「イノダコーヒ」が株式譲渡と言う記事が出ていた。
「1940年の創業で、京都を中心に9店舗を展開。レトロな雰囲気が観光客にも人気で、俳優の高倉健氏ら著名人にも愛された」とある。
高田渡の「コーヒーブルース」という歌で、「三条へ行かなくっちゃ。三条堺町のイノダってコーヒー屋へね。あの娘に会いに、なに好きなコーヒーを少しばかり・・・」というどうでもいい歌をなぜか好きでよく歌っていた。
そんな頃、どういう経緯かよく覚えていないが、おそらくチェリッシュの「なのにあなたは京都へ行くの」という歌にそそられたのかも知れない。
付き合い始めたカミさんと京都旅行に行くことになった。婚前旅行である♪
京都には同志社大学に通うシンシンという友人がいたので会う約束もした。
京都駅に着いた初日。イノダのコーヒー屋へ向かった。
地図を頼りに三条河原町を目指した。四条通りとかはすぐにわかったが、烏丸通りはいいが三条通りが探せなかったり、今でも京都の町はちんぷんかんぷんだが、迷った。スーツケースをもってあっちでもない、こっちでもないと小一時間歩いたろうか?
付き合い始めのカミさんもさすがに「いったいどこにあるのよ!」と切れた。
苦労した割にみつかったイノダのコーヒー屋はなんの変哲もないコーヒー屋だった。
黄色の、まぁその頃で言えばモダンな造りの喫茶店だった。
拍子抜けしたが、一応コーヒーを飲んですぐ、京極に向かった。
その晩泊る「福ます屋旅館」を見つけることが先決だったのだ。見つからなかったら野宿しなくてはいけない。幸い、すぐではなかったが、旅館は見つかって入ると、80ぐらい(と思われる)おばあさんが出て来た。
傾(かし)いだ階段を上がって案内された2階の部屋に行くと、窓に向かって傾(かたむ)いている。「朝起きた時には窓のところに転がっているね」と冗談を言えるくらいになっていた。
シンシンに連絡するために「電話を貸してください」と頼むと、もうひとりのおばあさんが出てきて、目覚まし時計を持って電話のそばの階段に座った。どうもそれで時間を測るようだ。
何もかもがレトロだった。
きっと芸者上がりのふたりなのだろう。同じ年季明けで旅館でもしようかと意気投合したのだろうか?
いや、やっぱり大好きなネエさんと一緒にいたいと、始めた旅館なのかもしれない。うん、そっちの方だと思う。
朝起きた時は無事布団の中にいた。朝食も部屋まで運んで頂いたが、鮭や海苔のあたりまえの和朝食だったがおいしかった。
今思い返してみたら、造りは置屋のようだった。
老妓ふたりは「女と味噌汁」のてまり(池内淳子)と小桃(長山藍子)のなれの果て(失礼)だったのかもしれない。
若い人は知らないだろうが・・・。
その時は「もう来ないだろうね」と言ったが、今ではもう一度訪ねたい思いが募って懐かしい。
もうないけど・・・。
「1940年の創業で、京都を中心に9店舗を展開。レトロな雰囲気が観光客にも人気で、俳優の高倉健氏ら著名人にも愛された」とある。
高田渡の「コーヒーブルース」という歌で、「三条へ行かなくっちゃ。三条堺町のイノダってコーヒー屋へね。あの娘に会いに、なに好きなコーヒーを少しばかり・・・」というどうでもいい歌をなぜか好きでよく歌っていた。
そんな頃、どういう経緯かよく覚えていないが、おそらくチェリッシュの「なのにあなたは京都へ行くの」という歌にそそられたのかも知れない。
付き合い始めたカミさんと京都旅行に行くことになった。婚前旅行である♪
京都には同志社大学に通うシンシンという友人がいたので会う約束もした。
京都駅に着いた初日。イノダのコーヒー屋へ向かった。
地図を頼りに三条河原町を目指した。四条通りとかはすぐにわかったが、烏丸通りはいいが三条通りが探せなかったり、今でも京都の町はちんぷんかんぷんだが、迷った。スーツケースをもってあっちでもない、こっちでもないと小一時間歩いたろうか?
付き合い始めのカミさんもさすがに「いったいどこにあるのよ!」と切れた。
苦労した割にみつかったイノダのコーヒー屋はなんの変哲もないコーヒー屋だった。
黄色の、まぁその頃で言えばモダンな造りの喫茶店だった。
拍子抜けしたが、一応コーヒーを飲んですぐ、京極に向かった。
その晩泊る「福ます屋旅館」を見つけることが先決だったのだ。見つからなかったら野宿しなくてはいけない。幸い、すぐではなかったが、旅館は見つかって入ると、80ぐらい(と思われる)おばあさんが出て来た。
傾(かし)いだ階段を上がって案内された2階の部屋に行くと、窓に向かって傾(かたむ)いている。「朝起きた時には窓のところに転がっているね」と冗談を言えるくらいになっていた。
シンシンに連絡するために「電話を貸してください」と頼むと、もうひとりのおばあさんが出てきて、目覚まし時計を持って電話のそばの階段に座った。どうもそれで時間を測るようだ。
何もかもがレトロだった。
きっと芸者上がりのふたりなのだろう。同じ年季明けで旅館でもしようかと意気投合したのだろうか?
いや、やっぱり大好きなネエさんと一緒にいたいと、始めた旅館なのかもしれない。うん、そっちの方だと思う。
朝起きた時は無事布団の中にいた。朝食も部屋まで運んで頂いたが、鮭や海苔のあたりまえの和朝食だったがおいしかった。
今思い返してみたら、造りは置屋のようだった。
老妓ふたりは「女と味噌汁」のてまり(池内淳子)と小桃(長山藍子)のなれの果て(失礼)だったのかもしれない。
若い人は知らないだろうが・・・。
その時は「もう来ないだろうね」と言ったが、今ではもう一度訪ねたい思いが募って懐かしい。
もうないけど・・・。
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