地上を旅する教会

私たちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって大海となるのです。

塩で味付け

2012-10-17 12:26:32 | 今日の御言葉
時をよく用い、外部の人に対して賢くふるまいなさい。
いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。

そうすれば、一人一人にどう答えるべきかが分かるでしょう。

コロサイの信徒への手紙/4章5-6節


ごうまんで
ぶっきらぼうで
利己的になるのは
いともたやすいことです。

でもわたしたちは
もっとすばらしいことのために
つくられているのです。

マザーテレサ『愛のことば』より



【Biz 活 COME ON ギモン】

■読売新聞2012年10月5日


Q.日本を泥棒呼ばわりする中国に反論するには?

A.理詰めで、繰り返し、中国の矛盾を指摘しましょう。


 先日の国連総会(27日ニューヨーク)で中国の外相が日本の尖閣諸島について、「古来、中国固有の領土。争う余地のない歴史的、法的な証拠がある」「(日清戦争終結前の)1895年に日本が盗んだ」などと、世界各国代表たちの前で異様な言葉遣いで激しい内容の演説をしました。



魚釣島の東南東38キロ付近の接続水域を南西に向けて航行する中国の海洋監視船「海監」(右側4隻)と海上保安庁の巡視船(左側4隻)(10月1日、読売新聞社機から、清水健司撮影)



 衆人環視の中、屈辱的非難を浴びた日本は、答弁権を行使して、児玉和夫国連次席大使が反論しました。

 私たち一般国民も、このグローバル化時代に外国の人たちと接し、あるいは、ネットでつながる機会が多くなった今、「日本って島泥棒なの?」と第三国の人たちから聞かれた際には、単純明快に答えられる知識をもっておくと安心です。


 相手側、特に中国に縁のある人たちの中にはけんか腰の人もいますから、「売り言葉」に「買い言葉」で反論するのは禁物。あくまで理詰めで、繰り返し、飽きずに根気よく、中国の主張の矛盾を問いつめることに徹しましょう。

 あまりたくさんのポイントはいりません。今、中国は「(日本が)盗んだ」と言いつのっているのですから、「天の落とし物(無主の地)を目ざとく拾った小さな人(日本)は幸運であって、大男(中国)の持ち物を奪う泥棒ではありません」等と、自信をもって説明すればいいのではないでしょうか。だって、尖閣諸島が中国のものだったことなど一度もなく、その証拠もないのです。


 中国政府は、「証拠は古い公式文書などに山ほどある」と言います。しかし、明朝、清朝の14~19世紀公式文書を見ても、書いてあることは、中国から琉球国(現、沖縄)への派遣使節が海路の途中に「(尖閣諸島を)見つけた」等と書いてあるだけなのです。つまり、航路の目印にしていただけで、上陸したわけでなく、領有の意思が記されているわけでもありません。

 そもそも、中国、琉球国双方の史料によれば、明、清代の約500年の間に、琉球が中国に241回使節を派遣したのに対し、中国が琉球に使節を派遣した回数は10分の1に満たない23回しかありません(尾崎重義著「尖閣諸島の国際法上の地位」等から)。尖閣諸島への権益を論じるなら、この諸島を経由しながら何度も中国に行き来した琉球国の人々にこそ、領土権を主張できる地理上、歴史上の根拠、実績があるのです。



中華民国駐長崎領事から贈られた感謝状。1919年冬に同諸島沖で遭難した中国漁民を救助したお礼に、中華民国の駐長崎領事が石垣村(当時)職員に贈った。沖縄県石垣市立八重山博物館提供
“沖縄県八重山郡尖閣諸島”と明記が......



 台湾についても、「東蕃」(東の未開地)と言っていた中国が領有したのは清朝の17世紀後半。領土北辺は、日本が台湾を植民地化した1895年以前には基隆嶼(台湾北端の小島)が公文書に記され、そこから百数十キロ北東の尖閣諸島は清国の領土からは除外されています。台湾から見ても尖閣諸島は中国領ではなかったのです。

 この2000年間に中国は広がったり縮んだり、ひどいときにはモンゴルに征服されてしまったこともありますが、東シナ海に版図を広げたのは台湾の北辺が限界です。


 中国が時代遅れの領土拡張主義に走って世界のきらわれ者にならないよう、私たちも彼らの無茶な強弁は聞き流さず、根気よく正すべきでしょう。


(調査研究本部主任研究員 鬼頭誠)

(2012年10月5日 読売新聞)