっていない。
全国的にも終戦直後しばらく投票率は高かった。国を何とかしようという気持ちが強かったのだ。
沖縄では米軍統治下で今の知事にあたる主席は米軍のトップの高等弁務官による任命制だった。米軍統治に従順な政治家が選ばれていた。自主・独立を勝ち取る闘いは激しく、ずっと投票率は高かった。ところが、復帰して48年が経ち昨年の参議院選挙の投票率は49.0%で過去最低になった。(全国48.8%)
つらい数字だ。民意がここまで軽くなってしまっては、政治家が国民を舐めるはずだ。安倍の横暴はこの国民の無関心にある。何をやっても大丈夫と思わせている。このままでは日本の針路を過つだろう。
投票率を上げるためにひとつ提案がある。
国政選挙や地方選挙を連続して3回棄権したら投票権を没収するというものだ。まぁ、ちっとも応えない若者はいると思うが、彼らには未来永劫投票権は与えない。しかし、何か変化があって、例えば結婚して社会参加に目覚めたとか、こどもの将来に不安を憶えたとか、心を入れ替えた人には講習を受けてもらって投票権を与える。要らない人には絶対あげない。
寝たきりになって投票できない人も投票権はなくなる。おのずと投票率は上がっていくだろう。意識ある人たちのものになるのだから。それが民主主義ではないだろうか。
投票意志のない人に選挙ハガキを送る無駄な費用も削減できるからね。
カミさんはセミの声は暑苦しくて嫌だと言う。わたしはセミの「シャンシャンシャン」という声は生命力に溢れていて気持ちがいい。
西洲(いりじま)で仕事をしている頃、泊高橋から曙に向かって那覇大橋をくぐると左側はハーリー競争の会場になる那覇新港があってその間に公園が続いている。そこは毎年セミが大量発生していて、突然大合唱に出合う。ずっと浴びていたいくらいだ。
さて、明日7月5日に都知事選挙がある。投票率はどうなるだろう?新型コロナで政治に関心を持っただろうか?
若者が選挙に行かないと言われて久しい。残念である。自慢しているようだが、わたしは20歳になって投票権を持って以来47年、この年まで一度も棄権したことがない。棄権をしないのは、投票しなくては政治に対して文句は言えないと思っているからである。
ただ、小選挙区になってから支持する候補者がいないときに白票を投じたことはあった。
中選挙区は選挙費用がかかり過ぎるということで小選挙区に変わったが、相変わらず金はかかっているようだし、なんといっても49%が死票になることが耐えられない。1票の格差も広がるばかりだ。
国民の意見は自民か非自民だけじゃない。もっと多様である。できるなら中選挙区に戻してほしい。
ちょっと横道に逸れたが、若者だけに限らず投票に行かないのはイメージ(想像)力の乏しさにあると思う。
芸能人や有名な候補者が出ないと誰に入れていいかわからないとか、誰に入れても一緒だからと言い訳をする。
間違ってもいいからじっくり選挙公報を読んで考えて欲しい。そして自分が投票した人が当選するかどうか結果に注目して欲しい。当選したら日々の活動を追うのだ。自分が育てたような気になる。それがまた次の選挙につながる。
中学・高校で普通選挙に至るまでの歴史は習っただろう。最初は多額納税者だけにしか投票権は与えられなかった。それから成人男子になり、婦人が参政権を得るまでには多大な時間がかかったのだ。
投票権は義務ではない。権利なのだ。若者たちはそこをわかっていない。
全国的にも終戦直後しばらく投票率は高かった。国を何とかしようという気持ちが強かったのだ。
沖縄では米軍統治下で今の知事にあたる主席は米軍のトップの高等弁務官による任命制だった。米軍統治に従順な政治家が選ばれていた。自主・独立を勝ち取る闘いは激しく、ずっと投票率は高かった。ところが、復帰して48年が経ち昨年の参議院選挙の投票率は49.0%で過去最低になった。(全国48.8%)
つらい数字だ。民意がここまで軽くなってしまっては、政治家が国民を舐めるはずだ。安倍の横暴はこの国民の無関心にある。何をやっても大丈夫と思わせている。このままでは日本の針路を過つだろう。
投票率を上げるためにひとつ提案がある。
国政選挙や地方選挙を連続して3回棄権したら投票権を没収するというものだ。まぁ、ちっとも応えない若者はいると思うが、彼らには未来永劫投票権は与えない。しかし、何か変化があって、例えば結婚して社会参加に目覚めたとか、こどもの将来に不安を憶えたとか、心を入れ替えた人には講習を受けてもらって投票権を与える。要らない人には絶対あげない。
寝たきりになって投票できない人も投票権はなくなる。おのずと投票率は上がっていくだろう。意識ある人たちのものになるのだから。それが民主主義ではないだろうか。
投票意志のない人に選挙ハガキを送る無駄な費用も削減できるからね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます