丸顔おばさんのブログ

すべての問題は「心」に通ず。
リンドウの花言葉は「悲しんでいるあなたを愛する」「正義」「誠実」

心の旅/ワクチン接種中止を決めた病院

2022-08-24 10:02:30 | 心の解放シリーズ

久しぶりにブログを更新します。

自分の身近でも接種後に亡くなってしまった方の話を聞くようになり、

それなのに、一番守りたかった身内は、相変わらず話が通じないし、

どんどんおかしな社会になっていく。

なんだか悲しくなってきちゃってね。

言っても無駄ならこれ以上は言っても結果はいい方向には変わらないし、
心が痛すぎて、ブログを書く気力もわかず、休んでました。

上記ツイートのスレッドにはいっぱい返信がついている。
みなさんそういう感じみたいだ。


私は自分の心には逆らわないんだ。(親や他人にはよく逆らうんだけどw)

自分の心を支配してしまっているとき、相手のことも支配してしまっているもんなんだ

自分:「言わなければならない」と思考し、自分に命令し、自分を支配。
相手:「聞きたくない。ほっといてくれ。好きにさせてほしい。」

こうなっているもんなんだ。

すると支配になっていき、お互いにマイナス感情になっていくから、
これ以上がんばってやりつづけてもトラブルになっていくのね。

だから自分がきつく感じたら、いったんやめてみたほうがいいんだ。なんでも。


それで、悲しいならば、悲しい感情を、沸き出るままに感じてあげる

そんなふうに思うままに過ごして、心の旅をしていたんだ。


近所の寺でぼーっとしたり。

すると寺にはありがたい言葉が貼ってあったりする。

「蓮の花はきれいで気高いけれど、泥があるから咲けるのです」

みたいなことが書いてある。

そうだよなぁ。

この世はもともと泥みたいなもんだよな。

この世がきれいな楽園だった時代なんて、アダムとイブ以前までさかのぼらないとないわけだ。


そして寺の坊さんは、「この世はもともと不公平なのが当たり前なんです」とも言っていた。

そうだよなぁ。

そういうところにわざわざ生まれたんだよなぁ。


無辜の民が、うっかりしてると知らないうちにあの世にいってしまう理不尽きわまりない社会。

こんなのも、戦争していたときだってそうだったんだ。

わりと最近にそういう経験をしているのに、戦争でなく感染症でやられたら、気づかない、あらがえない私たち。

わかっている方たちもいるけれど↓

そういう方はネット上にしかいなくて現実社会にはほぼいないのかなって気分になっていた。


それで自然に出会う人と言葉を交わしながら、生活していると、
こういう思いでいる人は、けっして自分ひとりではないことが、だんだんわかってきた。

じつは、ネット上には今のコロナやワクチンについておかしさを言ってくれる人がたくさんいるけれど、リアル社会ではあまり出会ったことがなかったの。

だから孤独と絶望を感じていたんだね。わたしは。

でもちゃんとリアル社会にもいました

あるおばちゃんは、お子さんの勤務先の方が接種後に亡くなってしまった話をしてくれた。
お子さんはこわいから打ってない、自分は打っちゃったけれど。とおっしゃっていた。

言いにくい話、複雑な思いを語ってくれてありがとう。

やっぱり昨年の超過死亡の多さを見ると、自分の身近にも起きてくるかもしれないとは思っていた。
戦後最大で、6万人も例年より多いということは。(2021年度)



近所でサロンをやっているおばちゃんは、
おばちゃんのサロンに来るお客さんは健康意識の高い方が多くて、
コロナ以降、みんな自分で自分の免疫を高めるためにいろんなことをしているよと教えてくれた。

なるべく病院のお世話になりたくない、薬がいやだという人が、コロナ以降ものすごく増えたと。


ラブゲリオ(モルヌピラビル)の関連記事:


そうだよね。

病院行っても解決にならず、かえって大変なめにあうことに、みんなさすがに気づいているんだよね。
本当にどうしようもないときには仕方ないとして、最後の手段としてとっといて、
自分のできることで自分で体をよくしていこうと、みなさん調べて勉強されているみたいだ。

「こういう考えは、あたしだけじゃなかったんだね」、って言ったら

「あー、もうそういう方はいっぱいいます」という心強いお言葉に励まされた。

そうか。健康オタクみたいな方が増えている。
それこそが根本的な解決であったとみんな気が付いた!

