模様眺め

3DCGと模様と宇宙

貉はどの穴に棲む

2008-10-08 02:00:26 | もの思い

 少し前までは「ならば今の贅沢な暮らしを捨てられるのか?」と皮肉っぽく言う人もいた。
 いずれ資源は枯渇する。
 同じ人が今度は、資源のために戦争をするのが至極当然のことのように言うようになるのだろうか。

 企業が効率化の徹底で業績を伸ばそうとするように、国家社会にも同様の効率化が求められる昨今。
 省エネ省資源、効率化でムダを排すのはいわば社会の義務。同じものなら効率が良いほうがいいに決まっているし、ムダや廃棄物で生活が脅かされることなど誰も望んでいない。
 しかし、効率化というのは面倒が多く、効果が出にくく、わかりにくかったりするもの。
 この高度な合理化の上に築かれた社会、効率を度外視して経済を発展させてきた社会では、受け入れにくかったり敵視さえされかねない。
 このまま合理化だけの社会であり続ければ、合理性を追求してその先に未来はないと合理的に判断されたとき、実際問題として生存可能な道筋へ舵を切れるかどうか。
 はたして、効率化した未来を誰も望んでいないとしたら、民主主義がとれる選択はいくつもない。

効率化と合理化の違い
Kougou
 負荷: 経費:青 リスク:
合理化は最短ルートをとること。だから、出発地点から真っ直ぐに出口に向けて進もうとするのは、出だしとしては非常に合理的な考え方である。
効率化は関値の累計が最小になるようなルートをとること。関値は常に変動するので、最効率を得るのはそう容易ではない。
・?地点を占めることがいかに有利かわかると思う。
・例えばAとBを必ず通ろうとすると恣意的にムダが増える。

 エコを唱えるのは二種類の人があるらしい。つまり、いいことばかりではないということで、一方でエコをすすめても他方によって潰される可能性がある。
 エコが必須であるならば、それは世界が変わりつつあるということ。しかし変革期に改革が遅々として進まないのも世の常。
 日本はまた昔の轍を踏むのだろうか。

 ややこしいことをやっていると、別のことが手につかない。効率的に時間配分してやればいいのに、気持ちの切り替えができず、目先のことを優先させるほうが合理的、ということになってしまう。
 思うに、人間を合理化はできても、効率化は難しいのではないか。
 合理的な人間を効率的とは言わない。合理的な人間はいても、効率的な人間はいない。たぶん
 効率化できるのは人間以外のところまでで、人間はというと、合理化したい気持ちと合理化されまいとする気持ちがせめぎ合い、ずっと変われないまま変わろうとし続けるのかもしれない。