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小説『ゴリラ裁判の日』

2023年09月22日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

主人公は雌のニシローランドゴリラ↓、

名前はローズ
カメルーン↓のジャー動物保護区のジャングルで、


父・エサウをリーダーとする家族と共に暮らしていたが、
実は、母親のヨランダとローズは特別な存在だった。
母娘ともども、言語を理解でき、
手話で話すことができるのだ。
ジャングルの中の研究室で手話を教えてもらった結果だった。

手話を使って人間と「会話」をすることができたゴリラには、
先例として、「ゴリラのココ」↓がいる。


2018年、カリフォルニア州で46歳で亡くなった。

ヨランダの知能は5歳児程度だが、
ローズは高校生並。
好奇心と向上心に満ちており、
その上機知とユーモアまでそなえている。
まさに、並の人間以上の存在だった。

父親が他のゴリラグループの攻撃を受けて亡くなったので、
母娘はアメリカに行くことになる。
ローズは映像を見て学習する能力があり、
研究所でアメリカのドラマなどを観て、
アメリカは「夢の国」だと、
憧れがつのっていたのだ。
母親は映像を観ての学習能力はなかった。
そして、ベンチャー企業で開発された
手話を音声に変換できるグローブを装着、
人間と音声で会話できるようになる。
「声」をも獲得したのだ。

グローブのメーカーのCMに出演し、
世界に衝撃を与えた後、
渡米後、1カ月の隔離期間を経て、
シンシナティの動物園のゴリラパークに入り、
そこのグループに加えてもらう。
雄ゴリラのオマリはローズの夫になる。
(ゴリラは一夫多妻制)

ローズは「会話するゴリラ」として人気者となり、
夫のオマリたちと動物園で幸せに暮らしていた。
ある日、柵を乗り越えて男の子がゴリラ舎に侵入し、
オマリがその子をひきずり回したため、
動物園職員により、銃殺されてしまう。

これは、ハランベ事件という、似た事件が実際にあった。

ハランベ事件・・・2016年5月28日の午後、
         米国シンシナティの動物園で、
         囲いの中に落ちた男の子を手荒に扱った
         雄のゴリラ・ハランベ
         (体重190キロ以上のニシローランド・ゴリラ)が
         射殺された事件。
         男の子の命が危険にさらされているとして、
         麻酔銃を使わず即座に実弾射撃に及んだ園側のふるまいに、
         厳しい批判、擁護論、様々な意見が飛び交うことになった。

しかし、ゴリラだから殺処分が許されたというが、
人間だったらどうなのか。
事件はもっと精査され、
責任を問われる者があぶり出され、
ふさわしい罰が科せられるはずだ。
ローズはそれを求めようと決意し、
動物園を訴える

「夫が殺されたら、警察を呼ぶ。
 犯人が裁かれないなら裁判を起こす。
 普通のこと、私は間違ったことをしていない」

裁判の結果、ローズ側は敗訴。
一旦引いたローズだったが、
紆余曲折の後、上訴し、
司法の壁、人間とゴリラを隔てる壁に挑戦する。

本書はハランベ事件をモチーフとしている。
もしもハランベに「遺族」がいて、
射殺は不当だと訴えることができたなら?
その裁判は、様々な要因を内包していた。
人間と動物の区別は?
「人権」とは?
動物の命と人間の命は価値が違うのか?

ただ、作者は、この話はハランベ事件より早く着想していたという。

作者は言う。
「いちばん書きたかったテーマは
人間の限界というか、人間というものの枠組みです。
人間というものの枠組みは僕たちが思ってるものとは違うんじゃないか
っていうところがいちばん大きなテーマなんです。
ただ最初は人間が進化した時に人間の枠組みから出てしまうものは何かないか、
こぼれ落ちるものは何かないかっていうのを考えていたんですよね。
そしたら調べていくうちに引っかかったのが「人権」で。
人権って全ての人間が持っている、
全ての人間に平等に当てはまると言われますし思ってますけど、
その「全ての人間」が何を指すのか(の定義)がないんですよ。
それが僕の中ですごく衝撃で。
それを小説にしたいなと思ったのがきっかけなんですね。
だから最初はゴリラの話じゃなかったんです」

裁判で負けた後、ローズは報道陣に言う。

「私は諦めた。
 正義は人間に支配されている。
 裁判は動物に不公平だ」
「裁判官も陪審員も全て人間。
 誰も私たちゴリラのことを理解しない」

これは深い示唆に富んでいる言葉だ。
昔、アメリカでは黒人に「人権」はなかった。
殺されても、犯人はつかまらない。
裁判をしても、陪審員は全員白人。
誰も黒人のことを理解する者はいない。
更に言えば、
昔、女性にも人権はなかった。
女性の参政権が認められたのは、
まだ一世紀前にも満たない。

