豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

人間性回復への狼煙

2013-12-26 17:09:15 | 日記
※妻の『ダラックマのブログ』も一緒にお読みください。

※豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。




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12月25日(水曜日)午後3時半起床。

起きてすぐにトイレを済ませて座禅を15分間行います。

1週間くらい習慣を全放棄していましたが、効果があるところもあるから再開した。

改善点は多々あるが、一番は心を込めないといけないということだ。

ひとつひとつの行為を楽しむことが出来ないとフラストレーションが溜まり爆発する。


座禅のあとはブラックコーヒーと煙草ですね。

PCを立ち上げてほったらかしだったエクセル予定表を再び作成する。

様々に問題がある予定表だが特に『遊び』に関する時間をどう管理するかが重要だ。

グルジェフが『楽しむ』ことを覚えなければいけないと言っている。

今までグルジェフ関連の本はたくさん読んできたが『魁偉の残像』が1番役に立つ気がする。

もちろん『ベルゼバブの孫への話』は別格なので、それ以外の本では1番、印象に残る話が多かった。


予定をある程度立てると軽く口をゆすいで顔を洗い髪を直す。

着替えを済ませるとウォーキングへ出発します。

16時半過ぎから歩いていましたが、この時間帯はせわしない活動に溢れている。

車の運転が荒い人が多いし、コンビニの店員さんも忙しさに我を忘れている・・・・・・。

『echo』2箱と『カロリーメイト』を購入して家へと帰る。

1歩1歩が2度と生きることのない大切な時間なのだが、人間は馬鹿だからすぐに忘れてしまう。


家へ戻ってブログの更新をします。

この間、妻の千鶴さんの実家へお邪魔した際に坂口恭平さんの日記を久しぶりに読んだ。

彼はあの超絶長い日記を10年も続けて書いているらしい。

そのお陰で書くことが上達したと言っているので、僕も真似したいと思った。

しかしさすがに毎日、原稿用紙10枚相当の日記を書くのは難しいだろう。

半分の原稿用紙5枚分を目標に、書く練習、1日を思い起こすワーク兼用でブログを活用しよう。

この1日を真剣に思い起こすことはグルジェフがピータースに教えたワークだ。

非常に重要らしいが、1日の終わりにその日の出来事を最初から最後まで時間の流れに従って思い起こすというものだ。

昨日が違えば今日が違う、今日が同じなら明日も同じである。


長時間をかけたブログの更新を終えると再びエクセルの予定表を作成していく。

睡眠時間に関してはグルジェフも仏陀も両者ともに眠りすぎるなと警告している。

『思い残すことなく短時間眠れ!』

しかし仏陀の『何事も速すぎず、遅すぎず』という中道が基本だとすると6時間半くらいが丁度良いかなと考える。

ウスペンスキーがエッセントゥキで行った真のワークでは毎日4時間しか眠っていなかったらしい。

身体を弛緩させることができると短時間睡眠で済むらしいから、僕は身体が硬すぎるのだろう。


18時半過ぎから作業着に着替えて、様々な準備を整えます。

計画放棄している間は、日常生活の準備に使う時間が不足していたので新鮮に感じる。


母親の家へ食事へ行くとお寿司と味噌汁を出してくれた。

美味しかったけど量が足らない(笑い)

まあでも、ほどほどに満足した方が苦しみが滅尽するらしいから良いか。


会社へ出る前に南くんに電話したが繋がらず。

19時5分に家を出ます。


会社へ着いてから千鶴さんと短時間の電話をする。

めっちゃ元気がない・・・・・・。

いつもの元気いっぱいで楽しくおかしい彼女は何処へ行ったのか!?


とにかく体も心も重いと言い、声のトーンから本当に疲れているのが分かる。

この声のトーンというのは人を感じるときに非常に明確な判断基準を与えてくれるものだ。

嘘をついている人や、自分の話に同一化している人は、声のトーンが高くなる。

一方、真剣な話をしている時は人の声のトーンは恐ろしく落ち着いている。

この違いは別にワークしていなくても、観察してみれば誰にでも分かることである。


彼女を励まして電話を切ってから仕事へ。

心配なので無理しないようにメールも送っておきました。


『私はあなたに注射した。さあ安静にしていなさい』というニサルガダッタマハラジの言葉が思い浮かぶ。

愛や癒しの仕事をするのは神(自然)であり、自分自身の行為ではない。


食事休憩の時間は様々なブログを閲覧する。

人気のあるブログを読むと、読者の方を楽しませようという意図が明確にある。


家へ帰ってからは、お風呂の準備と手洗いなどをしてから『回想のグルジェフ』を読む。

人生は映画のように起きることが決まっていて、ある感情状態にいる人はそれを見ることができると書いてあった。

これは僕の体験とも一致する。

『起きることが起きる、それ以外は決して起こらない』とは誰の言葉だったか。

何れにせよ、人生で通り抜ける風景は誰にとっても初めてのものではないだろう。


読書を終えるとお風呂にゆっくりと入ります。


出てきてからはメールの確認をして、千鶴さんに悠聖の予防接種へ気をつけて行くようにメールします。

それからインターネットを短時間閲覧し、午前9時には就寝しました。


※やたら長くなってしまったけど日々のマニアック観察も書いておこう(苦笑)


感情の動きの観察を続けていますが、人間の表面的な感情は必ず他者(環境)から起こっている。

喜怒哀楽が起こるのは自分の心の内でだが、他者や環境がもたらしてくるもので独立して内面があるわけではない。

表面的感情はその場(外側)に即した瞬時の反応だ。

これに気づいて否定的感情の表出と内的考慮(自他への非難)をしないことは可能だ。

可能だが、心(魂)の表面が傷ついているので否定的感情の内的反応を無くすことはできない。

相手への表出や内的な非難には発展させないでも、感情は鬱々と心を支配する。

時間が経過すると忘れてしまうのだが、これは時間の流れと共に出来事が変わるからであって、環境と他者との関係性が続けば変わらないだろうと思われる。

ここに何らかの影響が不足していることが明確に分かる。

一体、何だろう?

これ(否定的感情)に打ち勝つ方法が分かれば、自他共に共通している悪魔にも鉄槌を下すことができ、おそらく人間として非常に価値ある生を手に入れられると感じているのだが、難しい。

『まあいっか』という風に思えればよいのだが、この『まあいっか』がその場では出ない。


仏陀は顔に唾をかけられても「他に言いたいことはないか?」と冷静だったらしいが・・・・・・。

またイエスは「右の頬を打たれたら、左の頬も差しだせ」と言っていたらしいが・・・・・・。

一体全体、どのような理解が、こんなに凄い人間性を生み出すのだろう。


まだまだ答えが出ないので書いていても理解は生まれない。

諦めずに今日もまた『心の奥にある愛』へと帰る練習を続けていこう。


いつかきっと、自分自身の悪魔(否定的感情)に打ち勝ってやる!!(祈り)




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