自分で調べて自分で試して、体が元気になればこっちのもんだと気が付いた。

強い薬などよりも、自分の免疫じゃん!って。

そして世の中のおかしさに気づいている。

そんな方がネット検索したときに、わたしの書いたことも少しお役にたてばうれしいなぁと思った。


孤独と絶望を感じていたけど、それは幻であったよ!

リアルで人と関わるって大事だね。そういう実感が自分を支えるんだ。

その実感が信念となって、思考や感情が生まれ、行動しようっていうふうにやっている。じつはだれもが。

だからネットばかりのバーチャル社会だと、実感がどうしても薄い。
ここがネットとリアルの大きな違いだよなぁと思う。

そして現代は、感情を感じにくい社会だ。
効率とかスピードとか便利が行き過ぎて、五感や経験を通じて実感する機会が少なくなってしまっている。だから感情も動きづらい。

かわりに頭でっかちの理屈だけの人が増えてきている。
また、学歴社会でこういう人がいいとされている。

これだと、実感から自分の人生を創造していく力がそがれてしまいがちだ。

理屈で正しいとかいいとされてきたことは、やっていくうちにそうでもなかったことに気づき、愕然とするはずだ。
その理屈というのは、テレビや新聞や親や先生や偉い人が言ってたことであったりする。


サロンを経営されているおばちゃんは、独立できるんだよってことを広く伝えていきたいと言っていた。
本当は人様の健康に寄与できる能力を持っている人は潜在的にたくさんいるんだと。

なんて心強いんだ。

エリートのお医者さんばかりがいばっていた時代が終わりを迎え、
多様な才能を持った方が、自由にお互いに助け合う世の中が到来する予感を感じた。

みんな体の状態がちがうから、一つの方法だけが絶対正しいなんてわけはないんだ。

だから誰もが誰かの役に立つ可能性がある。
自分がなにげなくできることで。

自分に合ったものを、楽しみながら自分で探す。

それで元気になってよかったねと喜び合う。

こんなふうにする人が、今増えているって!


あー、有名な人が言ってくれている。心強いね。
そしてたくさんの人がそうだよねって分かち合う。励ましあう。

だから単に自分の思いを言うだけで、大きく貢献していたりするんだ。

むずかしいことしなくていいんだ。

それよりも自分自身でいるってことなんだ。


もしかして、本物打ってたの?

陰謀界隈では、こういう有名な支配層の人は、偽薬か生理食塩水を打ってデモンストレーションしているだろうと言われているけど・・・

だから支配層の人も、いろいろなんじゃないかと最近思う。

期待を裏切らないヤツもいるけど。。。

「俺は打たねーよ」って言ってましたもんね。



そういう方がまた厚労大臣になられたことが、非常に不気味だ。

以前コロナ禍初期のときも厚労大臣をしていて、
こういう感じだ。

そして、あべちゃんとも関係が深い。
加藤勝信氏の嫁のお父様は加藤六月氏。
嫁の父加藤六月さんの嫁と安倍晋三首相の父である安倍晋太郎さんの嫁は、
姉妹と呼ばれるほど親しい間柄だったそう。

そして、期待通り、統一教会とも昵懇だ。

Wikipediaより
統一教会との関係[編集]
  • 2014年3月13日、加藤が代表を務める「自由民主党岡山県第5選挙区支部」は、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の関連団体「世界平和女性連合」に会費として1万5000円を支出した[27][28]。
  • 2016年3月27日、自由民主党岡山県第5選挙区支部は、「世界平和女性連合」に会費として1万5000円を支出した[27][28]。
  • 2018年7月、統一教会の岡山家庭教会が岡山県岡山市のジップアリーナで開いた「復興記念・2018孝情文化ピースフェスティバルin OKAYAMA」に秘書を代理出席させ、「心よりお喜び申し上げます」「敬意を表し感謝を申し上げます」とのメッセージを寄せた[29][30][31][32]。
  • 2018年10月24日、統一教会系の「世界日報」に加藤のインタビューが掲載された[33][34]。


ワクチン打って亡くなられた方、大変な被害が出た方も協力者。
ちっとも効かなくて、よけい感染しやすい体になってしまっても、協力してくれてありがとうでおしまい。
接種前の文書にサインをしたことで、治験に協力することに同意したことになっている。



それでしつこく、あいつらの人体実験になんて協力するなと言ってきた。
もはやちっとも話が通じなくなってしまった人もいるけれど、
自分は無力だったけど、仲間もたくさんいることがわかってうれしかった。
そういう人が増えているということは、未来も希望があると思った。