ジャングルの研究所には、
サムとチェルシーという男女の研究者がいるが、
二人の研究課題は
「類人猿は文章を作れるか」の再研究。
既に、先行する研究者によって、
その能力は否定されている。
ローズの発見は、その結論をくつがえすものだった。

手話を音声に変換するグローブを付ける際、
どの声色にするかを選ぶ場面も興味深い。
低すぎる声、高すぎる声、
お嬢さんのような声、役員のような声。
そして、ふさわしい声を得た時、
ローズは開発者のテッドに言う。
「テッド、私は自分の声を見つけた。
 とてもいい声。ありがとう」
そして、サムとチェルシーにも声で感謝する。
「サムとチェルシーもありがとう。
 二人がいなかったら、
 お母さんも私もただの普通のゴリラだった。
 言葉も分からず、
 人間の文化も知らなかった」
その装置では、
罵倒や汚い言葉、下品な表現
は翻訳しないようにプログラムされているのも面白い。

途中、ローズは自分の立場に悩む場面がある。

私はゴリラではない。
私は人間でもない。
ゴリラと人間の合間で彷徨(さまよ)う何かだ。
私は誰かに理解してもらいたかった。
私の気持ちを。
私の孤独を。

研究所を訪問して来た上院議員の力で、
ローズはアメリカに行くが、
それがカメルーン政府からアメリカに対する
10年間の貸し出し、というのだ。
(パンダと同じだ)
なにしろ、ニシローランドゴリラは、
絶滅危惧種
ゴリラはヒガシゴリラ(ヒガシローランドゴリラ、マウンテンゴリラ) 
ニシゴリラ(ニシローランドゴリラ、クロスリバーゴリラ) 
に分類され、いずれも絶滅危惧種に指定されており、
ワシントン条約により国際取引が禁止されている。

ローズのCMに対して、
CGだ、ロボットだ、特殊メイクだと疑う声が上がる。
映画「猿の惑星」を観ているからね。
その疑惑は記者会見で吹っ飛ぶ。
記者たちは、ローズの言語能力、知性や機知に驚く。
特に、記者がゴリラの生殖について無礼な質問した時、
「もしあなたが他の記者の前で、
 あなたのセックスライフを語ってくれるのであれば、
 その後で質問に答えます」
とい返すあたりは痛快。

ローズには姓が与えられる。
ローズ・ナックルウォーク。
これは前肢を握り拳(ナックル)の状態にして地面を突いて歩く
ゴリラ独特の四足歩行のこと。


ローズは、この姓を気に入る。

ローズは最初の裁判に負けた後、
誘われてプロレス興行団体に入り、
プロレスをするが、
ここはちょっと行き過ぎか。
体重100キロ未満だから可能かもしれないが、
筋肉の能力が人間を遥かに越えているのだから。
プロレス興行に際し、
「動物虐待反対!」のプラカードが現れたのは笑えた。

裁判の中枢にあるのは、
動物の取り扱い。
動物は人間より劣っている、
人の命は動物に優先される。
差別だ。

新しい裁判の弁護士ダニエルは自信を持って言う。
「(勝つには)君が人間になればいいだけさ」
「いや、君はもう人間なんだ。
 僕以外の誰も気付いてないが、君は立派な人間だ。
 君だけじゃない。
 ゴリラはみんな人間なんだ。
 もちろん、オマリも人間だった。
 だから君とオマリを救うために必要なのは動物の権利じゃない。
 君たちを守るのは人権だ。
 だから裁判で負けるはずがない」
そして、証人に立った類人猿学者を追及し、
「人間と動物の違いは、複雑な言語体系を持つか否かだ」
という見解を引き出す。
つまり、言葉を持つローズは人間なのだ!

そして、ローズは裁判の最後に、次の言葉を口にする。

「たとえ私が檻に閉じ込められていても、私は人間である。
 たとえ私が未熟でも、私は人間である。
 たとえ私が間違いを犯しても,私は人間である。
 たとえ私がゴリラでも、私は人間である」

ゴリラの裁判を通じ、
人類の存在や
差別の歴史まで想起させる、
高級な寓話
アメリカで映画化されないか。

昨年のメフィスト賞受賞作

メフィスト賞・・・講談社が発行する文芸雑誌「メフィスト」から生まれた
         公募文学新人賞。
         ジャンルは「エンタテインメント作品(ミステリー、ファンタジー、
         SF、伝奇など)」という大まかな区分。

筆者の須藤古都離(すどう・ことり)。


卓抜な着想、構成力、表現力と、
とても新人とは思えない快作を生んだ。
メフィスト賞は、下読みを雇わず、
編集者が自ら全応募作に目を通すというが、
この作品にぶち当たった時の
編集者の驚愕と歓喜が目に見えるようだ。

 



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