≪囲碁の手筋~白江治彦氏の場合≫
(2025年2月9日投稿)
今回も引き続き、囲碁の手筋について、次の著作を参考にして考えてみたい。
〇白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年
著者の白江治彦氏は、プロフィールにもあるように、NHKの囲碁講座講師などを務め、囲碁の普及に尽くされたプロ棋士である。その普及は、国際的なものであったらしく、
昭和51年豪州などに囲碁指導され、平成3年パリで102面打ち、平成8年仙台で165面打ち、多面打ち(100面以上)は出版当時、10回で世界記録更新中だったそうだ。
本書では、ツケに始まり、ツケコシ、ツケ切り、ホウリコミ、捨て石など手筋について要領よく解説しておられる。
そして、【コラム】においては、「置碁での手筋・形」「天元対局」が特に面白かった。
「置碁での手筋・形」においては、世襲制最後の本因坊である秀哉と木谷実七段(当時)の有名な引退碁を、「名人」という小説に著した川端康成さんが、大の囲碁ファンであったことに触れている。加えて、棋譜として残っている岩本薫元本因坊との六子局は、なかなかの出来ばえであるようで、川端さんの布石で随所に出てくる手筋をごらんいただこうというのである。
(白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年、50頁~52頁)
また、【コラム】「天元対局」においては、工藤紀夫天元 対 依田紀基碁聖のテレビ早碁対局を紹介されている。依田プロが工藤天元のタイトルに敬意?を表して、初手を黒1と天元打ちした話題局であった。
(白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年、53頁~54頁)
さて、白江治彦氏が川端康成の小説『名人』について触れているので、私もこの小説についても言及している川嶋至氏の次の著作を読んでみた。
〇川嶋至『川端康成の世界』講談社、1969年[1973年版]
川嶋至(1935-2001)氏は、学者にして、文芸評論家で、川端康成の研究家として知られている。川端康成の元恋人の伊藤初代の実体をいち早く究明した研究者として注目された。
本書の詳しい紹介は後日にするとして、さしあたり「第六章 現実からの飛翔―「雪国」と「名人」」から、小説『名人』に関する言及について、簡単に紹介しておく。
〇【補足】川端康成と小説『名人』~川嶋至氏の著作より
【白江治彦『手筋・ヘボ筋』(日本放送出版協会)はこちらから】
【白江治彦氏のプロフィール】
・昭和13年生まれ、石川県小松市。
・昭和31年大窪一玄九段に入門。昭和32年入段、昭和34年二段、昭和35年三段、昭和42年四段、昭和45年五段、昭和51年六段、昭和59年七段。
・昭和51年豪州などに囲碁指導。テレビ司会、解説で活躍。
・昭和62年テレビ囲碁番組制作者会賞、平成3年日本囲碁ジャーナリストクラブ賞受賞。
・平成2年銀座で101面打ち、平成3年パリで102面打ち、平成8年仙台で165面打ち、多面打ち(100面以上)は現在までに10回で世界記録更新中。
・昭和52年、平成3年、平成9年とNHKの囲碁講座講師。
・平成8年度普及功労賞。
さて、今回の執筆項目は次のようになる。
・一局は平均250手ほどかかる。
正しい着手もあれば凡手もある。
正しい着手は手筋、凡手はヘボ筋である
(ヘボ筋は俗筋ともいい、はたらきの少ない着手のことである。イモ筋、筋違い、無筋とも言われる)
・手筋の中でも接近戦にそなえるものを「形」といい、石がぶつかり合えば「筋」となる。
※故瀬越憲作九段は、筋と形の違いを「筋は攻撃、形は守りの正しい打ち方を指す」と表現した。
(ただ、サバキやシノギの手筋など、攻撃より防御の雰囲気のものもあり、いちがいにいえない部分もあるが、わかりやすい区別である)
〇ところで、接近戦でもっとも効果の高い着手である手筋の効用は、多目的ホールのようなもので、何にでも使われるすぐれものであると、白江氏はいう。
・攻め合い、死活、遮断、連絡、封じ込め、封じ込め回避、荒らし、シボリ、愚形に導きコリ形にさせる。
・また、オイオトシ、ウッテガエシ、ゆるみシチョウなど捨て石を駆使した華麗な展開も可能。
(捨て石を使った手筋は、相手地の中への元手なしのもの、リスクなしで攻め合いに勝ったり、地の得をはかったりするものも多くある)
・しかし、手筋のそばには多くのヘボ筋があり、注意が必要。
(ヘボ筋とは、満点のはたらきをしていない減点着手、さらに打たない方が良いマイナス着手まである)
ヘボ筋の罪は、攻め合いに負け、死活に失敗、ヨセの損など序盤戦から終盤戦まで延々と続く。
※本書では、それぞれの形で、手筋とヘボ筋の違いを鮮明にあらわしたという。
(白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年、2頁~3頁)
3・ツケ切り(サバキや消し)
〇ツケ切りは、ツケと切りのあわせわざ
⇒先にツケ、相手のオサエに切り込む手筋
・とくにサバキや消しに、華麗なはたらきを見せてくれる。
おおむね相手陣内でのサバキで、本来かなり不利な結果になるところを、五分五分に近い分かれに持っていく手筋である。
【基本図:定石進行】
〇大ゲイマガカリ定石のはじまりである
・三角印の白(12, 三)のハサミに、黒1とツケ、3と切るのが、ツケ切りの手筋
【1図:定石】
・黒1のツケ切りの手筋に対し、白1、3はアタリ、アタリのヘボ筋進行であるが、この手筋の効果を上げた証拠でもある。
【2図:変化】
・白は基本図のツケ切りを嫌い、白1、3と変化するのは、黒2、4と素直に応じて良い。
・白5と封鎖しても右辺はガラ空で、単なる厚みに過ぎない。
(白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年、46頁)
4・切り(効果は多岐多様)
・切りは文字通り、相手の石を切断すること。
・その効果は多岐にわたり、攻め、サバキ、シノギ、ヨセ、死活などなど多様。
・また、ツケ切り、切り込み、切り違いなど、他の手筋との合わせわざでの使い方もある。
・ただ、切りを入れた瞬間から戦いが始まるわけであるから、ある程度先見する必要がある。
【基本図】(根元切り)
・一間高ガカリ定石の進行中であるが、黒1の切りは絶対の一手。
※黒の形を根元から切る強烈な攻めで、白の中央進出を防ぎ、戦いの主導権を握る。
【1図】(白無理)
・白1と押さえ込むのは、黒4のコスミの手筋で、白ツブレ。
【2図】(定石進行)
・白は1と下からアテるよりなく、黒6まで進行。
・しかし、このままでは黒に制空権を取られるだけの一方的進行、白7からの逆襲開始は当然。
【3図】(お返し)
・白1とお返しの切りで、戦端を開く。
【4図】(定石)
・黒1以下、隅で生きをはかったとき、白8のカケから主導権奪回に動き出す。
【5図】(続き)
・黒1以下、互いに手筋を打ち合っての進行。
【6図】(中央の争い)
・黒1のノビから以後延々と中央の戦いが続くことになる。
※「碁は断にあり」と喝破したのは、故細川千仞九段であるが、地の囲い合いに終始するだけでは妙味に欠ける。
切りの手筋を駆使しての戦いは、囲碁の醍醐味のひとつだろう。
(白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年、55頁~56頁)
