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鹿児島で出会った野鳥や桜島・自然などをご紹介します。

「鹿児島紹介2025_106 いちき串木野市鎮国寺と冠高、徐福像」2025/01/06

2025年01月06日 | 【桜島】
みなさん、おはようございます。仕事始めですね。私はちょっと風邪気味ですが、元気出して行きたいと思います。昨年の11月30日から続いていた朝の桜島、いよいよ途切れてしまいました。37日間連続撮影は二度とないでしょうか?
さて、今日は新年に縁起の良い昔も今も信仰の山として畏敬の念をもたれる霊山冠岳とその南側にある鎮國寺と徐福像を紹介します。冠岳は、いちき串木野市と薩摩川内市の境にある山で、東西に伸びる稜線に沿って西岳(標高516メートル)、中岳(標高496メートル)、東岳(標高486メートル)が連なっています。西岳山頂には、上宮祠があり東シナ海、霧島山、桜島、開聞岳などを一望できます。運動音痴の私でも登れるような山です。その南側にある鎮國寺は冠岳を拝むような位置にあります。用明天皇の代に蘇我馬子が勅願により紀州熊野権現を勧請し、その別当寺として興隆寺を建立したのですが、平安時代、真言宗鎭國寺頂峯院と改められそうで、厚い信仰の対象となっています。



今の時期は紅葉が綺麗です。その鎮國寺は階段で上がれる冠岳展望公園がありますが、市制施行50周年を記念して、串木野市が2000年に建立した日本一の徐福石像(高さ6m)があります。約2200年前、秦の始皇帝にはるか東の海に蓬莱・方丈・瀛洲という三神山があって仙人が住んでいるので不老不死の薬を求めに行きたいと申し出た、徐福は莫大な資金を費やして一度旅立ちましたが、得るものがなくて帰国しました。何もなかったと報告も出来ず、「鯨に阻まれてたどり着けませんでした」と、始皇帝に報告。再び、始皇帝の許可を得て大勢の技術者や若者を伴って再度船出したのです。その徐福が我が地に来たと考えた徐福伝説が各地に存在しています。その後、どうなったのか?不老不死の薬が見つからなかったのは、始皇帝が今生きてないので間違いないようですね。徐福像は遥か西の地を眺めていますが、遠い彼方に秦の国があるんですかね?



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