今まで、書いたブログの話と重複するかもしれません。
お許しを。
昨日、疎遠になっている実母からの葉書きが届きました。
内容は何かと言うと、
「りぼんに、ツラく当たっていた時、私もしんどかったの。許してね。」と言うことでした。
私は、数年前に、「許しました。」と言っているのに、
しつこくこうやって「許してほしい。」と、言ってくる。
もう嫌です。
その度に、私は私で、心の傷の上のカサブタを剥がされるような
気持になってツラいのに、分かってもらえない。
そのたびに当時のことを思い出すのは、すごくツラいのです。
だって、その度、下記のことを思い出すのですよ。
当時、私は大学生で、実家から離れて寮生活をしていました。
同じ寮の子たちは、親が心配して、連絡を取ったり、寮に来たりしていました。
でも、私の親だけは、そういうことが一切ありませんでした。
すごく、心細かったです。
寮生の中には、私の高校の恩師のお嬢さんもいました。
そのお嬢さんは、のちに、私の友人になるのですが、恩師と奥様とご夫婦二人で来ていましたよ。
うらやましかったし、入学式の後、お昼ご飯をご一緒したのを覚えています。
私の実家は、お寺なので、家が忙しいから・・・と、思い込んでいました。
入学早々、思いがけず、教科書代が、何万もかかって、手持ちのお金が無いので、私は、電話したり、
今と違って、8畳くらいの部屋に3~4人が2段ベッドでの共同生活。
環境の大きな変化に、私は、ご飯が食べられないし、
恥ずかしい話、便秘で苦しんでいました。
体重もどんどん減り、甲状腺の病気(無痛性甲状腺炎)になりました。
甲状腺の数値が安定せず、大変でした。
今、思うと原因は、ストレスだと思います。
帰省しても、相談したい親には、そっぽを向かれ、冷たい態度。
元々、母の気に入ったのは、妹だったので、
「私のことは嫌いなんだ・・・」と、思うしかなかったですね。
体型や、胸のことも、同性である実母から、あれこれ言われ、
甲状腺の病気で、体調が悪いと、
理解されることも無かったですね。
妹と私の扱いの差はかなりありました。
父は父で、すぐ怒るし、話し相手や相談相手にはなりませんでした。
そういう状態が続いて、20歳ごろから、度々、「希死念慮」が
出始めます。
私の場合は、実際に行動したことはありませんが、こういうことをしたら、死ねるだろうか?と、
考えることくらいです。
今から、考えると、どん底でした。
いつも、行動を共にしていた研究室の同級生(女子)から、卒業式の前日には、私が騙されていると、
周囲から教えられたり・・・。
色々ありました。
私の地元では、経済的な理由から、大学に行きたくても行けなかった子が多かったので、
その子たちの分も勉強したというのは、あるんですけどね。
何だかなあ・・・という学生生活でした。
今まで、色々なことがあって、実母とは、距離を置いています。
無理して付き合ったら、私のメンタルが壊れてしまう・・・。
もう、最近は、疎遠に罪悪感を持たなくなりました。
今は、私は、自分の体調を保つのが、大事なので、申し訳ないけど、
母とは付き合いきれません。
夫からも距離を保つようにお願いされています。
もちろん、医師のすすめもありますが・・・。
疎遠のお陰で、メンタルが保てているのは、有難いことです。
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