<メモ>
〇細川千仞(1899-1974)九段
日本棋院関西総本部の重鎮として活躍。「コウの細川」とも呼ばれ、乱戦の雄として知られる。
門下に石井邦生九段、佐藤直男九段など、孫弟子に結城聡九段、山田規三生九段、坂井秀至八段、井山裕太九段がいる。
〇ホウリコミは、「放り込み」である。
・すぐにアタリになる自殺手であるが、相手のダメを詰める極上の手筋
⇒とくに攻め合いの手数短縮や、死活に大きな威力を発揮
・わずかの捨て石を放つことによって、大きな戦果を挙げる気分の良い手筋
・相手地の目減りをねらうヨセにも使える
・また、ホウリコミそのものには、取られても損はなく、捨て石作戦の練習にも、うってつけ
【1図:基本手筋】
・黒3取り返す1の所
・黒1がホウリコミの基本形
・白2と取れば、黒3と取り返す手筋
【2図:取り跡】
・わずか一子の捨て石で大きな戦果を上げることができる
【3図:応用問題】
・基本手筋の応用、3手のヨミで
【4図:ダメヅマリ】
・黒1と出て、白をダメヅマリにして、黒3のホウリコミでしとめる
【5図:合わせわざ~ツケコシとホウリコミ】
・焦点のはっきりしない白の形をダメヅマリに導くためには、黒1のツケコシの手筋との合わせわざから入る。
・白2に、黒3の切り。
【6図:オイオトシ】
・続いて、黒1のホウリコミから黒3でオイオトシに。
【7図:連続ホウリコミ~ホウリコミ+ホウリコミ】
☆ホウリコミの連続手筋である
・まず黒1が最初のホウリコミ、白2のとき黒3とアタリ
⇒白をダメヅマリに追い込む
【8図:決め手のホウリコミ】
・白1のツギに、黒2が決め手のホウリコミ
(白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年、85頁~86頁)
【10 ワタリ(1線から3、4線での連絡)】
・ワタリは「渡り」で、自石同士の連絡のことである。
ワタリは、地の増減にとどまらず、死活やヨセにも大きな影響がある。
・ワタリは、1線から3、4線での連絡をいうが、ワタリの完成によって地の増のみならず、相手からの攻撃をかわす利点もある。
・俗格言に「ワタリ八目」というのがあるが、8目の得があるということでなく、大きな意味の八の字を当てることで、効果を強調したものである。
(白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年、110頁)
【問題図(黒番)】
・黒▲のサガリを活用して、隅の二子との連絡は?
【1図】(ヘボ筋)
・黒1は、左右の真ん中付近でバランスのように見えるが、白2、4のツケ二発で連絡不能に。
【正解図】(トビ)
・黒1のトビが落ちついた手筋。
【2図】(切断不能)
・白1、3とねらっても、ドッキング成功。
【3図】(連絡完成跡)
・もう白から何の手段も残っていない。
(白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年、111頁)
【問題図(黒番)】
・白1と目取りにきたところ。
ダメヅマリ状態であるが、連絡の手筋あり。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/33/a030e759e8abdba40f71265f8b696b5a.png)
【1図】(ダメヅマリ)
・黒1で連絡できそうに見えるが、白4でダメヅマリとなり、黒はaに切ることができない。
【正解図】(ハネ)
・黒1のハネが手筋で、連絡できる。
【2図】(コウにあらず)
・白1、3には黒2、4のヌキでコウにあらず。
【3図】(連絡跡)
・2図を確かめた図。
(白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年、113頁)
【問題図(黒番)】
・白△に惑わされず、左右を連絡するには?
【1図】(問題図までの定石進行)
・白△に黒7まで進行、白8の封鎖で問題図に。
【2図】(一見筋風)
・黒1のアテは手筋のように見えるが、白2から6までで、コウで抵抗される。
【正解図】(ケイマ)
・黒1のケイマが手筋。
【3図】(別定石)
・白が正解図を嫌えば、白1、黒2の定石進行あり。
(白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年、115頁)
【問題図(黒番)】
・左右の黒の連絡手筋は?
【1図】(切断)
・すぐに黒1とオサエるのは、白2のワリ込みで破ける。
・黒3と強引に取るのは、白6まで黒四子が落ちる。
【2図】(弱い)
・黒1のトビでは、隅は安泰だが、左が弱体に。
【正解図】(ケイマ)
・黒1のケイマで連絡可。
【3図】(大丈夫)
・白1以下の画策には、黒6までで心配なし。
(白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年、126頁)
【参考図】(世界棋戦の実戦進行)
・黒1のケイマで左右が連絡。
上辺は黒地化。白は厚味を背景にaと構え、消し囲いの難解な中盤戦に突入。
結果は黒半目勝ち。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/95/1120c2fae15d97ff506fbafebd11241f.png)
【1図】(参考図までの手順)
・黒1の打ち込みに、白2とサガリ、黒3とフリカワリ策に。
【2図】(体力をつけて)
・黒1、3のハネツギで体力をつけ、黒5で連絡という進行。
(白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年、127頁)
〇捨て石作戦は、囲碁の醍醐味の一つ。
主な捨て石作戦は、
①手数を詰める
②カケメにする
③シボリ作戦
A二子にして捨てる
B石塔シボリ
Cグルグル回し
D締めつけ
Eその他
(白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年、163頁)
手数を詰める
【1図】(手数を詰める)
・黒1の捨て石が攻め合いに勝つ唯一の手筋。
【3図】(捨て石を増やして)
・詰碁には捨て石が似合う。
すでにつかまっている黒石をさらに増やして、黒1の捨て石が白をカケメにする手筋。
〇石を捨てるのが嫌いな向きも多く、まずは捨て石に慣れる訓練をすることが大切であるという。
【5図】(黒番)~12目の死活問題
☆黒先で手段ありや、なしやと、3段レベル約50名に出題したことがあるという。
正解は手段なしである。
だが、応手が結構難しいようで、セキやコウになるケースがかなり出た。
〇このような白の地とおぼしき形の中に打ち込んで見るのは、捨て石の練習をする絶好の機会だという。
手があるかどうかは不明でも損はなく、また手筋発見の訓練にもなり、一石二鳥である。
【6図】(打ち込み)
・黒1の打ち込みに、白はそれなりに悩む。
【7図】(セキ)
・白3は誤った応手。
・黒2~8まででセキになってしまう。
【8図】(セキかコウ)
・前図の変化で、白1も悪手で、黒4までコウ。
※白3で4は、黒aでセキ。
【9図】(手なし)
・白1が正しい応手で、黒に手段はない。
※しかし、これによって、白地が増えたわけではない。
黒は三子を捨て(取られ)たが、白地も3目減で損得なし。
【10図】(問題2)
・黒1と来るとどうするか?
