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小説『信長、鉄砲で君臨する』

2023年09月14日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

「家康、江戸を建てる」の著者・門井慶喜
鉄砲の発展の歴史を通して、
織田信長と西洋文明の対峙と、
日本の大転換期を描く歴史小説。
種子島に鉄砲が伝来してからの約40年を
5つの切り口で物語を綴る。

1. 鉄砲が伝わる

天文十二年(1543年)、種子島に二挺の鉄砲が伝来した。
この時、領主・種子島時堯は
鉄砲が弓に代わる武器になることを見抜く。
そして、鉄砲の製造を命ずる。
今後、鉄砲は外国から“買う" のではなく“作る" のだと。

2. 鉄砲で殺す

その頃、織田信長は吉法師と呼ばれ、
那古野に城を与えられたばかり。
周囲から「うつけ」(愚か者)呼ばわりされた、
海の物とも山の物ともつかない存在だった。
鉄砲に出会った吉法師は目を爛々と輝かせ、
天下取りを確信した。
吉法師に命じられた橋本一巴は鉄砲の製造にとりかかる。
その難題が“雌ねじ”だったというのも興味深い。
日本にはね雌ねじを作る技術がなかったのだ。
一巴は、岩倉攻めで弓の師と差し違える。

3, 鉄砲で儲ける

鉄砲には火薬が必要だ。
その材料は木炭と硫黄と硝石
木炭と硫黄は国内で手に入るが、
硝石は外国産のものに頼らざるを得ない。
堺の商人・彦右衛門(後の今井宗久↓)は


千与四郎(後の千利休↓)と硝石の争奪戦を繰り広げる。


船に乗り、海上での取引に参加するが・・

信長から二万貫を要求された時、
会合で反対する商人衆の中で、
彦右衛門だけが応ずる意見を述べ、
ただし、鉄砲、弾丸、火薬は堺からのみ購入する条件を
つける案を出した時、
賛成したのは与四郎だけだった、
という話も面白い。

そのような境地に至ったのが、
彦右衛門が自ら船に乗って外洋に行った結果、
得たのだという。
彦右衛門はこう言う。

「視界(みとおし)のひろさ、と言いかえてもいい。
まがりなりにも
この身を無限の外洋に置き、
ことばも通じぬ異人を相手にして
命かぎりの交渉をおこなってしまうとな、
日本そのものが何とせまく見えることか。
こればかりは経験しないとわからない。
こんな小さな土地をさらに六十余州に切り割って、
取ったの、取られたりのと大さわぎをするなぞ
蟻の群れにも劣る狂気。
ばかばかしいにもほどがある。
戦国乱世など、
しょせん侍どもの遊びにすぎぬ。
あきあきした。
そんな目を得たのさ」

火薬の大量調達は、戦場で新たな戦法を生んだ。
ヨーロッパ文明を最大限に活用した信長が
日本の覇者になっていく。

弓という権威あふれる戦道具を
決定的に過去のものとした先駆者。
両将の差はひとえに鉄砲の差であり、
弾丸の差であり、
火薬の差だった。

4. 鉄砲で建てる

信長の天下取りに貢献した鉄砲足軽は
平時には安土城の足場作りの足衆であった。
信長の天主作りに熱狂し、
丹羽長秀が画策する櫓作りと敵対した。
天主は名もない人々が主役となる世の中の象徴でもあった。
結果、安土城が天主を持って築城され、
信長はその中に住む。

5. 鉄砲で死ぬ

鉄砲の初期は引き金を引いてから弾丸を発射するまで数秒かかっていたのが、
日本の職人の工夫でほぼ同時になった。
この工夫がなければ、火縄銃の使われ方も違っただろうし、
違った歴史になっていたかもしれない。

最後は信長と明智光秀との確執
寵愛を受けていた光秀との間の最初の亀裂が、
安土城を建てる際の足衆の功績を巡る評価だった、
という見解も興味深い。
足衆は鉄砲で奮戦した経験を通じて、
真に世の中を動かしているのは、
名高い個人ではなく、
むしろ無名の集団であるという確信を得た、
その確信の反映が天主の建設だったというのだ。
それを聞いた信長は不機嫌になり、
「要するにお主はこう言いたいのじゃな。
この天主はわしのものではない。
無数無名の衆庶のものじゃと」
「わしはその足衆やら、鉄砲衆のおかげでここに立っておると」
光秀の炯眼もすごいが、
こんなことを言われて信長が怒らないはずがない。

信長は体の向きを変え、屋内に入った。
ことさら音を立てて階段を下りながら、
いったい何が不愉快なのか、
われながらよくわからなかった。

明智光秀は京都係から外されて、
信長を討つことを決意する。
本能寺の変で、信長は、明智軍に鉄砲で囲まれることになる。
信長自身が、鉄砲による戦いを広めていなければ、
本能寺の変も違ったのかもしれない。

鉄砲の歴史と信長の台頭を並行して描く、
興味深い小説だった。

 



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