流行は、社会現象の中でも、最も注目すべきものといえる。言葉、音楽、ファッションに限らず、あらゆるものの普及には流行が関わっている(部分的・局所的であれ)と見ることができる。私は、現存するすべてのものが、機能性・必要性をさしおいて、歴史上のある時期に流行することによって、現在在り得る形として残っている、という見方を捨てるべきではないと思っている。
とはいえ流行というのはわかり難い現象である。ここで仮に「ひらがな」を例にして流行を説明してみたい。
文化史論的にいうと、
が流行現象にあたる。なかでも④が重要で、宗教は流行を利用することによって普及したともいえる。
②:誰かがひらがなを考え、使い始めた状態。この状態から流行するには、使っている人が高貴な人か有名人で、追従やあやかり心で周囲の人が真似をし出すことで起こる。
③:ひらがな表記が便利で、使いやすいことが認められた状態。この状態からは、いろいろな場面で目に止まりやすくなり、自発的に使い始めたり、人から勧められることで広まるという状態。
④:叙述・表現ともに成熟し、表記として定着した状態。表現物の充実、媒体の浸透、さらに優れた文学・逸話集が登場することによって爆発的に普及し定着する。
流行を起こそうという意図は現代の社会のいたるところで見ることができる。商売の成功には不可欠な現象だから、あからさまに煽ったり、芽生えかけの流行を利用したり、アンチキャンペーンは常套手段として、既成の流行に入り込む余地がないとなるとそれこそ手段など選んでいられない、それはもうみんな必死だ。
文化にはその維持に流行が欠かせないという側面がある。本当は流行が文化の一部というべきなのだが、流行の上に築かれた文化は流行が去れば崩壊する。均一な中では多様性を見つけにくいが、偏りの中でこそ高次での相容れないばかりの多様性が現出するのが文化だ。基盤が失われることで歴史から葬り去られた文化はいくらでもある。
一方の流行に乗ることは、他方の流行を捨てることでもある。だが、安易に流行に流されたとしても、それを安易に否定するだけでは面白くない。流行が生まれるのにはそれなりの理由があるはずだからだ。物事の存在する理由を突き止め、流れを見極めたところに歴史はあるもの。たとえば、ある流行がなかったと仮定してその後起こりうることを考えられるのは歴史を知ればこそだけれど、そういう想像する余地というか可能性とともに流行に浸れればより楽しめるだろうし、何より有意義なはずだ。