地上を旅する教会

私たちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって大海となるのです。

君、想像したことある?

2012-10-20 08:57:32 | 今日の御言葉

兄弟を愛する人は、
いつも光の中におり、
その人にはつまずきがありません。

ヨハネの手紙一 / 2章 10節 新共同訳


父母は子供が優れているから愛するのではありません。

子供であればこそ
優れていようが愚かであろうが愛するのです。

病身の子を持つ親が子供以上につらいのと同様に
神様の愛の心情は
皆さんが優れているいないということを
超越しているのです。




いじめている君へ 朝日新聞に掲載された小学6年生の文章が話題に

■オルタナ 8月17日 16時58分配信


茂木健一郎さんや乙武洋匡さんなど多くの識者が協力した朝日新聞の連載企画「いじめと君」のシリーズで、最後を飾ったのは小学6年生の春名風花さん(11)という女の子だった。

「いじめと君」は、いじめによる自殺・事件が目立つ中、識者によるメッセージを集めた特集企画である。2006年に開始された企画が、大津市の中学校で起きたいじめ自殺事件がきっかけとなり、7月から再び始まっていた。

春名さんは子役や声優で活躍するタレントである。朝日新聞デジタル版に掲載された春名さんの記事はツイート数とフェイスブックの「おすすめ」数が合計で1000近くとなり、掲載されている30人の識者たちの中では最も多い。

春名さんの記事には、「いじめの本質を鋭く突いている」、「小学生とは思えないほどの頭の良さ」という反応が寄せられている。



   ※写真は本人ブログより転載





「いじめがばれた時、いじめっ子が口をそろえて「じぶんはいじめてない」って言うのは、大人が言う保身(ほしん)のためだけじゃなく、その子の正直な気持ちじゃないかなと思います。

ただ遊んでいるだけなんだよね。自分より弱いおもちゃで。相手を人間だと思ってたら、いじめなんてできないよね。感情のおもむくままに、醜悪(しゅうあく)なゲームで遊んでいるんだもんね。

ぼくは、ぼくがいくら泣こうが、本当に自殺しようが、その人たちが何も感じないことを知っている。いじめられた子が苦しんで、泣いて、死んでも、いじめた子は変わらず明日も笑ってご飯を食べる。いじめは、いじめた人には「どうでもいいこと」なんです。

(朝日新聞デジタル <いじめている君へ> 春名風化さん から一部抜粋)



小学生とは思えない文章に読者からは、「春名さんではなくゴーストライターが書いたのではないか」といったコメントも寄せられていた。

春名さんが所属する芸能事務所スマイルモンキー(東京・目黒)は、「この文章は春名さんが書いたものである。通常は朝日新聞の担当者が校正してから掲載するが、ほぼ原文のまま掲載させてもらった。春名さんがよく使う女の子なのに『ぼく』と呼ぶ言い方も特別に許可してもらった」と話す。

春名さんの鋭い視点はマンガから得たという。「自宅にはマンガが1000冊ほどある。なかでも『ひぐらしのなく頃に』や『ガラスの仮面』などがお気に入り」と事務所は話す。

また、9歳から開始したツイッターも、当時、春名さんだけ事務所から認められていた。「まだ子どもなので何を書くか把握できないため、子役事務所として本来なら中止させるべきだった。けれど、春名さんのツイートを見た時に、非常に面白いことを書いていたので、仕事関係の守秘義務さえ守れば良いとして許可した」と話す。

(オルタナS副編集長=池田真隆)



全文はコチラ


(写真は朝日新聞デジタル)



■朝日新聞デジタル2012年8月16日23時10分


《いじめている君へ》春名風花さん



春名風花さん

君、想像したことある?

 ぼくは小学6年生です。タレントだけど、ふつうの女の子です。

 今から書く言葉は君には届かないかもしれない。だって、いじめてる子は、自分がいじめっ子だなんて思っていないから。

 いじめがばれた時、いじめっ子が口をそろえて「じぶんはいじめてない」って言うのは、大人が言う保身(ほしん)のためだけじゃなく、その子の正直な気持ちじゃないかなと思います。

 ただ遊んでいるだけなんだよね。自分より弱いおもちゃで。相手を人間だと思ってたら、いじめなんてできないよね。感情のおもむくままに、醜悪(しゅうあく)なゲームで遊んでいるんだもんね。

 ぼくもツイッターでよく死ねとか消えろとかブスとかウザいとか言われます。顔が見えないから体は傷つかないけど、匿名(とくめい)なぶん、言葉のナイフは鋭(するど)いです。

 ぼくだけでなく、時には家族を傷つけられることもある。涙が出ないくらい苦しくて、死にたくなる日もあります。

 けれどぼくは、ぼくがいくら泣こうが、本当に自殺しようが、その人たちが何も感じないことを知っている。いじめられた子が苦しんで、泣いて、死んでも、いじめた子は変わらず明日も笑ってご飯を食べる。いじめは、いじめた人には「どうでもいいこと」なんです。

 いじめを止めるのは、残念ながらいじめられた子の死ではありません。その子が死んでも、また他の子でいじめは続く。いじめは、いじめる子に想像力(そうぞうりょく)を持ってもらうことでしか止まらない。

 いじめゲームをしている君へ。

 あのね。キモい死ねと連日ネットで言われるぼくが生まれた日、パパとママはうれしくて、命にかえても守りたいと思って、ぼくがかわいくて、すごく泣いたらしいですよ。この子に出会うために生きてきたんだって思えるくらい幸せだったんだって。それは、ぼくが生意気(なまいき)になった今でも変わらないそうですよ。

 想像してください。君があざ笑った子がはじめて立った日、はじめて歩いた日、はじめて笑った日、うれしくて泣いたり笑ったりした人たちの姿を。君がキモいウザいと思った人を、世界中の誰(だれ)よりも、じぶんの命にかえても、愛している人たちのことを。

 そして、その人たちと同じように笑ったり泣いたりして君を育ててきた、君のお父さんやお母さんが、今の君を見てどう思うのか。

 それは、君のちっぽけな優越感(ゆうえつかん)と引き換(か)えに失ってもいいものなのか。いま一度、考えてみてください。

(はるな・ふうか=タレント)

(朝日新聞デジタル2012年8月16日23時10分)

 

弱者イジメがなくなる日はいつ......。