【11図】(手なし)
・これも1、3で手なし。
(白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年、161頁~163頁)
【問題図(黒番)】
・定石変化のひとつ。
・黒のシボリ作戦の初手は?
【1図】(一間高ガカリ定石の変化)
・黒6の切りに白7のアテからの変化はハメ手風。
【2図】(ヘボ筋)
・黒1、3と決めてしまっては白4で隅を取られ損で、黒は浮き石のまま。
【3図】(イマイチ)
・黒1のコスミツケは考えた手であるが、イマイチ。
【4図】(実利の損)
・黒1では実利の損が大。
【正解図】(切り)
・黒1の切りから進めるのが手筋。
【5図】(大勢に暗い)
・折角、黒▲の手筋の切りを打ちながら、白1の逃げ出しに、黒2と隅を生きるのは大勢に暗い発想。
【6図】(先手突き抜き)
・白△には黒1、3のアテを決めて、黒5が名調子。
・白6は省けない。
【7図】(隅に手段)
・前図の白6に手抜きするのは、黒1から手段。
【8図】(コウ)
・黒1、3でコウに。
(白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年、187頁~188頁)
【問題図(黒番)】
・二間高バサミ定石の進行中。
・捨て石のシボリ作戦駆使のすばらしい大局判断がある。
【1図】(問題図までの進行)
・二間高バサミから黒4、6と戦端開始。
【2図】(続き)
・続いて、白1のカケに黒2の捨て石の手筋。
【3図】(打ち過ぎ)
・黒1、3と両方を助けるのは無理。
【4図】(もったいない)
・黒1、3と上方を捨てるのは、もったいない。
【正解図】(カケ)
・黒1のカケが白の動きを制限し、シボリを完璧にするグッドセンスの手筋。
【5図】(自殺行為)
・白1とケンカを売るのは自殺行為で、黒6までシチョウに。
【6図】(シボリ開始)
・白は単に1と出るよりなく、黒は2、4とシボリ作戦開始。
【7図】(シボリ完了)
・黒4まで二子の捨て石で大シボリ。
【8図】(ケイマツギ)
・黒1のおしゃれなケイマツギで手厚い外勢。
(白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年、189頁~190頁)
「コラム 置碁での手筋・形」
【川端康成の置碁】
昭和十年代(1940年代)世襲制最後の本因坊である秀哉と木谷実七段(当時)の有名な引退碁を、「名人」という小説に著した川端康成さんは、もちろん大の囲碁ファンであった。
多くのプロ棋士との対局があったと思われるが、棋譜として残っている岩本薫元本因坊との六子局は、なかなかの出来ばえであるようだ。
した手、川端さんの布石で随所に出てくる手筋をごらんいただこうと、白江氏はいう。
川端康成の置碁
岩本薫元本因坊との六子局
【川端康成と岩本薫との六子局】
【第1譜】(六子局)
・白5のボウシは、うわ手の常套手段であるが、黒6の肩ツキは、攻めと中央進出を兼ねた手筋。
・次の白9、11のツケのサバキに、黒12はなんでもないようであるが、正しい手筋の受け。
・それは、白13という車の後押しを強要させる効果があり、黒16まで悠々と中央に進出、黒上々の出だし。
※ところで、当時は、川端さんの他にも囲碁好きの作家は多く、皆さんかなりのレベルで、
本因坊戦などタイトル戦の観戦記執筆が花盛りであったが、ときおり術語を間違えるのが、ご愛嬌だったという。
【第2譜】(整形と攻めのコスミ)
・白1のトビに、黒2のコスミはなんでもないようだが、整形の手筋。
※連絡を確かめながら、白の連絡は許さんという強い態度でもある。
・上辺に移って、白5のヒラキに、黒6もすばらしい反応、隅の確保と白二子への攻めと一石二鳥。
※実戦では、aと追随しがち。
【第3譜】(ケイマであおる)
・白3、5のくすぐりに、黒6のケイマのあおりも大賛成の攻め、ここまで黒絶好調。
【第4譜】(サバキのツケ)
※ここでようやく岩本プロが、術を使いはじめる。
・白1のツケがそれで、サバキの手筋のひとつ。
・黒2はその術にまんまとかけられ、黒8まで利かされてしまった。
※黒2では、単に4が正解。
サバくときツケよという格言があるが、その見本のひとつ。
応用範囲広く、ぜひ覚えてほしいという。
【第5譜】(ようやく置碁らしく)
・白1と中央に進出し、白7、9でようやく置碁らしい局面になってきた。
しかし黒勝利。
【第6譜】(1~51まで)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/3a/dc80881c6bcbebe492262abb93dc105b.png)
(白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年、50頁~52頁)
「コラム 天元対局」
【天元対局】
工藤紀夫天元 対 依田紀基碁聖のテレビ早碁対局
【第1譜】(初手天元)
・依田プロが工藤天元のタイトルに敬意?を表して、初手を黒1と天元打ちした話題局。
・これには工藤プロの多少驚いたと思うが、棋士は何局かの天元対局を経験している。
・その天元に対する白の手筋は、簡単にいえば、そのはたらきを減らすようにすることであるが、言うは易くて中々ムズ(難)。
(しかし、それは黒も同じことで、地に結びつきにくい天元は甘くなる可能性は大)
・白2に黒3と積極的なカカリは、天元との連携プレーの意味があり、早い時期の戦いを意識。
・黒5以下、珍しい進行となったが、お互いに天元の存在を視野に入れての応酬で興味津々。
・黒17と押しと黒19と天元で大三角形の形成。
・黒21、23のさらなる拡大に、白24のハサミ一本から白26と単騎突入、荒しの頃合だろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/93/8655744c5bc540f838e04b111b1155d6.png)
【第2譜】(技あり)
・その後数十手進んだ局面、上辺のシノギの見極めがついた白は、左辺白1のツケから手段、白3が連係の手筋で白11までかなりの稼ぎで白技あり。
※地合では黒も大変、天元打ちの難しいところ。
【第3譜】(大技あり)