そういう人は、支配的な人や組織から離れて、
一人でも勝手に活躍しているものだ。
多くの仲間に支えられて。


これもどうやら本当みたいだ。

7:00~
僕らが関わったコロナ患者さん、2年半、一人も死んでないです。
ワクチンで6人亡くなった。
150人のワクチン後遺症の方を診ております。
10倍ワクチンのほうが怖い。
10倍、あるいは100倍、そういった事実を隠している人間というのは、政府と医学会




すべては「打たせること」が目的でしたと。
そのため、あっさりコロナが終息しては困るのでしたと。
へんな政策も嘘も全部「打たせるため」でしたと。

わたしはね、1945年8月15日みたいな日がそのうち来ると思っている。


(省略)
「(先生からは)『軍隊へ兵隊さんに贈るんだ』と言われましたね。上級生は『特攻隊員が死ぬ前に食べていくんだよ』と言われましたね。だから大事なチョコレートだって」 
特攻隊員の最後の食事だったという覚醒剤チョコ。どんなものだったのでしょうか。梅田さんに絵を描いていただきました。
 (梅田和子さん)
 「これがチョコレートです。菊の御紋が押してあるんですよ。『天皇からの贈り物』だと」
 チョコレートは長さ15cmほどの円柱で、天皇の象徴である菊の紋章が入っていたといいます。ただ、この学校で覚醒剤チョコが作られていたという記録は残っていませんでした。

当時は“栄養剤”のように扱われていた覚醒剤

(中略)
「ヒロポンということで、これで500錠が入っていた。極端に疲れた場合とか夜間の作業とかいろいろ書かれている。
(Q栄養剤のようなもの?)
栄養剤、強壮ドリンクみたいな感じにとられてもしょうがなかった
覚醒剤は危険薬物という認識は無く、市販もされて広く一般で使われていたといいます。実際、当時のチラシには次のように書かれています。
 【ヒロポンの当時のチラシ】
 「戦時活動への拍車」
 「疲労の防止と快復に!」

(中略)

特攻隊員に覚醒剤を注射していた元軍医『本当にかわいそうで仕方ない』

その答えを知る人が新潟県にいました。蒲原宏さん(98)は、1945年、多くの特攻隊員が飛び立った鹿児島県にある海軍の航空基地で軍医をしていました。そこで「出撃前の特攻隊員に覚醒剤を注射していた」と証言します。
 (蒲原宏さん)
僕は初めはヒロポンとは知らなかったわけですよ。黒いケースに10本アンプルが入っていて、説明書にはただ『筋肉内注射しろ』と。『出発前にやれ』という命令だけでよくわからなかった」 
上官の命令で約300人の特攻隊員に覚醒剤とは知らずに注射をしていたといいます。
(中略)
一方で蒲原さんは今も特攻隊員に注射したことを後悔しています。
 (蒲原宏さん)
 「本当にね、ヒロポンを打たれて死んだ人に対しては申し訳ないと思いますよ。内心忸怩たるものはありますね。今でも時々夢を見ますよ。どんな気持ちだったか、本当にかわいそうで仕方ないですよ
(中略)
今は自由な生活を楽しむ梅田和子さん。覚醒剤チョコについて「当時は反対できる状況になかった」といいます。
 (梅田和子さん)
 「何をしてもあのころは(戦争に)協力しない生き方というのは見つけられないですね。戦争というのは自由を失うんです。一つの方向にみんなそっちを向かないといけないという、この怖さがありますね。一人一人みんな大事な命を持っていることをもっと認識されないと
 軍の無謀な作戦により尊い命が犠牲となった特攻。その裏にある“不都合な真実”も語り継いでいく必要があるのではないでしょうか。


これは、今のコロナワクチンの未来だろうと思って読んだ。

ヤフーニュースに、こんな記事が載っていた。
8/22(月) 17:40配信 

今までだったらぜったいタブーだったことを少し主要メディアが言い始めている。

そろそろなのか?8月15日は。

医師の方が、「同調圧力で接種しないのは気まずい」と言って憚らない。
同じじゃないか、戦時中の覚せい剤のヒロポンと。
それは、「科学的な分析など二の次で、他人にも打ってます」と自分で言ってしまっているようなもんだと思うけど。

あとで、「あのときはわからなかったんです」とおっしゃるのだろう。

昔と違うのは、今はインターネットでいくらでも情報は入手できる。
すでに昨年からコロナワクチン接種後に免疫が下がる論文やデータなどが出ている。
それなのに、しらんぷりをしているということだ。





