朝日新聞が、危機的な状況に陥っているという。
1990年のピークから20年にわたり誇ってきた
800万の発行部数も、
ここ10年はつるべ落としのように急落を続け、
2022年には約半分の400万部あまりまで激減し、
2021年度にはついに400億円を超える大赤字に転落してしまった。
同時期に他の新聞社も軒並み発行部数を落としてはいるが、
その中でも朝日の凋落ぶりは群を抜いている。
朝日新聞の発行部数が激減するようになった直接のきっかけとしては、
2014年に相次いで発覚した
「2つの吉田問題」が挙げられることが多い。
その一つは、吉田清治氏の従軍慰安婦に関する捏造に対する報道で、
もう一つが東日本大震災時福島第一原発の所長だった吉田昌郎氏が
政府事故調に対して語った調書をめぐる「吉田調書」報道の誤報だ。
このことに関し、
当時、記事を担当した特別報道部のデスクという立場にあり、
問題の責任を取らされる形でデスク職を解任されたばかりか
報道とは無縁の部署に飛ばされた、
元朝日新聞記者の鮫島浩氏が
真相を語っている記事が出ているので、
紹介しよう。
吉田調書問題・・・
2011に発生した東日本大震災による福島第一原子力発電所事故で
陣頭指揮にあたった、吉田昌郎・福島第一原子力発電所所長(当時)が
「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」
(政府事故調)の聴取に応じた。
その聴取内容をまとめた「聴取結果書」(「吉田調書」)は
当初、本人の上申書に基づいて非公開とされていた。
しかし、吉田昌郎元所長が死去した翌年の2014年5月に、
朝日新聞は非公式に入手した「吉田調書」の内容と称して
事故当時福島第1原発にいた所員の9割に当たる約650人が
吉田昌郎所長の待機命令に違反し、
第2原発へ撤退した、
とするスクープを報じた。
これを受け、ニューヨーク・タイムズなどの海外有力メディアは
「パニックに陥った作業員が原発から逃走」
などと批判的な論調で一斉に報じた。
他の報道機関(産経新聞、NHK、読売新聞など)も「吉田調書」を非公式に入手し、
「命令違反し撤退」という朝日新聞のスクープ記事を
真っ向から否定する報道を行った。
こうした動きを受けて、
政府は吉田調書を公開し、
事実が白日のもとにさられれた。
その結果、
朝日新聞は木村伊量社長や杉浦信之取締役編集担当(いずれも当時)らによる
記者会見を開き、記事を取り消した上で謝罪し、
6人に処分を下し、記事を執筆した記者2名は減給処分となっている。
鮫島氏は、一連の問題は
朝日のリベラリズムに起因するものなどではなかったと言い切る。
リベラルだから叩かれると思われている
朝日新聞という組織の実態は、
実際には権威主義の塊であり、
社内には報道部門であってもサラリーマン根性丸出しの
官僚主義と出世至上主義や事なかれ主義が隅々まで蔓延している。
それが朝日では多くの問題を生んでいると鮫島氏は言う。
吉田調書報道については、
記事のニュアンスに対して
社内からも懸念する声があがったため、
担当デスクだった鮫島氏は
ニュアンスを修正するための補足記事の配信を上司に提案した。
しかし、当時の朝日新聞の社長が
この吉田調書のスクープ記事を新聞協会賞に応募することを決め、
非常に前のめりになっていたため、
社長周辺の幹部たちが、
補足記事などを配信すれば記事の権威に傷がつき、
それが結果的に社長の顔に泥を塗ることになるのを恐れたため、
鮫島氏の提案が却下されたという。
つまり、リベラルの社風が原因ではなく、
社内的な理由、サラリーマンの事情だったというのだ。
しかし、飯島氏は、
記事が書かれた後のことには触れているが、
何故このような記事が書かれたかについては、
検証を避けている。
当時、吉田調書は、ほんの少数の限られた記者の目にしか触れていなかった。
だから、誤報を周囲が気づく機会がなかった。
では、その記者たちは、
何故調書の読み違えをしてしまったのか、
そこに、反政府、反日というバイアスがかかっていなかったか。
そういう目で調書を読んだから、
ああいう記事になった、と思う方が自然だろう。
バイアス・・・
傾向、偏向、先入観、データ等の偏り、
思考や判断に特定の偏りをもたらす思い込み要因、
得られる情報が偏っていることによる認識の歪み、
といった意味で用いられる語。
処分と同時に発表された西村陽一取締役の談話では、
「社内調査の結果、
取り消した記事は、意図的な捏造でなく、
未公開だった吉田調書を記者が入手し、
記事を出稿するまでの過程で
思い込みや想像力の欠如があり、
結果的に誤った記事を掲載してしまった過失があったと判断しました」
と、社内調査でも必ずしも「虚報」とは結論付けられていなかったとしている。
「思い込み」?
それこそ、リベラルのバイアスがかかっていたことを吐露していないか。
少なくとも、担当記者は客観的な姿勢で資料を読み込むことができなかったのだ。
それとも、非公開だから、
誰も検証できないと、たかをくくって意図的に誤報をしたのか?