・さらに進んで中央を生きる前に、白1のノゾキを利かそうとした瞬間、黒2のワリ込みが強烈な手筋で、白はシビれた。
・黒6で五子が落ち、一挙に形勢が傾き、数手後投了。
(白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年、53頁~54頁)
最近、川端康成の小説『名人』を調べるにあたり、川嶋至氏の次の著作を読んでみた。
〇川嶋至『川端康成の世界』講談社、1969年[1973年版]
川嶋至(1935-2001)氏は、学者にして、文芸評論家で、川端康成の研究家として知られている。川端康成の元恋人の伊藤初代の実体をいち早く究明した研究者として注目された。
本書の紹介は後日にするとして、さしあたり「第六章 現実からの飛翔―「雪国」と「名人」から、小説『名人』に関する言及について、簡単に紹介しておく。
●「名人」の生いたちについて
<第一章 なまけものの文学>
・こうした傾向(川端の作品に、未完、中絶の多い傾向)は、この時期だけのものではなく、たとえば「雪国」は、昭和十年から十二年までの三年間に、断続的に種々の雑誌に書きつがれ、創元社版「雪国」で完結したかに思われたのが実は未完で、十年後にまた書きつがれ、結局完成までに十三年の歳月を要するという生いたちを持っている。
・「名人」にしても、戦前戦後にまたがる改稿がみられるし、敗戦後の諸作にしたところで、「千羽鶴」「山の音」など、多くは「雪国」同様の発表形式をとっている。むしろ、氏の作品には、順当な手続きを経て完成したものはほとんどないと言ったほうが、わかりがはやいであろう。
(川嶋至『川端康成の世界』講談社、1969年[1973年版]、15頁)
<第六章 現実からの飛翔―「雪国」と「名人」>
・「雪国」は、完成までに十数年の歳月が費やされたが、「名人」も「雪国」に遅れること数年で、やはり完成に十数年の日月を要している。
作中にも明らかなように、「名人」は、東京日日新聞社主催の本因坊秀哉名人引退碁の観戦記をもとに書かれたもので、小説化の意図は、観戦記執筆中にすでに生まれていた。
・引退碁は昭和十三年六月にはじまり、秀哉名人の病気で約三箇月の中断があって、同年十二月に終った。それから約一年後、秀哉名人は持病の心臓病で世を去った。
・この素材がはじめて小説化されたのが昭和十七年の初稿「名人」で、以後敗戦をはさむ数年間、草稿となった作品の発表があり、その後更に数年を経て、全集編集を契機として再び小説化がくわだてられ、昭和二十九年単行本『呉清源棋談・名人』にまとめられて、「名人」の完成をみたのである。
このように、定稿は「山の音」「千羽鶴」などと平行して書かれているわけだが、「雪国」を戦後の作とはしなかったように、「名人」も「雪国」に続く時期の作品としてあつかって、異論のないところであろう。
・一見したところ、「雪国」と「名人」では、作品の世界ががらりと変ってしまったように見える。
「雪国」が作者の計算にもとづく人工的なからくり、純粋仮構の上に成り立っているのに対して、
秀哉名人が実名で登場する「名人」は、引退碁の凄絶な勝負の顚末記ともみえる。
・しかし、作者の描こうとする力点はそうした勝負の世界にはなかった。
氏の興味は、秀哉名人その人に向けられていたのである。
だから題名の「名人」は、棋界の最高位を示す称号ではなく、具体的に秀哉その人を指す固有名詞としての名人なのである。
おそらく、彼以外のいかなる碁の上手が名人の座にあったとしても、川端氏の創作の対象とはなり得なかったであろう。
・ところが、実際の秀哉名人は、「野卑で貧相」な外貌の持ち主で、対局中の行動にも身勝手なところがあり、金銭にきたないといった風評もあったらしい。
事実、引退碁の前に名人と会う機会を持った榊山潤氏は、「その印象は、あまりいいものではなかつた。瘠せて小さく、吹けば飛ぶやうで、而もその上、失礼ではあるが、何となく小狡そうな感じがあった。」(昭和32年『解釈と鑑賞』)と「名人」論を書き、
「私が若し棋士を書きたくなつたら、第一に木谷(註・「名人」における大竹七段の本名)その人を選ぶだらうと思ふ。恐らく現棋士中、もつとも複雑な情感を持つた人と思はれる。天才の一つの型である。」とも述べている。
・このように、名人の称号を剝奪した秀哉その人は、うすぎたない老人にすぎず、むしろ大竹七段の方がなまの人間として魅力的な人物だったと思われるのに、川端氏は大竹七段には注目しなかった。
わき役の彼は、ときには名人との対比から、悪役すらもふりあてられている。
・川端氏は「野卑で貧相」な老人に、なぜそれほどまでに傾倒したのだろうか。
川端氏は観戦記を「小説風に書き直してみたいと思った」理由について、「観戦記には読者をひくための舞文も多く、感傷の誇張がはなはだしく、また対局中の紛糾など新聞には書けぬこともあつたからである」(全十四、あとがき)と書き、
「対局中の棋士の気にさはらぬやうに心を配つて、筆をおさへねばならぬ」(第四十一章)ことが多かったとも述べている。
確かに観戦記では、記者「私」がみずからの意見や感想を述べることはほとんどなく、まれに顔を出しても、「私達素人は……」とか「素人の観戦子にも……」といったひかえ目な発言しかしていない。
(川嶋至『川端康成の世界』講談社、1969年[1973年版]、228頁~230頁)
(2025年2月9日投稿)
【はじめに】
今回も引き続き、囲碁の手筋について、次の著作を参考にして考えてみたい。
〇白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年
著者の白江治彦氏は、プロフィールにもあるように、NHKの囲碁講座講師などを務め、囲碁の普及に尽くされたプロ棋士である。その普及は、国際的なものであったらしく、
昭和51年豪州などに囲碁指導され、平成3年パリで102面打ち、平成8年仙台で165面打ち、多面打ち(100面以上)は出版当時、10回で世界記録更新中だったそうだ。
本書では、ツケに始まり、ツケコシ、ツケ切り、ホウリコミ、捨て石など手筋について要領よく解説しておられる。
そして、【コラム】においては、「置碁での手筋・形」「天元対局」が特に面白かった。
