知人より、零式戦闘機の本をお借りして読んでいます。
いや~久々の読書です(汗)
老眼が進行してなかなか読書する気になれなかったので、良い切っ掛けとなりました。
この本は挿し絵も無く、タダ読んでいてもなかなかイメージがつかめ無いので
私はネットで機体などの情報を確認しながら読んでいます。
後で内容?を確認するためにもブログにアップすれば、分かり易いと思い、少し連載することにします。
まず最初に出て来るのは「堀越次郎」「中島飛行機」「三菱航空機」です。
「堀越次郎」はみなさん風立ちぬでご存じと思います。
「中島飛行機」は、現富士重工の前身ですね。
「三菱航空機」もご存じと思います。

では・・・本題に
大正15年から昭和2年にかけて海軍から「愛知」「中島」「三菱」の三社の航空機会社に
海軍から艦上戦闘機の競争試作が命じられた、このとき三菱は自社創立以来海軍の
艦上機を独占してきて自負しており、型式/構造は一〇式を路襲はしていたが
当時(昭和6年)九一式戦闘機は中島飛行機が製造して陸軍の主力戦闘機でした。
胴体は、初の流線型全金属機体を採用しており、主翼配置はパラソル翼で桁にはフランス製のニッケ
ル・クロム・モリブデン鋼を使用、開放式風防となっている。制式採用後も主翼や支柱の強化やエンジン
の換装等の改良が継続して行われたが、水平状態できりもみに陥りやすい癖があり、これは最後まで解
決しなかった。

昭和7年に大日本帝国海軍で採用された、九○式艦上戦闘機(中島飛行機制作)

昭和7年度から始まる海軍機の試製3ヵ年計画の一環とし、上記九○艦上戦闘機の更新を目的として、こ
の二社へ競争試作として発注された。
そして出来たのが七試艦上戦闘機である。
堀越次郎が主務を務めた飛行機です。
ただ、飛行時の安定性が極めて悪く、製作した2機(中島/三菱)とも飛行試験中に墜落してしまった。
これが三菱七試艦上戦闘機です。
ん~・・・・今にして見ると主翼も太く、固定ギアがかなり空気抵抗になるしオモチャっぽいかもですね。

しかし、この2社の七試艦上戦闘機は採用されず、九五式艦上戦闘機が日本海軍で
一時的に採用された(中島飛行機製)
九五式艦上戦闘機です(日本海軍最後の複葉機でもあります)

私のわずかな知識で本の流れに沿って書いていますので、間違いがあるかも
知れませんので、ご了承ください。 これはあくまで個人の資料ですのでご注意のほど。