空飛ぶ自由人・2

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小説『絞め殺しの樹 』

2022年07月01日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

昭和10年。
孤児のミサエ・10歳は、育った新潟から
生まれ故郷であり、
祖母と縁のある根室の農家・吉岡家に引き取られる。
実際は新潟の育った家から売られるようにして来たわけで、
吉岡家は労働力としてミサエを買ったのだ。
ミサエは、そこで、学校にも行かせてもらえず、
ボロ雑巾のようにこき使われた。
給料も支払われず、「使われ人」としての暮らしは、奴隷そのものだった。
廊下で寝させられ、寒さに震える毎日。
しかし、ミサエは、そこで骨を砕くようにして働いた。

この戦前の農村という社会構造の中での
使用人の雇用状況は、大変興味深い。
それだけでなく、
昔の屯田兵で、最初に入植した、というプライドにすがる
吉岡家の夫婦と子どもたちが
底意地の悪い人たちで、
いたわりもなく、驚くほどの低級な人間として描かれる。
近所の農家に手伝いに行かされ、
ミサエの服が小さくなったのを見かねて
子どものお下がりを提供されると、
プライドを傷つけられたと怒るような人たちだ。
親切にしてくれたのは、
その農家の人と寺の住職、
そして、置き薬の行商の小山田だけだった。

その住職の口ききで学校に行かされるようになったミサエだが、
そこでも蔑視といじめが待っていた。
ミサエの成績が良いと、吉岡家の子どもたちが嫉妬したのだ。

絵に描いたような、貧農での苦労話で、「おしん」を彷彿とさせる。

やがて、ミサエが遊廓に売られそうになった時、
助けてくれたのは小山田で、
札幌の薬問屋で奉公できるようにしてくれた。
そこでミサエは初めて人間らしい暮らしを手に入れる。
資格を得て、小山田に懇願されたこともあって、
ミサエは根室に戻り、保健婦として、地元に貢献する。
銀行員の男と結婚したが、
娘が学校でいじめに遇い、自殺する。
そのため夫と離婚し・・・

とミサエの苦労話に
なぜ逃げ出さないのか、他の土地での暮らしもあるだろうに、
と思うが、
北海道の田舎での地縁、血縁のしがらみとは
そういうものだったのだな、と思わざるを得ない。
それにしても、前夫と離婚した後、
生まれた男児を、よりによって吉岡家の養子にするなど、
呪縛されているとしか思えない。
しかも、母であることは秘密にしろ、
親として接触するな、という一札まで入れさせられて。

辛い思い出ばかりの根室から去ればいいと思うが、
ミサエは留まる。
その心境も描かれているが、
今の自由な気風の時代との違いを痛感する。
当時の日本人は、生まれた土地に縛られて生きていくしかなかったのだ。

そのミサエの苦労話が第一部。
吉岡家に養子に出された雄介の成長物語が第二部。
母と同様、吉岡家でこきつかわれていた雄介だったが、
様々な経緯で、北海道大学に進学する。
そこで、亡くなったミサエの前夫や
小山田の息子の俊之との対決などが描かれる。
俊之は、ミサエの娘を自殺に追いやった人物で、
狭量な正義感をそのまま持って、大人になっている。
その間に、ミサエの出生の秘密、
小山田との関係が明らかになるが、
もう何が起こっても驚かない。

大学を卒業した後、別天地で生きる道もあったが、
雄介は、根室に帰り、実家を継ぐことを決意する。

という親子二代の物語を描いて、
一気に読ませる。
暗い、辛い話だが、
ミサエと雄介という二人の人物への感情移入が容易なので、
引きつけられる。

ミサエは、奴隷のような生活から解放された自分を、こう思う。

学ぶ機会を得て手に職を得られた自分は
非常に恵まれていたと思わずにはいられない。
せめて人の役に立つことが、
自分の幸運への恩返しだという気がした。

このように思えるミサエは、本当に善良だ。
その善良さにつけ込んで、
無理難題を持って来る吉岡家ほかの人々は鬼畜のようだ。

題名の「絞め殺しの樹」とは、
聞き慣れない言葉だが、
Wikipedia にも出て来る。
他の木に絡みつき、栄養を奪いながら締め付け、
元の木を殺してしまう蔓性の植物。
釈尊が悟りを開いたという菩提樹も、
実は、そのイチジクの仲間だという。

寺に嫁いだ叔母がある時、雄介に言う。

「人は、木みたいにね、
すごく優しくて強い人がね、
奇跡的にいたりするの。
ごくたまにね。
でも実際には、
そういう人ほど他の人によりかかられ、
重荷を負わされ、
泣くことも歩みを止めることもできなくなる。
あなたのお母さんも、そんな子だった」

そして、雄介は、こう思う。

しんどい人生になりそうだ。
そこに楽しみは欠片(かけら)でもあるのだろうか。
雄介は寺で叔母から話を聞いて以来、
子どもの頃にこの家で働いていた実母も
こんな気持ちを抱いて生きたのかもしれない、
と折にふれて思うようになった。
そして同時に、
優しくあろうとした木が
菩提樹に絞め殺されるのだという譬えを思い出す。
俺もそうなるのだろうか。
血の因縁ではなく、
環境の因縁として、
結局は同じ場所へと誘われて
絞め殺されていくような、
そんな痛みを生々しく想像してみる。

そして、こう決意する。

いずれ俺はそこに帰らなければならないのだ。
あらゆるしがらみが俺に巻き付き、
寄りかかってくるであろう大地だ。

最後に雄介の至った境地。

哀れだ。
雄介はそう思う。
絡み合い、枯らし合い、それでも生きる人たちを、
自分を含めて
初めて哀れだと思った。
我々は哀れで正しい。
根を下ろした場所で、
定められたような生き方をして、
枯れていく。
それでいい。
産まれたからには仕方ない。
死にゆくからには仕方ない。

新進作家・河崎秋子、渾身の女の一代記もの。
あっという間に読み終えた。
今回の直木賞候補

 



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