「置碁での手筋・形」においては、世襲制最後の本因坊である秀哉と木谷実七段(当時)の有名な引退碁を、「名人」という小説に著した川端康成さんが、大の囲碁ファンであったことに触れている。加えて、棋譜として残っている岩本薫元本因坊との六子局は、なかなかの出来ばえであるようで、川端さんの布石で随所に出てくる手筋をごらんいただこうというのである。
(白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年、50頁~52頁)
また、【コラム】「天元対局」においては、工藤紀夫天元 対 依田紀基碁聖のテレビ早碁対局を紹介されている。依田プロが工藤天元のタイトルに敬意?を表して、初手を黒1と天元打ちした話題局であった。
(白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年、53頁~54頁)
さて、白江治彦氏が川端康成の小説『名人』について触れているので、私もこの小説についても言及している川嶋至氏の次の著作を読んでみた。
〇川嶋至『川端康成の世界』講談社、1969年[1973年版]
川嶋至(1935-2001)氏は、学者にして、文芸評論家で、川端康成の研究家として知られている。川端康成の元恋人の伊藤初代の実体をいち早く究明した研究者として注目された。
本書の詳しい紹介は後日にするとして、さしあたり「第六章 現実からの飛翔―「雪国」と「名人」」から、小説『名人』に関する言及について、簡単に紹介しておく。
〇【補足】川端康成と小説『名人』~川嶋至氏の著作より
【白江治彦『手筋・ヘボ筋』(日本放送出版協会)はこちらから】
【白江治彦氏のプロフィール】
・昭和13年生まれ、石川県小松市。
・昭和31年大窪一玄九段に入門。昭和32年入段、昭和34年二段、昭和35年三段、昭和42年四段、昭和45年五段、昭和51年六段、昭和59年七段。
・昭和51年豪州などに囲碁指導。テレビ司会、解説で活躍。
・昭和62年テレビ囲碁番組制作者会賞、平成3年日本囲碁ジャーナリストクラブ賞受賞。
・平成2年銀座で101面打ち、平成3年パリで102面打ち、平成8年仙台で165面打ち、多面打ち(100面以上)は現在までに10回で世界記録更新中。
・昭和52年、平成3年、平成9年とNHKの囲碁講座講師。
・平成8年度普及功労賞。
白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年
【目次】
筋のとなりはヘボ筋
1・ ツケ(実戦で最も多い)
2・ ツケコシ(飛躍の手筋)
3・ ツケ切り(サバキや消し)
4・ 切り(効果は多岐多様)
5・ 切り込み(形を崩す働き)
6・ ワリ込み(攻め合いでの手筋)
7・ ホウリコミ(駄目を詰める手筋)
8・ コスミ(隅や辺での手筋)
9・ コスミツケ(形崩し、攻め合いの手筋)
10・ ワタリ(1線から3、4線での連絡)
11・ オキ(撹乱・ヨセに威力)
12・ 三子は真ん中が急所
13・ 左右同形中央に手あり
14・ 捨て石(囲碁の醍醐味の一つ)
【コラム】
・手筋一閃、局面打開のツケ
・置碁での手筋・形
・天元対局
・死活に見る捨て石の妙技
・ビックリ!の詰碁解答
・二子にして捨てよ
・捨て石のツケで先手封鎖大地完成
さて、今回の執筆項目は次のようになる。
・氏のプロフィール
・はじめに
・3 ツケ切り(サバキや消し)
・4 切り(効果は多岐多様)
・7 ホウリコミ(ダメを詰める手筋)
・10 ワタリ(1線から3、4線での連絡)
・14 捨て石(囲碁の醍醐味の一つ)
・捨て石の問題~一間高ガカリ定石の変化とシボリ作戦
・捨て石の問題~二間高バサミ定石の変化とシボリ作戦
・川端康成の置碁
・天元対局~工藤紀夫天元 対 依田紀基碁聖
・【補足】川端康成と小説『名人』~川嶋至氏の著作より
はじめに
・一局は平均250手ほどかかる。
正しい着手もあれば凡手もある。
正しい着手は手筋、凡手はヘボ筋である
(ヘボ筋は俗筋ともいい、はたらきの少ない着手のことである。イモ筋、筋違い、無筋とも言われる)
・手筋の中でも接近戦にそなえるものを「形」といい、石がぶつかり合えば「筋」となる。
※故瀬越憲作九段は、筋と形の違いを「筋は攻撃、形は守りの正しい打ち方を指す」と表現した。
(ただ、サバキやシノギの手筋など、攻撃より防御の雰囲気のものもあり、いちがいにいえない部分もあるが、わかりやすい区別である)
〇ところで、接近戦でもっとも効果の高い着手である手筋の効用は、多目的ホールのようなもので、何にでも使われるすぐれものであると、白江氏はいう。
・攻め合い、死活、遮断、連絡、封じ込め、封じ込め回避、荒らし、シボリ、愚形に導きコリ形にさせる。
・また、オイオトシ、ウッテガエシ、ゆるみシチョウなど捨て石を駆使した華麗な展開も可能。
(捨て石を使った手筋は、相手地の中への元手なしのもの、リスクなしで攻め合いに勝ったり、地の得をはかったりするものも多くある)
・しかし、手筋のそばには多くのヘボ筋があり、注意が必要。
(ヘボ筋とは、満点のはたらきをしていない減点着手、さらに打たない方が良いマイナス着手まである)
ヘボ筋の罪は、攻め合いに負け、死活に失敗、ヨセの損など序盤戦から終盤戦まで延々と続く。
※本書では、それぞれの形で、手筋とヘボ筋の違いを鮮明にあらわしたという。
(白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年、2頁~3頁)
【3・ツケ切り(サバキや消し)】
3・ツケ切り(サバキや消し)
〇ツケ切りは、ツケと切りのあわせわざ
⇒先にツケ、相手のオサエに切り込む手筋
・とくにサバキや消しに、華麗なはたらきを見せてくれる。
おおむね相手陣内でのサバキで、本来かなり不利な結果になるところを、五分五分に近い分かれに持っていく手筋である。
【基本図:定石進行】
〇大ゲイマガカリ定石のはじまりである
・三角印の白(12, 三)のハサミに、黒1とツケ、3と切るのが、ツケ切りの手筋
【1図:定石】
・黒1のツケ切りの手筋に対し、白1、3はアタリ、アタリのヘボ筋進行であるが、この手筋の効果を上げた証拠でもある。
【2図:変化】
・白は基本図のツケ切りを嫌い、白1、3と変化するのは、黒2、4と素直に応じて良い。
・白5と封鎖しても右辺はガラ空で、単なる厚みに過ぎない。
