六枚目のコイン

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東日本大震災のこと

2019年03月08日 01時41分44秒 | つぶやき
今から8年前だったのか?
忘れてしまうような出来事じゃないはずだが、
みんなの変わらない日常生活に、いつしか遠い思い出に変わってしまう。

そう、今日は東日本大震災の起きた日だったね。
私もまったく東北とは縁のない人間ではないので、
今日は黙とうしなきゃいけない。

定期的に仙台に通っていた、八年前までのことなので、
なんとも言えないのだが、
八年経ったのか?
あまりにたくさんの出来事がその後に起きたので、
あんまり当時の思い出に浸ることもできない。

地震の起きる数か月前に、
ビッグウェイブ(大波)が襲うとかどうとか言っていたことを思い出す。
ピンチをチャンスに変えるんだとかわめいていた私。

そのことを思うとき、
なぜ自分が仙台に行っていたのか、今でもよく理解できない。
そして、
その出来事があってから、
二度と東北の地に足を踏み入れることはない。

失望の二字を胸に刻んで、私は東北を後にしたはずだった。
ところが、
私が縁を切ったはずの東北で地震に津波が起きたという。
あわてて、私は仙台に舞い戻った。
そして、そこでしばらく滞在することになった。

国道は心配していたが、自衛隊が迅速な救助活動を行ってくれたおかげで、
国道などの幹線道路は、がれきを除いてくれて、
早い段階で車が走れる状態になっていた。

これが車が走れない状態だったあならば、
東北地方はもっと大変な状態となっていただろうと思う。

また、あらゆる道路の肩は崩れていた。
山の尾根に沿って走る道路は、ほとんど取っていいほど路肩が崩れていて、
通行止めになっていたり、一方通行になっていたり。
想像を超える地震だったということがよくわかった。

泊まれるホテルはまったくない状態で、
しばらくの間、
普通の人はホテルの利用はできなかったと思う。

コンビニ店には食品がなくなってしまっていたので、
次の商品の配送車が車で、
みんな長い間待っていたよね。

閉鎖されていた仙台空港は、五月に入ってやっと一部再開された。
きれいだった仙台空港が、あまりにの変わってしまったので、
絶句した思いがある。
それでも再開されて、良かったと一安心した。
でも、
三陸の電車はそれからのちも、しばらく再開されることはなかった。
つい最近だよね、電車が走るようになったのは。

そんなこんなで、
すべての建物がなくなった状態の町は、元に戻るということはない。
そういえば、
建物はあるのに、人影が一切ない。
まるでゴーストタウンみたいだと、知り合いは言っていた。
あの町は今、どうしてなっているだろうか?

海と言えば、凪の状態を見せたいた海岸、
穏やかそのものだった海。
海岸沿いの道路に車を走らせながら、
これがすべて人を飲み込んだのかとは信じられなかった。
そんな海を眺めながら、
津波をずっと向こうから襲ってきたときのことを、
同乗の知り合いは話してくれた。

悲しいほどの思いを感じながら、悲痛な思いで
仙台をあとにして、関西に帰ってきた。
それは4月11日の、まさに桜の花は満開だった。
まさに平和そのものといった、180度違う関西の雰囲気に、
私はあまりに違う関西の空気に、面食らってしまった。
まったく関係ないという、東日本と西日本の違い。

私は一体あの東北の出来事はなんだったのだろうかと、
一瞬幻惑を感じてしまった。
周囲の者に天災の恐ろしさを説いて、
拍子抜けしてしまうくらい、みんなの反応は鈍かった。

人間は実際に自分が体験しなければ、
他人の悲しみに共感しにくいのだ。
それが分かった。
はあ、なんだか気が抜けたような思いをした。

それから、約3か月の間、東北で見た出来事について、
そして、福島発電所で起きた爆発事故について、
それが住民の人たちを非難させ、
今も我が家に帰ることのできない多くの人がいること。
また、
農家の人たちは、二度と自分の田んぼでコメを作ることができなくなったこと。
それらのことを思うとき、チェルノブイリの事故を思い、
悲痛に沈み込んだ。

あまりに我が心は、ネガティブになってしまっていて、
これ以上、暗い気持ちでいることに耐えられなくなった。
それからというもの、
つとに明るくふるまうように努めた。

徐々に徐々に、明るくなるのを感じながら、
和才は今回の東北で体験したできごとを、
私はどう周囲の人たちに伝えるべきだろうかと思案した。

今、私はあれは幻だったんだと思いたい気持ちだ。
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