ただ国に命令されるがままに自分にも人にも打ちまくっている。

そして、その結果がだんだん明るみになりつつある。

だから、コロナワクチン接種を中止する病院が出始めた。大きい病院だ。


第 3 回ワクチン接種後、時間経過とともに明らかになってきた情報を院内で 総合して検討した結果、現時点での 4 回目接種は見送るべしとの判断に至り、 医師を含め職員に説明し了解をえて接種中止を決めましたので、他の方々から のお申し出もお断りするのが筋として対応しております。

はやく、科学にかえってくれ。
これ以上、人々を犠牲にしないでくれ。

同調圧力に屈し、科学を捨てたから、いつまでもコロナが終わらないわけだ。

簡単な理屈じゃないか。

同調圧力ではなく科学をちゃんとやっている専門家たちの言うことは一致している。

現状起きていることとも一致している。

真実ならば、こんなふうに矛盾なくすんなりと納得できるもんなんだ。

よくわからない、むずかしいことばっか言ってるやつは、えらくても聞くに値しないと思っている。


受け入れる

2022-08-07 10:07:17 | 心の解放シリーズ
まじめな方へ


残酷な真実が判明したとしても、自分の体に大変なことが起きてしまったとしても、
それでも受け入れる。

家族に打たせて、家族がそうなってしまったとしても受け入れる。

責めない。自分のことも他人のことも。
(この状況をつくった国には物申すべきと考える)

これから世の中カオスだとおそろしくなっても、
そのなかでなるべく無難にしていくだけさと現状を受け入れる。

狂った世の中なんだと受け入れる。

今は戦争中と同じなんだ。

扇動されてみずから命を縮める選択をするなんてまさに戦争だ。

受け入れるとはOKすることだ。


だって、自由なんだもん。

自分で選択して決めていいんだもん。

なぜならその結果は自分が引き受けることになるから。


つねにみんな、自分の選択の結果を引き受けている。

だからそれでいいんだ。

自分で自分を責めるな。
すでに結果として起きたことを、今引き受けている。
たぶん身もだえながら。
だからこれでもういい。

それ以上に自分で自分を罰しなくていい。

しかたなかった。完璧な人はいない。
えらそうに言ってるわたしもバカなひとりの人間だ。


家族に打たせて大変なことになったとしても、その方は、自分で判断できず、あなたに判断と選択を頼んだ。

自分に関する判断を他者にお任せしたのもその人だ。
だからもうしょうがなかった。
お任せしたのなら、判断した人を責められない。

結果は残念でも。だからそこはもういいと。


自分を責めていると、他人を責める。

他人を責めている人は、じつは自分を責めている。

こういう心のカラクリがあるんだ。
ぜひそんなときのご自分の心を観察してみてほしい。
自分と他人を行き来して責めていると思うんだ。
これはやめていいの。
自然に責める気持ちになるなら感じ切ってあげる。楽になるまで。


私は一応、言う。あぶないぞと。命かかっていれば。

でも相手が選択して、苦しい結果になったとしても

「しょうがなかった。
そうかそうか。」

と思っている。
自分が面倒を見なければならない事態になる可能性も考えたうえで、受け入れている。
おばさんは大人になりました。
そのときそのときで、ベストな対応をしていくだけだ。

しかし言うことで、責められるのも当たり前だと思っている。
相手の選択を認めているとはいえ、
言ってほしくない人に言うという時点でも、相手の選択に入っているからな。
だから本当に近しい人にしか言わないけど。

この元ファイザーの方↓もお父様とつかみ合いまでして伝えたそうだ。



日本全国でこういうことが起きていると思われる。

こういう心理も、あると思うんだ。
だからケンカ腰では言わない。そして簡潔に言ったらすぐやめる。
おばさんは引くのが上手だ。
ただしネチネチ?w根気強く、何度も言いつづける。ブログも書く。
情報は更新されるんでね。情報を流さないことにはしょうがないんでね。
これがおばさん式だ。
おばさんは持久力が、ある。そしてあまりたたかわない。
そして、年の功により、少しズルい。


罪悪感もある。
責めていると、そのうち耐えられなくなってしまうだろう。
するとみずから崩壊させてしまうだろう。

まじめな方は、たいてい、責任を過剰に考えている。
家族全員の責任をしょいこんでいたりする。

だから罪悪感も不当に植え付けられている。

でも、その過剰にしょいこんだ責任を家族に返すことをしないと、家族はだめになっていく。自立しないから
おこさんなら、引きこもりにもなりやすい。
家族の起こることも、「俺に判断を一任したんだから、しょうがねぇんだ」、くらいの気持ちでいなはれ。