(白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年、46頁)
【4・切り(効果は多岐多様)】
4・切り(効果は多岐多様)
・切りは文字通り、相手の石を切断すること。
・その効果は多岐にわたり、攻め、サバキ、シノギ、ヨセ、死活などなど多様。
・また、ツケ切り、切り込み、切り違いなど、他の手筋との合わせわざでの使い方もある。
・ただ、切りを入れた瞬間から戦いが始まるわけであるから、ある程度先見する必要がある。
【基本図】(根元切り)
・一間高ガカリ定石の進行中であるが、黒1の切りは絶対の一手。
※黒の形を根元から切る強烈な攻めで、白の中央進出を防ぎ、戦いの主導権を握る。
【1図】(白無理)
・白1と押さえ込むのは、黒4のコスミの手筋で、白ツブレ。
【2図】(定石進行)
・白は1と下からアテるよりなく、黒6まで進行。
・しかし、このままでは黒に制空権を取られるだけの一方的進行、白7からの逆襲開始は当然。
【3図】(お返し)
・白1とお返しの切りで、戦端を開く。
【4図】(定石)
・黒1以下、隅で生きをはかったとき、白8のカケから主導権奪回に動き出す。
【5図】(続き)
・黒1以下、互いに手筋を打ち合っての進行。
【6図】(中央の争い)
・黒1のノビから以後延々と中央の戦いが続くことになる。
※「碁は断にあり」と喝破したのは、故細川千仞九段であるが、地の囲い合いに終始するだけでは妙味に欠ける。
切りの手筋を駆使しての戦いは、囲碁の醍醐味のひとつだろう。
(白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年、55頁~56頁)
<メモ>
〇細川千仞(1899-1974)九段
日本棋院関西総本部の重鎮として活躍。「コウの細川」とも呼ばれ、乱戦の雄として知られる。
門下に石井邦生九段、佐藤直男九段など、孫弟子に結城聡九段、山田規三生九段、坂井秀至八段、井山裕太九段がいる。
【7・ホウリコミ(ダメを詰める手筋)】
〇ホウリコミは、「放り込み」である。
・すぐにアタリになる自殺手であるが、相手のダメを詰める極上の手筋
⇒とくに攻め合いの手数短縮や、死活に大きな威力を発揮
・わずかの捨て石を放つことによって、大きな戦果を挙げる気分の良い手筋
・相手地の目減りをねらうヨセにも使える
・また、ホウリコミそのものには、取られても損はなく、捨て石作戦の練習にも、うってつけ
【1図:基本手筋】
・黒3取り返す1の所
・黒1がホウリコミの基本形
・白2と取れば、黒3と取り返す手筋
【2図:取り跡】
・わずか一子の捨て石で大きな戦果を上げることができる
【3図:応用問題】
・基本手筋の応用、3手のヨミで
【4図:ダメヅマリ】
・黒1と出て、白をダメヅマリにして、黒3のホウリコミでしとめる
【5図:合わせわざ~ツケコシとホウリコミ】
・焦点のはっきりしない白の形をダメヅマリに導くためには、黒1のツケコシの手筋との合わせわざから入る。
・白2に、黒3の切り。
【6図:オイオトシ】
・続いて、黒1のホウリコミから黒3でオイオトシに。
【7図:連続ホウリコミ~ホウリコミ+ホウリコミ】
☆ホウリコミの連続手筋である
・まず黒1が最初のホウリコミ、白2のとき黒3とアタリ
⇒白をダメヅマリに追い込む
【8図:決め手のホウリコミ】
・白1のツギに、黒2が決め手のホウリコミ
(白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年、85頁~86頁)
10 ワタリ(1線から3、4線での連絡)
【10 ワタリ(1線から3、4線での連絡)】
・ワタリは「渡り」で、自石同士の連絡のことである。
ワタリは、地の増減にとどまらず、死活やヨセにも大きな影響がある。
・ワタリは、1線から3、4線での連絡をいうが、ワタリの完成によって地の増のみならず、相手からの攻撃をかわす利点もある。
・俗格言に「ワタリ八目」というのがあるが、8目の得があるということでなく、大きな意味の八の字を当てることで、効果を強調したものである。
(白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年、110頁)
【問題図(黒番)】
・黒▲のサガリを活用して、隅の二子との連絡は?
【1図】(ヘボ筋)
・黒1は、左右の真ん中付近でバランスのように見えるが、白2、4のツケ二発で連絡不能に。
【正解図】(トビ)
・黒1のトビが落ちついた手筋。
【2図】(切断不能)
・白1、3とねらっても、ドッキング成功。
【3図】(連絡完成跡)
・もう白から何の手段も残っていない。
(白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年、111頁)
【問題図(黒番)】
・白1と目取りにきたところ。
ダメヅマリ状態であるが、連絡の手筋あり。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/33/a030e759e8abdba40f71265f8b696b5a.png)
【1図】(ダメヅマリ)
・黒1で連絡できそうに見えるが、白4でダメヅマリとなり、黒はaに切ることができない。
【正解図】(ハネ)
・黒1のハネが手筋で、連絡できる。
【2図】(コウにあらず)
・白1、3には黒2、4のヌキでコウにあらず。
【3図】(連絡跡)
・2図を確かめた図。
(白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年、113頁)
【問題図(黒番)】
・白△に惑わされず、左右を連絡するには?
【1図】(問題図までの定石進行)
・白△に黒7まで進行、白8の封鎖で問題図に。
【2図】(一見筋風)
・黒1のアテは手筋のように見えるが、白2から6までで、コウで抵抗される。
【正解図】(ケイマ)
・黒1のケイマが手筋。
【3図】(別定石)
・白が正解図を嫌えば、白1、黒2の定石進行あり。
(白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年、115頁)
【問題図(黒番)】
・左右の黒の連絡手筋は?
