≪中村真一郎の『文章読本』≫
(2021年5月22日投稿)
今回のブログでは、中村真一郎の『文章読本』について、簡潔に紹介しておく。
【中村真一郎の『文章読本』はこちらから】
文章読本(新潮文庫)
さて、今回の執筆項目は次のようになる。
知性派作家の中村真一郎の『文章読本』の内容は、自らその「あとがき」で述べているように、「近代百年の口語文の歴史のあとを、洗い直す」といったものである。もともと雑誌『ミセス』に、1974年から1ヵ年間、連載することによってできたものであるという。だから、一般の人たちが文章を書く時の道しるべであると同時に、近代日本の文章の変遷の歴史を述べた本となっている。竹西寛子が解説で記しているように、「明快な近代日本文学史を通読したような気分になった」のも、うなづける(中村真一郎『文章読本』新潮文庫、1982年、213頁~217頁)。
ただ、竹西も釘をさしているように、いくら『文章読本』を読んだとしても、必ずしもよい文章が書けるものでもない。すなわち、竹西は次のような解説を述べている。
「文章読本とか小説作法の類に、文章を書く上での手軽な実用性を求めるのは、多分、求めるほうが間違っている。そういう態度で接する限り、すぐれた文章読本にも大方失望させられるだろう。よい文章は、そんなに手軽に、都合よく、頭だけで書けるものではない」と。(中村、1982年、217頁)
日本で口語文が成立するまでは、紆余曲折があったことを中村真一郎は述べている。そもそも日本人は、「調子好き」なところがあった。それは民衆が読書ではなく語り物を聴くという習慣に慣らされていたせいだといわれる。だから小説も、近代のはじめは文章が踊りがちであった。新しい口語文は人工的に作る新しい文体であったから、たどたどしくなることを免れなかった。
そこで、読者の好みに敏感な作家は、より調子のいい文語文を混ぜながら、文章を書いた。有名な尾崎紅葉の『金色夜叉』が当時、ベスト・セラーになった秘密のひとつは、その地の文が調子のいい文語体であったからだといわれている。
新しい口語文は、読者に慣れさせるという努力をしながら、形成されていったのである。つまり、口語文の成立の歴史は、その文章の中から、踊るような調子を排除していった歴史であると中村真一郎は理解している(中村、1982年、37頁~38頁)。
『源氏物語』には主語なく、即自的の私であって、対自的な私になっていないといわれる。
「自然な無意識な私というもの」があるだけで、他人と区別して自分を自覚するという傾向が、日本人には乏しかったこと、つまり、日本という国では、自分に対立する他人というものを鋭く意識することが少ない。
言葉が論理的になるということは、まず主体である私を対自的に自覚する、ということから出発すると中村は説く。そして日本人の精神の近代的な構造を、口語文で明晰に表現することに成功したのが、鷗外と漱石であったと理解している(中村、1982年、94頁~99頁)。
(2021年5月22日投稿)
【はじめに】
今回のブログでは、中村真一郎の『文章読本』について、簡潔に紹介しておく。
【中村真一郎の『文章読本』はこちらから】
文章読本(新潮文庫)
さて、今回の執筆項目は次のようになる。
・中村真一郎の『文章読本』について
・日本の口語文の歴史について
・日本語の本質について
中村真一郎の『文章読本』について
知性派作家の中村真一郎の『文章読本』の内容は、自らその「あとがき」で述べているように、「近代百年の口語文の歴史のあとを、洗い直す」といったものである。もともと雑誌『ミセス』に、1974年から1ヵ年間、連載することによってできたものであるという。だから、一般の人たちが文章を書く時の道しるべであると同時に、近代日本の文章の変遷の歴史を述べた本となっている。竹西寛子が解説で記しているように、「明快な近代日本文学史を通読したような気分になった」のも、うなづける(中村真一郎『文章読本』新潮文庫、1982年、213頁~217頁)。
ただ、竹西も釘をさしているように、いくら『文章読本』を読んだとしても、必ずしもよい文章が書けるものでもない。すなわち、竹西は次のような解説を述べている。
「文章読本とか小説作法の類に、文章を書く上での手軽な実用性を求めるのは、多分、求めるほうが間違っている。そういう態度で接する限り、すぐれた文章読本にも大方失望させられるだろう。よい文章は、そんなに手軽に、都合よく、頭だけで書けるものではない」と。(中村、1982年、217頁)
日本の口語文の歴史について
日本で口語文が成立するまでは、紆余曲折があったことを中村真一郎は述べている。そもそも日本人は、「調子好き」なところがあった。それは民衆が読書ではなく語り物を聴くという習慣に慣らされていたせいだといわれる。だから小説も、近代のはじめは文章が踊りがちであった。新しい口語文は人工的に作る新しい文体であったから、たどたどしくなることを免れなかった。
そこで、読者の好みに敏感な作家は、より調子のいい文語文を混ぜながら、文章を書いた。有名な尾崎紅葉の『金色夜叉』が当時、ベスト・セラーになった秘密のひとつは、その地の文が調子のいい文語体であったからだといわれている。
新しい口語文は、読者に慣れさせるという努力をしながら、形成されていったのである。つまり、口語文の成立の歴史は、その文章の中から、踊るような調子を排除していった歴史であると中村真一郎は理解している(中村、1982年、37頁~38頁)。
日本語の本質について
『源氏物語』には主語なく、即自的の私であって、対自的な私になっていないといわれる。
「自然な無意識な私というもの」があるだけで、他人と区別して自分を自覚するという傾向が、日本人には乏しかったこと、つまり、日本という国では、自分に対立する他人というものを鋭く意識することが少ない。
言葉が論理的になるということは、まず主体である私を対自的に自覚する、ということから出発すると中村は説く。そして日本人の精神の近代的な構造を、口語文で明晰に表現することに成功したのが、鷗外と漱石であったと理解している(中村、1982年、94頁~99頁)。
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