そしてこれからは、判断できる家族には自分で判断させる。
それが相手に責任を返してあげると言うことだ。
相手を個人として尊重し、育てるということだ。
自分自身も過剰な責任や罪悪感から解放されて、楽になる。家族も自立、成長する。
だれかの我慢のうえに家族を支えるしかないんだというのは幻想だ。



若い方は不妊のリスクもある。
女性だけでなく男性にもなにか起きているそうだ。

自分の細胞を変えてしまうことの意味を考えてほしい。
人間の遺伝子を変えてしまうかもしれないことのリスクを。

情報を与えて、自分で判断させる。軽く命令して打たせないでほしい。


私はおばさんになって、自分の生まれた家以外のお家の雰囲気を知る機会に恵まれた。

どんな結果でも受け入れるのが上手なお家と、
どこまででも責めちゃうお家と、あるのね。

責めちゃうお家はよく争うの。

自分責めてるから、相手になにか言われたら、すぐ責められたと受け取るから、
うるせーだまれという感じになる。

しかしな、苦しいときほど、受け入れるってことが楽になる秘訣だ。

「そうかそうか。そのときの自分はそれがいいと思って選択したんだって。
しょうがなかった。」
これを自分の気が済むまでやるんだ。

一方で、受け入れるのが上手なお家は責めないから、のんきで仲がよく平和で居心地がいいんだけど、
危機管理が甘いと誰も警鐘を鳴らしてあげる人がいないってこともある。

だから警鐘はならしてあげて、
あとはひとりひとりのどんな選択もどんな結果も受け入れるっていうのがいいかなと最近思う。

「そうかそうか。しょうがなかったんだ。それがいいと思って選択したんだ」って。

自分自身も、相手も。


それをやって心が落ち着いてきてはじめて、過去の選択の意味と向き合ったり、
これからどうしようか、と考える気になる。自然にそうなるの。

受け入れることをしないで、
頭だけで自分や他人を責めながら考えても、
みんなで協力しあうような建設的な考えは浮かばないんだ

ますます家族と分断されていくだけだ。


はっきり言って、これから起こることを考えれば、
みんなで質のいいコミュニケーションをとりながら、協力しあって乗り切っていかなければもたないぞ。

でもな、こうできたとき、愛が通うから、苦しくなっても協力できたならば幸せかもしれない。


それには、まず、どんな選択も、どんな結果も受け入れる。

そうかそうか。
そうしたかったんだ。
わたしに判断を一任していたなら、その結果も受け入れてなって。
ご自分とその方への愛をもって。

死について

2022-07-29 10:01:16 | 心の解放シリーズ
みなさんのつぶやきをみているうちに、私も落ち着いてきた。


そう。
4回目、5回目となるといよいよ危ない気がするんで、
ダメもとでもう一度言おうかなとも思うんだけど、たいてい無理だろう。
本人が気が付き始めたら、すきあらば、と思うんだけど、
そう思いすぎると、それが相手に対する支配になってしまって、争いになるんだよな。



共感コメントが多く、わたしも激しくうなづいてしまった。
そして、
覚悟されている方もいる。そうなるよな。


病院の院長が、メディアも買収済みで、アメリカCDCが「効果がない」と認めたって警鐘をならしているではないか。

すばらしい。もっと言ってくれー--。


私の親は、いわゆる毒親だ。
子どもを支配し、支配しか知らず、自分の感情が死んでいる。

従わなければという思いが強いと、そうなる。
従わなければならないとき、自分の感情は邪魔だ。だから抑圧する。
長年にわたり抑圧していれば、ついには感情を感じなくなる。
こうして自分自身を支配しているから、そのうっぷんをこどもに向けて晴らそうとする。
これが虐待だ。精神的、肉体的。
自分自身を愛せないから、こどもも愛せない。
こうして強いものには卑屈に従い、弱いものは支配するようになる。

これが支配や虐待やいじめをする人の心のおおざっぱなからくりだ。

愛の関わりを教わったことがなく、自分への愛情不足に陥って、他人も支配。
気合と根性でやるやり方しか知らない。

本当は、感情のままにやって大丈夫だし、それが成功への近道だし、同時に引きこもり脱出への道だ。
最近は自分の五感を磨いて表現することで成功している天才が増えてきている。
それはユーチューブのお料理番組などにもいる。
いっぱい稼いでいる証である金の盾が画面に見えている。
こうやって戦わないで、自分を楽しく表現して、みんなに支持されて豊かになる方法もある。
誰のことも押しのけていないし、そこに勝ち負けはない。
でも毒親は、競争で勝って成功したり、我慢して金をかせぐやり方しか知らない。
そうするようにこどもをせきたてる。