【1図】(切断)
・すぐに黒1とオサエるのは、白2のワリ込みで破ける。
・黒3と強引に取るのは、白6まで黒四子が落ちる。
【2図】(弱い)
・黒1のトビでは、隅は安泰だが、左が弱体に。
【正解図】(ケイマ)
・黒1のケイマで連絡可。
【3図】(大丈夫)
・白1以下の画策には、黒6までで心配なし。
(白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年、126頁)
【参考図】(世界棋戦の実戦進行)
・黒1のケイマで左右が連絡。
上辺は黒地化。白は厚味を背景にaと構え、消し囲いの難解な中盤戦に突入。
結果は黒半目勝ち。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/95/1120c2fae15d97ff506fbafebd11241f.png)
【1図】(参考図までの手順)
・黒1の打ち込みに、白2とサガリ、黒3とフリカワリ策に。
【2図】(体力をつけて)
・黒1、3のハネツギで体力をつけ、黒5で連絡という進行。
(白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年、127頁)
14捨て石(囲碁の醍醐味の一つ)
〇捨て石作戦は、囲碁の醍醐味の一つ。
主な捨て石作戦は、
①手数を詰める
②カケメにする
③シボリ作戦
A二子にして捨てる
B石塔シボリ
Cグルグル回し
D締めつけ
Eその他
(白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年、163頁)
手数を詰める
手数を詰める
【1図】(手数を詰める)
・黒1の捨て石が攻め合いに勝つ唯一の手筋。
【3図】(捨て石を増やして)
・詰碁には捨て石が似合う。
すでにつかまっている黒石をさらに増やして、黒1の捨て石が白をカケメにする手筋。
〇石を捨てるのが嫌いな向きも多く、まずは捨て石に慣れる訓練をすることが大切であるという。
【5図】(黒番)~12目の死活問題
☆黒先で手段ありや、なしやと、3段レベル約50名に出題したことがあるという。
正解は手段なしである。
だが、応手が結構難しいようで、セキやコウになるケースがかなり出た。
〇このような白の地とおぼしき形の中に打ち込んで見るのは、捨て石の練習をする絶好の機会だという。
手があるかどうかは不明でも損はなく、また手筋発見の訓練にもなり、一石二鳥である。
【6図】(打ち込み)
・黒1の打ち込みに、白はそれなりに悩む。
【7図】(セキ)
・白3は誤った応手。
・黒2~8まででセキになってしまう。
【8図】(セキかコウ)
・前図の変化で、白1も悪手で、黒4までコウ。
※白3で4は、黒aでセキ。
【9図】(手なし)
・白1が正しい応手で、黒に手段はない。
※しかし、これによって、白地が増えたわけではない。
黒は三子を捨て(取られ)たが、白地も3目減で損得なし。
【10図】(問題2)
・黒1と来るとどうするか?
【11図】(手なし)
・これも1、3で手なし。
(白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年、161頁~163頁)
捨て石の問題~一間高ガカリ定石の変化とシボリ作戦
【問題図(黒番)】
・定石変化のひとつ。
・黒のシボリ作戦の初手は?
【1図】(一間高ガカリ定石の変化)
・黒6の切りに白7のアテからの変化はハメ手風。
【2図】(ヘボ筋)
・黒1、3と決めてしまっては白4で隅を取られ損で、黒は浮き石のまま。
【3図】(イマイチ)
・黒1のコスミツケは考えた手であるが、イマイチ。
【4図】(実利の損)
・黒1では実利の損が大。
【正解図】(切り)
・黒1の切りから進めるのが手筋。
【5図】(大勢に暗い)
・折角、黒▲の手筋の切りを打ちながら、白1の逃げ出しに、黒2と隅を生きるのは大勢に暗い発想。
【6図】(先手突き抜き)
・白△には黒1、3のアテを決めて、黒5が名調子。
・白6は省けない。
【7図】(隅に手段)
・前図の白6に手抜きするのは、黒1から手段。
【8図】(コウ)
・黒1、3でコウに。
(白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年、187頁~188頁)
捨て石の問題~二間高バサミ定石の変化とシボリ作戦
【問題図(黒番)】
・二間高バサミ定石の進行中。
・捨て石のシボリ作戦駆使のすばらしい大局判断がある。
【1図】(問題図までの進行)
・二間高バサミから黒4、6と戦端開始。
【2図】(続き)
・続いて、白1のカケに黒2の捨て石の手筋。
【3図】(打ち過ぎ)
・黒1、3と両方を助けるのは無理。
【4図】(もったいない)
・黒1、3と上方を捨てるのは、もったいない。
【正解図】(カケ)
・黒1のカケが白の動きを制限し、シボリを完璧にするグッドセンスの手筋。
【5図】(自殺行為)
・白1とケンカを売るのは自殺行為で、黒6までシチョウに。
【6図】(シボリ開始)
・白は単に1と出るよりなく、黒は2、4とシボリ作戦開始。
【7図】(シボリ完了)
・黒4まで二子の捨て石で大シボリ。
【8図】(ケイマツギ)
・黒1のおしゃれなケイマツギで手厚い外勢。
(白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年、189頁~190頁)
川端康成の置碁
「コラム 置碁での手筋・形」
【川端康成の置碁】
昭和十年代(1940年代)世襲制最後の本因坊である秀哉と木谷実七段(当時)の有名な引退碁を、「名人」という小説に著した川端康成さんは、もちろん大の囲碁ファンであった。
多くのプロ棋士との対局があったと思われるが、棋譜として残っている岩本薫元本因坊との六子局は、なかなかの出来ばえであるようだ。
した手、川端さんの布石で随所に出てくる手筋をごらんいただこうと、白江氏はいう。
川端康成の置碁
岩本薫元本因坊との六子局
【川端康成と岩本薫との六子局】
【第1譜】(六子局)
・白5のボウシは、うわ手の常套手段であるが、黒6の肩ツキは、攻めと中央進出を兼ねた手筋。
・次の白9、11のツケのサバキに、黒12はなんでもないようであるが、正しい手筋の受け。
・それは、白13という車の後押しを強要させる効果があり、黒16まで悠々と中央に進出、黒上々の出だし。
※ところで、当時は、川端さんの他にも囲碁好きの作家は多く、皆さんかなりのレベルで、
本因坊戦などタイトル戦の観戦記執筆が花盛りであったが、ときおり術語を間違えるのが、ご愛嬌だったという。
【第2譜】(整形と攻めのコスミ)
・白1のトビに、黒2のコスミはなんでもないようだが、整形の手筋。
※連絡を確かめながら、白の連絡は許さんという強い態度でもある。
・上辺に移って、白5のヒラキに、黒6もすばらしい反応、隅の確保と白二子への攻めと一石二鳥。
※実戦では、aと追随しがち。
【第3譜】(ケイマであおる)
・白3、5のくすぐりに、黒6のケイマのあおりも大賛成の攻め、ここまで黒絶好調。
【第4譜】(サバキのツケ)
※ここでようやく岩本プロが、術を使いはじめる。
・白1のツケがそれで、サバキの手筋のひとつ。
・黒2はその術にまんまとかけられ、黒8まで利かされてしまった。
※黒2では、単に4が正解。
サバくときツケよという格言があるが、その見本のひとつ。
応用範囲広く、ぜひ覚えてほしいという。
