以前このブログで書いたものを手直ししてnoteにアップしたのですが、それを逆輸入?(笑)
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私の子どもの頃の夢は二つ。
ひとつは世界中を旅してまわること。
ひとつは世界中を旅してまわること。
そしてもう一つは子どもを産んでその子たちと毎日楽しく暮らすこと。
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世界中を旅することよりも、これは人生を歩いていけばかなり高い確率で叶うのだと勝手に思っていました。
ですが、高校二年の夏に突然の腹痛で緊急手術を期に一気に実現が難しくなりました。
その病名は卵巣嚢腫。片方は全摘。もう片方もごく一部を残して摘出。
医者から言われたのは
・原因は不明。
・腫瘍の古さなどからおそらく生まれつきあったと思われる。
・子どもができる確率は、残った卵巣がきちんと機能すれば100%、機能しなければ0%
・原因は不明。
・腫瘍の古さなどからおそらく生まれつきあったと思われる。
・子どもができる確率は、残った卵巣がきちんと機能すれば100%、機能しなければ0%
それを聞いて16歳だった私は、なんでよおおおおおと泣きました。
例えば風邪をこじらしたとか、不摂生がたたって病気になったなど、自己責任であったり、防ぎようがあるものならば納得できたかもしれません。
ですが「生まれつき」の病気である日突然卵巣をほとんど摘出されちゃうって、私にはどうしようもないじゃないか!!
神様なんて大大大きらいいいい!!!!
ですが「生まれつき」の病気である日突然卵巣をほとんど摘出されちゃうって、私にはどうしようもないじゃないか!!
神様なんて大大大きらいいいい!!!!
それが当時の私の本心。
手術したあとも高校二年生の夏休みを挟んで3ヶ月も入院することになりました。
学校祭もお祭りも花火大会もテニス部の夏の合宿も行くことは叶わず。夏休みすべてが病院の中。
なのにお見舞いに来るクラスメートたちは、誰それに告白された、付き合うことになった、お祭りに行ったと楽しそうな話ばかり。
仕方ないとわかっていても、そんな日々に悲しくて毎日病院の屋上で泣いていました。
学校祭もお祭りも花火大会もテニス部の夏の合宿も行くことは叶わず。夏休みすべてが病院の中。
なのにお見舞いに来るクラスメートたちは、誰それに告白された、付き合うことになった、お祭りに行ったと楽しそうな話ばかり。
仕方ないとわかっていても、そんな日々に悲しくて毎日病院の屋上で泣いていました。
そんなある日、小雨の屋上でしくしく泣いていると、突然雨が上がって太陽が空に輝きだした瞬間に、私の中に人生の指針になる出来事が起きたのです。
その瞬間まで悲劇のヒロインだったのに、空が突然晴れて、ぱーーっと光が差したのを見て、一瞬悲しみを忘れて見惚れてしまいました。
その時にふと、
「今私が見ているこの太陽は、地球上のすべての人が見ている太陽と同じものなんだ」と思ったのです。
「今私が見ているこの太陽は、地球上のすべての人が見ている太陽と同じものなんだ」と思ったのです。
何を当たり前のことと思うかもしれませんが(笑)
もちろん私だって知識として当然知っていたのに、唐突に、「私が見ているのと同じ太陽を見ているんだ!」と感動したのです。
まるでヘレンケラーが水(ウォーター)という存在を認識した時のように。
(ガラスの仮面で知ったシーン)
(ガラスの仮面で知ったシーン)
すると、たくさんの国の人たちが空を見上げているシーンが次々に頭に浮かんできて、私の苦しみなんて世界の中で苦しんでいる人たちの規模に比べたら小さいんだと思ったのです。
その思考に覆いかぶさるように
「子どもを生めない運命ならば、卵巣は全部摘出することになっただろう」
と誰かに言われた気がしたのです。
私がそう考えついたという感覚ではなくて、そうなんだ!とはっとするようなメッセージでした。
更にその声が続けました。
卵巣がほとんどなくなったから子どもを生める可能性が減ったと思うのか。
卵巣が一部残っているから子どもを生める可能性が残ったと思うのか。
同じ出来事でも視点を変えれば不幸にもしあわせにもなる。
大事なのは、自分でどちらを選ぶのかだ。
誰かに言われたのではない。たぶん自分で考えたとも思えないその言葉。
実は私は幼い頃から困ったり悩んだりしていると、「それはこれである」とまるで誰かが教えてくれたとしか思えない言葉が頭の中に突然わいてくる不思議な現象がよくありました。
幼い私はそのことを誰にも秘密にしていまして、密かにその声の主を「神様」と呼んでいました。一番幼くて記憶にあるのは、仏教系の幼稚園でお坊様にお話を聞いていた時ですから、ほんとうに子どもの頃からです。
我が家に特定の宗教などなく、一般的な仏教徒で、せいぜい祖父が神棚に足を向けてはいけないよと注意するレベルの宗教観でした。
でもなんとなくですが、それは自分を超えた存在だから、きっと神様だと思ったのです。
だって、おうちにあった名作文学の絵本でもよく、主人公が困ると神様や女神様が出てきて何かを教えてくれていたから。
つまり「あれ」だ、と単純に思っていたのです。
でもなんとなくですが、それは自分を超えた存在だから、きっと神様だと思ったのです。
だって、おうちにあった名作文学の絵本でもよく、主人公が困ると神様や女神様が出てきて何かを教えてくれていたから。
つまり「あれ」だ、と単純に思っていたのです。
病院の屋上でその声を聞いた私は、
「神様は私に子どもを与えて下さるのだ。だから一部を残してくれたのだ」と感じました。
だって神様が生ませるつもりがなければ、全部を摘出する世界を与えただろうと素直に思ったからです。
「神様は私に子どもを与えて下さるのだ。だから一部を残してくれたのだ」と感じました。
だって神様が生ませるつもりがなければ、全部を摘出する世界を与えただろうと素直に思ったからです。
その時から、絶対生めると信じていた私は、成長して普通に三人の子どもを産むことができました。
この経験からすべてにおいて、
「いい面から見たらこれってどう表現できるんだろう?」
と考える癖がつきました。
「いい面から見たらこれってどう表現できるんだろう?」
と考える癖がつきました。
今でこそそれはスピ系の本などにも登場する当たり前の発想ですが、まだ16歳だった当時の私にはすごい発見でした。
あの体験があったから、人生の荒波を乗り越えてこれたと感じています。
人生の大きな夢の一つ「子どもを生んで楽しく暮らしたい」
まあ、シングルマザーで働き詰めでしたので、楽しく暮らしていたのかは正直わかりませんが、一応叶ったのかな、と。
まあ、シングルマザーで働き詰めでしたので、楽しく暮らしていたのかは正直わかりませんが、一応叶ったのかな、と。
あとはもうひとつの最大の夢、小学校の卒業アルバムに書いた「3カ月くらいずつ、世界のいろんな国に住んでみたい」という将来の夢。
こちらを叶えていくだけだ~って思っています(*^_^*)
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