結果、崩壊しているだろう。こどもも家庭も、自分の幸せも。
今、幸せでないなら、未来も幸せでない。
我慢や戦いの末に幸せが待っているなんて幻想であっただろう。

話を戻す。

感情を感じなければ、
権力が暴走して姥捨て山みたいなことをしていることなど、まず気が付かない。
そんな権力に無条件に従わなければ、従うものだと思っているわけだし。

上記、共感コメントのみなさんの親御さんが毒親かどうかはわからない。
でもご自分の感情よりも、従うことを優先されていることは言えるのではないだろうか?
ご自分の感情を「感じて」、それからそれを「信じる」ことができないと、まず、無理だ。
テレビや国の言うことよりも、自分の感覚、感情を優先して感じて信じられないと。
これは多くの人にとってハードルが高いだろう。
多くの人は「信じる」ことはおろか、自分を「感じる」こともなく、テレビを無条件で信じる。
従うことが好きならば、あのワクチンを喜んで打つだろう。

そして自分の身になにもおこらなければ、なんの疑問も持たずその親にも打たせるだろう。
これは、あいつらが仕組んだ現代版姥捨て山だと私は思う。

私は親にはリスク情報は伝えた。
(コロナ始まってすぐの2020年から、けっこうしつこく、権力の暴走が始まりましたよ~、うっかりしてるとコロナよりたぶんワクチンで死にまっせと言ってきた)

しかし親は接種した。いまのところ、無事、生きている。

自分は伝えることで、この姥捨て山に加担しなかった。
上記共感ツイートのみなさんも加担しなかった。

伝えるべきは伝えた。
そして最終的に本人が決めて、その責任もご本人がとることとなる。

ご自分の感情を感じて、それからそれを信じることができた。
さらにそれを大事な人たちに伝え、そこに加担しないでいられた。
さらに相手を尊重して押し付けることもしなかった。

よくやった。自分をほめてやってください。

というわけで、まずは感情を感じられないと、人は簡単に悪魔になる。
ここをあいつらが利用する。
だからこんな世の中になっている。

もちろん現実的に打たないと介護施設にいられないとか、そういうこともあるかもしれない。
施設で集団接種が始まったら、じゃあうちもってなって、


施設に入っている方が打たないでいられるのかどうか、私にはわからない。

しかし少なくとも法律は、強制ではないわけだ。


愛の関わりを知らない毒親は、その人もまた親から愛の関わりを教えてもらえなかったということだ。支配されて育ったということだ。

つまり私の先祖たちは代々そんなかかわりをしてきた。

そして、罪悪感を感じることのない姥捨て山がはびこる現代社会となっている。
罪悪感なく自覚なく、支配されたことへの仕返しをすることになる。
こういう機会が訪れてしまうんだ。
無意識に押し込めた傷ついた感情は、叶ってしまう。

おばさんには見えている。
年老いた感情の死んだ親の意識深くに眠らせている、若いころの子どものころの傷ついた感情が。

なんでこうなるんだ!と言うけれど、無意識の視点から見れば、起きていることは、一切の矛盾なくつじつまが合うものなんだ。

つまり、あなたの願いが叶っている。つねに。

こどもの精神と人生を、一生懸命養いながら、破壊した件も。
これもいい息子、娘として親のいいつけどおり従って生きたけどダメでしたと、
罪悪感を感じることなく家を滅ぼし、仕返しするという無意識の願いを、
巧みにかなえている。

そういう力が人間にはある。
マイナスにここまで見事にかなえられるんだから、
プラスに行くことを覚えたらどんなにかすごいんだろうねといつも思っている。

先祖代々の支配のパターンも、もはやゲームオーバーという感じだ。
陰極まって陽となるから、ついに極まったなという感じだ。

自分の感情を感じて、そしてそれを信じて大事にできる人は、
接種をしたくなければしないと意思を言えたり
それが無理でもほかの手立てを考えるとか、いろんな発想が思いつくだろう。
なぜなら、そういう方は自分を愛することを知っているから、周りの人とも関係がいい。大変なときに協力しあうことができるから、そういう前提でいれば選択肢もどんどん広がっていく。