【第5譜】(ようやく置碁らしく)
・白1と中央に進出し、白7、9でようやく置碁らしい局面になってきた。
しかし黒勝利。
【第6譜】(1~51まで)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/3a/dc80881c6bcbebe492262abb93dc105b.png)
(白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年、50頁~52頁)
天元対局
「コラム 天元対局」
【天元対局】
工藤紀夫天元 対 依田紀基碁聖のテレビ早碁対局
【第1譜】(初手天元)
・依田プロが工藤天元のタイトルに敬意?を表して、初手を黒1と天元打ちした話題局。
・これには工藤プロの多少驚いたと思うが、棋士は何局かの天元対局を経験している。
・その天元に対する白の手筋は、簡単にいえば、そのはたらきを減らすようにすることであるが、言うは易くて中々ムズ(難)。
(しかし、それは黒も同じことで、地に結びつきにくい天元は甘くなる可能性は大)
・白2に黒3と積極的なカカリは、天元との連携プレーの意味があり、早い時期の戦いを意識。
・黒5以下、珍しい進行となったが、お互いに天元の存在を視野に入れての応酬で興味津々。
・黒17と押しと黒19と天元で大三角形の形成。
・黒21、23のさらなる拡大に、白24のハサミ一本から白26と単騎突入、荒しの頃合だろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/93/8655744c5bc540f838e04b111b1155d6.png)
【第2譜】(技あり)
・その後数十手進んだ局面、上辺のシノギの見極めがついた白は、左辺白1のツケから手段、白3が連係の手筋で白11までかなりの稼ぎで白技あり。
※地合では黒も大変、天元打ちの難しいところ。
【第3譜】(大技あり)
・さらに進んで中央を生きる前に、白1のノゾキを利かそうとした瞬間、黒2のワリ込みが強烈な手筋で、白はシビれた。
・黒6で五子が落ち、一挙に形勢が傾き、数手後投了。
(白江治彦『手筋・ヘボ筋』日本放送出版協会、1998年、53頁~54頁)
【補足】川端康成と小説『名人』~川嶋至氏の著作より
最近、川端康成の小説『名人』を調べるにあたり、川嶋至氏の次の著作を読んでみた。
〇川嶋至『川端康成の世界』講談社、1969年[1973年版]
川嶋至(1935-2001)氏は、学者にして、文芸評論家で、川端康成の研究家として知られている。川端康成の元恋人の伊藤初代の実体をいち早く究明した研究者として注目された。
本書の紹介は後日にするとして、さしあたり「第六章 現実からの飛翔―「雪国」と「名人」から、小説『名人』に関する言及について、簡単に紹介しておく。
●「名人」の生いたちについて
<第一章 なまけものの文学>
・こうした傾向(川端の作品に、未完、中絶の多い傾向)は、この時期だけのものではなく、たとえば「雪国」は、昭和十年から十二年までの三年間に、断続的に種々の雑誌に書きつがれ、創元社版「雪国」で完結したかに思われたのが実は未完で、十年後にまた書きつがれ、結局完成までに十三年の歳月を要するという生いたちを持っている。
・「名人」にしても、戦前戦後にまたがる改稿がみられるし、敗戦後の諸作にしたところで、「千羽鶴」「山の音」など、多くは「雪国」同様の発表形式をとっている。むしろ、氏の作品には、順当な手続きを経て完成したものはほとんどないと言ったほうが、わかりがはやいであろう。
(川嶋至『川端康成の世界』講談社、1969年[1973年版]、15頁)
<第六章 現実からの飛翔―「雪国」と「名人」>
・「雪国」は、完成までに十数年の歳月が費やされたが、「名人」も「雪国」に遅れること数年で、やはり完成に十数年の日月を要している。
作中にも明らかなように、「名人」は、東京日日新聞社主催の本因坊秀哉名人引退碁の観戦記をもとに書かれたもので、小説化の意図は、観戦記執筆中にすでに生まれていた。
・引退碁は昭和十三年六月にはじまり、秀哉名人の病気で約三箇月の中断があって、同年十二月に終った。それから約一年後、秀哉名人は持病の心臓病で世を去った。
・この素材がはじめて小説化されたのが昭和十七年の初稿「名人」で、以後敗戦をはさむ数年間、草稿となった作品の発表があり、その後更に数年を経て、全集編集を契機として再び小説化がくわだてられ、昭和二十九年単行本『呉清源棋談・名人』にまとめられて、「名人」の完成をみたのである。
このように、定稿は「山の音」「千羽鶴」などと平行して書かれているわけだが、「雪国」を戦後の作とはしなかったように、「名人」も「雪国」に続く時期の作品としてあつかって、異論のないところであろう。
・一見したところ、「雪国」と「名人」では、作品の世界ががらりと変ってしまったように見える。
「雪国」が作者の計算にもとづく人工的なからくり、純粋仮構の上に成り立っているのに対して、
秀哉名人が実名で登場する「名人」は、引退碁の凄絶な勝負の顚末記ともみえる。
・しかし、作者の描こうとする力点はそうした勝負の世界にはなかった。
氏の興味は、秀哉名人その人に向けられていたのである。
だから題名の「名人」は、棋界の最高位を示す称号ではなく、具体的に秀哉その人を指す固有名詞としての名人なのである。
おそらく、彼以外のいかなる碁の上手が名人の座にあったとしても、川端氏の創作の対象とはなり得なかったであろう。
・ところが、実際の秀哉名人は、「野卑で貧相」な外貌の持ち主で、対局中の行動にも身勝手なところがあり、金銭にきたないといった風評もあったらしい。
事実、引退碁の前に名人と会う機会を持った榊山潤氏は、「その印象は、あまりいいものではなかつた。瘠せて小さく、吹けば飛ぶやうで、而もその上、失礼ではあるが、何となく小狡そうな感じがあった。」(昭和32年『解釈と鑑賞』)と「名人」論を書き、
「私が若し棋士を書きたくなつたら、第一に木谷(註・「名人」における大竹七段の本名)その人を選ぶだらうと思ふ。恐らく現棋士中、もつとも複雑な情感を持つた人と思はれる。天才の一つの型である。」とも述べている。
・このように、名人の称号を剝奪した秀哉その人は、うすぎたない老人にすぎず、むしろ大竹七段の方がなまの人間として魅力的な人物だったと思われるのに、川端氏は大竹七段には注目しなかった。
わき役の彼は、ときには名人との対比から、悪役すらもふりあてられている。
・川端氏は「野卑で貧相」な老人に、なぜそれほどまでに傾倒したのだろうか。
川端氏は観戦記を「小説風に書き直してみたいと思った」理由について、「観戦記には読者をひくための舞文も多く、感傷の誇張がはなはだしく、また対局中の紛糾など新聞には書けぬこともあつたからである」(全十四、あとがき)と書き、
「対局中の棋士の気にさはらぬやうに心を配つて、筆をおさへねばならぬ」(第四十一章)ことが多かったとも述べている。
確かに観戦記では、記者「私」がみずからの意見や感想を述べることはほとんどなく、まれに顔を出しても、「私達素人は……」とか「素人の観戦子にも……」といったひかえ目な発言しかしていない。
(川嶋至『川端康成の世界』講談社、1969年[1973年版]、228頁~230頁)
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