上に書いたとおり、
記事は世界に発信され、
「なんだ、日本人もたいしたことないな」
と思わせた尾ことは事実である。
朝日の古い体質にほとほと嫌気がさし、
50歳を前に朝日を退職して
自分ひとりで新しいメディアを立ち上げた鮫島氏は、
朝日新聞や既存メディアは生き残れないのか、
政府から数々の特権を得ながら
ジャーナリズムを標ぼうすることがいかに欺瞞に満ちているかなどについて、
語ったという。
この報道に対して、
ネットの書き込みは、かなり本質をついている。
○本質的な問題として、朝日は事実を事実として報道しているのか?
という事だと思います。
事実を意図的に偏光フィルターをかけて見ているのでは?
或いは、事実を事実と見る目を持っていない記者がいるのでは?
と感じてしまいます。
つまり、「赤旗」のように何らかの意図を含んだ記事を、
誰かのために作っているのではと。
そういった印象を持たれてしまっては、
自称クォリティペーパーとしては成立し得ませんよね。
まずする事は、信頼回復なのではないでしょうか?
単純な事です、事実を事実として伝える事だけだと思います。
○真実は真実として報道した上で
リベラル的な分析を加えればいいのですが、
自分の政治的信条から誤った選考基準に基づいて
誤った事実を報道するのでは傾向報道というほかなく、
自分が左右どちらの立場にあっても有害なので見るべきではないということになります。
朝日の凋落は、熱心なファンは傾向報道の心地よい調べに酔ってくれたが、
そうでない人は読む価値がないと判断したというだけのことでしょう。
○朝日はメディアとして一番大切なファクトチェックを怠り、
大誤報を出してしまった事で一気に信頼を失ったと思います。
使命や正義感も方法を間違えば、
ただの独善や扇動でしかなく、
本当の共感は得られないと思います。
○朝日新聞は、いつも説教じみているのが問題だと思います。
つまり、リベラルと言おうがなんと言おうが、
そういう価値観ありきで、
それを押し付けようと必死になっている点が
今の国民に合わないのだと思います。
○リベラルだからリベラルじゃないからとか権威主義がどうとかの問題ではなく、
日本政府を批判するためには真実には目を背けるだけでなく、
事実をでっち上げてあたかも真実の様に報道するその姿勢が問題。
日韓関係悪化の最大の要因である「吉田証言」を
今更否定するも
海外向けにはその誤報(意図的な報道)を正すこともせずに放置したまま。
その姿勢が読者離れを産んでいる。
○本来リベラルという用語には「自由主義」 という意味合いが含まれているが、
現状日本でリベラルと名のつく政党・メディアは
自由とはかけ離れた不寛容かつ左翼的勢力であり
愛国心とはかけ離れた言説を弄している。
その証拠に彼等の発信から「日本の国益のために」 という内容が
聞こえてきた試しがない。
朝日新聞社が叩かれるのも同列の事柄であり
鮫島氏は古巣の危機を救いたいなら
今すぐに明確に国益を第一とした救国の論陣を張るようアドバイスすれば良い。
○吉田調書における誤報問題を記事の表現のニュアンスの問題にしているが、
その程度の問題ではないと思う。
吉田所長も生前語っていたが
現場の人間は放射能汚染の危険に曝されながらも
ぎりぎりの中で必死になって対応してた。
問題になった福2に移動した職員たちも、
所長の指令が間違って伝わっただけで指示に違反してのものでもなかった。
これは記者側にそうであろうという予断があったのだろう。
だから、所長の命令に違反して退避していた職員が大半だったかのような
表現を使った。
これは単純なニュアンスの問題で済まされないと思う。
たぶん朝日新聞社の思想的な問題が起こした重大な過失だと思う
○自分たちが目指す方向のみを常に「正しい」と記事にするから批判される。
物事には正の側面と負の側面が必ず存在する。
負の側面だけ強調して政権批判に走った記事ばかり量産することを
「ジャーナリストの使命」と考える記者が多いのが朝日新聞でしょう。
○リベラルであるはずなのに、中国共産党寄りの視点でしか、
香港や台湾、ウィグルやチベット問題を報道してこなかったから。
人権を大切にするはずなのに、
北朝鮮による拉致問題を真剣に取り上げてこなかったから。
隣国と仲良くと言いながら、対立を煽る慰安婦問題を提起し、
一方で隣国の歴史問題には全く触れようとしないから。
○間違っても新聞は政府のチェック機関だなどと自惚れないこと。
事実だけを伝えればよろし。
いいか悪いかは国民の判断に委ねることです。
事実だけを伝えていれば必ずや必要とされるでしょう。
○カナダに30年住んで感じたことは、
ここでのリベラルは保守とともに国を愛しています、
その上で政策で違いを出して結果的に国を良くしていこうとしています。
だから国旗掲揚も国歌斉唱時も大声で歌います。
反面日本のリベラルと言われる人たちは
半数以上が本来のリベラルという人達というより
共産主義者の方が多いのではないでしょうか。
リベラルというのを隠れ蓑にして日本の国自体を変えようとしたり、
国自体を崩壊させようという行動が多いように思えます、
その政策さえ日本国、日本国民の為にはなっていないような気がします。
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