毒親家庭はこどもとだけでなく、ほかの人とも支配関係だ。
だから、あまり人間関係がよくない。
これだと本当に大変なときに周囲の人と協力しあえない。
他に選択肢がないとなって、嫌な人や場所に無理に従わなければならないとなりがちだ。
自分の思い込みと違うものは目に入らないしな。
楽な世界や選択肢があっても目に入らない。苦労に慣れているから。

こういうふうに自分の現実を自分自身がつくっている。
こうやって自分の意識どおりに世界をつくっていく。

そういうわけなので、戦いや支配から降りて、感情を感じて、そのまま表現できるようになると、人とも心がかよい、協力しあえるから安全確保にもつながるんだ。


わたし自身は、若いとき精神疾患のような状態になったこともあったけれど、今は元気に復活してしまった。
わたしはなんでも研究するのが好きだから、自分のそんな精神状態と徹底的に向き合い、研究した。
それで、心のカラクリが少し、わかった。
破滅するカラクリがわかったならば、復活するには反対のことをすればいいだけだ。
病んだからこそわかった。転んでもタダじゃ起きないタイプだ。

自分はいいんだけど、私の兄弟が親の犠牲になっている。

自分の子どもを内面から破壊しておいて、ワクチンのリスクを伝えても打ち、そのうち死ぬとする。
自分のしたことの責任を果たさずに。

ここがどうしても許せないとずっと思っていた。

でも、よく考えれば、親が死ぬことで、兄弟は不安定になり混乱するだろうけど、やっとそんな親から解放されるともいえる。

支配のやり方しか知らない、そんな自分自身と向き合う気もない親は、
死んでくれないと、子は支配から解放されない。

根本的な解決がしたければ、父・母・子・それぞれに取り組むことがある。

なのにそれを指摘すると怒る。すべてこどもにせいにする。自分のしてきたことを棚に上げて。

ということは、まだまだ、そうしていたいということだ。
おそらく今回の人生はそうやって終えたい可能性大だ。

まだ、自分と向き合う強さがない。

自分が責められているようで耐えられない。

高齢になって、いまさら生き方やり方を変えるなんてまずできない。

心の奥深くに眠らせている傷ついた感情がそうさせる。
その感情が納得しない。悔しさや憎しみは、仕返しを実現したいはずだ。
(こんなふうに苦しい感情を無視して眠らせていれば人格的にも向上できないわけだ。
だから感情をコントロールしなければとか、感情を抑えるようなことを言ってる専門家や先生は、心の仕組みを本当はわかっていないと私は思う)

私のように親から離れて復活までできる子はいい。
そうできない子もたくさんいる。

親が死んでくれたほうが兄弟は助かるかもしれない、なんて不謹慎か?

でも、自分の果たすべき責任もはたせない親であっても、
お迎えが来てたら逝ったらよろしいし、
長生きしたとしてもそれはそれでいいし、
あなたの自由にしてくれたらいいからねって思ってあげられたなら、それは愛ではないか?

これは、心から相手の選択を認めている。

みんなのツイートを見てて、そういう発想の転換が私に起こった。

死ぬときは、死んでいいのさって。

陰極まって陽となるかもしれないから。

おまえらの破壊してくれたことは、残されたできる人たちでなんとかしていく。
それは早死にしても長生きしてもいっしょだと気づいた。


よく考えれば、私は小さいころ、父が祖父に対して「死ぬのは許さん」とやっているのを見ていたのだった。

祖父は体が悪いのに酒をやめなかったから。酒を隠したり、ケンカしたりしていた。

そして破天荒に、最期は事業の責任も父に押し付けるように、亡くなった。

こんなふうに「責任を果たさずに果てるのはゆるさん」と先祖代々やっている。

悪いけど、おばさんは、お先に卒業したぞ。

おまえら、いつ逝ってくれてもかまわんからなw(このブログを読んでいるらしい)

こんなふうに自分ができていないことは、親もできていなかったりする。

そこを克服できたとき、親を超えることができる。

こういう取り組みを一人一人がしなけりゃ、家も滅びるわけだ。

マイナスが深化していくわけだから。

いい・悪いを排して、無意識(感情)の視点からニュートラルに、何が起きているか見る。
「死」がマイナスで悲しくダメなこととしか思えないと、そういう見方ができないんだな。

決めつけや常識は邪魔なんだ。


苦しい方の心の立て直しをすることが急務だ。
私の兄弟に限らず、全国的にそういう状態だ。

だれかの死によって状況が変わることがチャンスとなることもある。
早く死ねといいたいわけではない。
自然のなりゆきで、大丈夫。
いい・悪いを頭で決めすぎて苦しまなくていいってことだ。

こうしてお役目を終えて、お迎えが来たら、私だって逝くわけだ。だれだって。

できれば生きている間はあいつらの悪魔の策謀に利用されるのではなく、
そこから多くの人を助けることのほうに命を使いたいではないか?

