豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

心の余裕

2013-12-25 17:00:59 | 日記
※妻の『ダラックマのブログ』も一緒にお読みください。

※豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。




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12月24日(火曜日)午前11時半ごろに起床する。

前日からの怠情モードが抜けきらず、重い気分がしている。


ブラックコーヒーを淹れて煙草スパスパしながらPCの閲覧を始めます。

隣家から結佳ちゃんのバタバタと走り回る音と嬌声が聞こえてくる。

母親が「早く行くよ! ゆいちゃん」と呼んでいる。

妹と姪っ子は土曜日から4日間もいたのだが、ほとんど一緒に過ごしていない。

結佳ちゃんとも遊んでいないし会っておこうと思い母親の家へ。


もう出かける前らしく母親がまた「行くよ」と言っている。

結佳ちゃんが「にいに!」と嬉しそうな表情をしてくれるので、とても心地よい。

だっこしてあげて「にいにとも遊びたいやんかなあ」と言う。

まあでもお出かけなので、すぐに別れて僕は家へと帰る。


ブログの更新をしようと思い、始めるが時間が非常にかかる。


クリスマスのこと、キリストのことを同時に色々と調べていた。

クリスマスはイエスの誕生日かどうか分からないらしい、教会が冬至のお祝いをキリストの誕生日と決めたそうだ。

365分の1の確率で合っているかもしれない。


ウスペンスキーの『新しい宇宙像』を取り出してきて『キリスト教と新約聖書』の章を読む。

彼に言わせればヨハネの福音書は感情的に捉える秘教的な教えらしい。

藤原不比等が『古事記』を編纂した可能性があるように、ヨハネという天才が後代に聖書を編纂したのだろう。

一粒の麦の例えが示す様に、あの物語全体が感情に一定の影響を与える客観的芸術である。


ブログの更新を延々と遅滞しながらやっていると妹が「お兄ちゃんまたね!」と外から声をかけてきた。

縁側の戸を開けて覗き込むと、汎花ちゃんを抱いた妹と元気いっぱいの結佳がいる。

「おーまたな」

今日はサンタさんがくると言う結佳ちゃんに「良い子にしていないと来ないんだよ」と言う。

汎花ちゃんが「ばいばい」と声に出して手を振っているのでバイバーイと挨拶します。


妹たちが帰ってからも、しばらくPCと睨めっこ。


ブログの更新を終えるとお腹が空いたので、母親の家でホットケーキとご飯をいただきます。

おかず、美味しいものだったが、何食べたか忘れたな・・・・・・。

味覚に対する関心が薄すぎるので改善しないといけない。


家へ帰ると年賀状の宛名印刷をしないといけない。

しかし何をするにも、いつも以上に面倒に感じてしまう。

人間は家の中でじっとしていると心理的に参ってくるようだ。

朝の散歩はとても良い習慣だったようだと思う。

宛名印刷をして分からない部分を千鶴さんに電話して聞きます。

淡々とやって終わったら10枚も余らせてしまった。

もったいないけど、まあ万が一誰か送ってくれたら返すこともできるだろう。


会社へ行く準備を整え、母親の家で食事する。

父親に年賀状の裏面にあるお宮参りの家族写真を見せてあげる。

じっと見つめていたが反応が薄い。

焼き魚と味噌汁でご飯を食べてから、家を出ます。


近くの病院前ポストで年賀状を出したあとファミリーマートへ行く。

入り口には金色のメリークリスマスの文字が飾られている。

店内では女性店員さんがサンタの赤帽子を被ってニコやかに働いている。

若い女性には弱いので、心が晴れるが、表面的には無愛想になってしまう(笑い)

『echo』2箱と『Boss』とスパイシーチキン2つを買います。

少しだけクリスマス気分を味わい、チキンを貪りながら会社へ。


会社へ到着してから、携帯電話で様々なブログの閲覧をしてから千鶴さんに電話する。

「おかけになった電話は電波の・・・・・・ぷーっぷーっ」

時間が無いのでメールで『メリークリスマス』のご挨拶をする。

あとで返信メールがありました。

どうもイベントの日は心虚しくなることが多い気がする。

そういえば今年の誕生日とか去年のクリスマスはどうだったのだろう。

また今度、日記を読み返そうかな。


食事休憩の時間は、また携帯でブログを閲覧していました。

仮眠を取っている間に日が変わったのでクリスマスになりました・・・・・・。


仕事を終えて家へ帰ると、お風呂の準備やなんやかんやしてから、またPCで暇つぶし。

お風呂にのんびりと入ってから午前9時には就寝しました。


※さーて、ここからはマニアック話題だよ(苦笑)


この日は表面的感情の流れを観察していましたが、否定的感情は出来事を個人的に捉えるところから来ていると思います。

特に身体・感情が負担に感じること「損」と思うことに対しては必ず『否定的感情』が巻き起こります。

単純に身体が疲れる出来事とか、自分の思うようにならない出来事に振り回されている様子。

他者にも同じ流れがあり、こちらが反応すると他者も反応し、あちらが反応するとこちらも反応するループです。

心の奥には不動の『永遠に輝く愛』が煌めいている訳ですが、この表面の否定的感情を静めないと触れられません。

意識が開くように、心が対象と自己双方への注意を保つように導いてあげないといけないようです。

ここで他者の苦しみを緩和することが自己の苦しみを緩和することになる。

しかし、どのように出来事に対する感情を解放してあげることが出来るのかが、まだ分かりません。

千鶴さんが僕の自伝を読んで「心の余裕がない」と言いました。

この「心の余裕」というものは、心の器、自他を受け入れて赦していける遊び心のような気がします。

優しい人というものは、何かしら、この『心の余裕』を開くコツを身につけてきたのだろう。

出来事に振り回されず、執着せず、自他共有の悪魔的感情からの解放を目指すために『心の余裕』を研究しよう。

はやく自由になりたーい(笑い)




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