NHK記者の人事は時の権力者次第なのか?それじゃあんた、御用メディアじゃないの/カルトにはまってしまう心理の研究

2022-07-19 21:58:29 | 心の解放シリーズ
相変わらず、次から次へと出てくるな。

もうずっと前から知ってる人は知ってるけどな。
ダミー組織で演説してる写真が出回っている

あらゆる組織に統一教会の息のかかった者が入り込んでいることを考えると、
現在いろんなところで熾烈な権力争いが繰り広げられていることが想像される。
NHKもあべちゃんの御用記者の方はパージされているようだな。

2022.07.19
「上層部、具体的にはプロパー職員のトップである正籬聡(まさがき・さとる)副会長から報道局長らに『岩田を出演させるな』という指令があったようだ」


よく出ていたよね。氷室京介に似てるなぁと思って見てました。


これは本日の記事だ。
ガースーはすでに総理大臣ではないのに、総務省に影響力があるからとガースーに気を使っている様子がうかがえる。。。
でも岩田氏は、今回のあべ事件のずっと前に政治部を外されていたと昨年の記事にある。
2021年06月04日

このころはガースーが総理だったからまだわかる。
そのころガースーの推挙で異例の政治部復帰を果たしたと言われる記者 。
最近もまだ、NHKではガースーのしもべが力を持っているという。
そして岩田氏を政治部からパージしたきり、事件後も出すなと。

ガースー、あんた、まさか・・・。 まさかな。

NHKってこんななんだね。
こんなんで公正中立な報道なんてできるわけないじゃないか。
御用メディア以外のなにものでもないな。

そして、
ガースーもまた統一教会と昵懇なんだけどな。
官邸に統一教会幹部をお迎えしちゃったのは、ガースーと高村氏だという。

統一教会問題が噴出していて教団と昵懇でも、力を失う者とそうでない者といる。。。

不気味だ。
そういうことだろうな。

Wikipedia「長谷川三千子」より
長谷川 三千子(はせがわ みちこ、1946年3月24日 - )は、日本の哲学者、評論家。埼玉大学名誉教授。日本会議代表委員[1]。NHK経営委員。

すごい家系図だ。徳川、板垣退助、箕作家、岩崎弥太郎、渋沢栄一と親戚。
思想はバリバリの右翼。

極右団体の日本会議と統一教会がだいたい重なるのは有名なことだ。

みんなつながっている。

世界を支配している連中が、統一教会に、東アジア、とくに日本の支配をやらせてるということなんだろうけど。
たぶん文鮮明がアメリカで熱心にロビー活動しているときに抜擢されたんだろう。
それに日本の古くからの支配層が合体したんだろう。
明治以降~現在に至るまでの日本の支配層は、渡来系が多いだろう。

半島のDS支部(統一教会)とは、相性がとてもいいはずだ。
というか、こういう人たちによるクーデターが明治維新だったのではないかとも言われている。

政治家も芸能人も大企業のトップも帰化人が多い。
こういう方たちが、今も日本を支配している。今もまだ藩閥政治をしている。

あべちゃんが亡くなって、天下分け目の戦いみたいなことしてんのかな?

こんな人たちに搾取され、犠牲になるこたないのよ。
日本人から搾取したカネで、世界に進出して、ビジネスしてるんだから。

日本の“統一教会”を、献金を作り出す「経済部隊」とナンバー2幹部の郭という人が話している。認めているぞ。(冒頭記事参照)

つまり日本人が犠牲になって教団にカネを差し出すことで、この統一教会の惨禍を世界中に広めたとも言える。

だから自己犠牲は世のため人のためではなく、じつは全体のためにならないんだ。
家族のために自分を犠牲にしなければというのが勘違いだと私がいつも言うのも、
行き着く先は支配者を肥え太らせ破滅するだけだからだ。

そして一番弱いもの、たいてい子どもが犠牲になる。
しらずしらず、子どもを精神的肉体的に虐待したり、子の人生を破壊している。

自分自身を虐待する人は、自分より弱いものを精神的に、あるいは肉体的に虐待する。
それは元2世信者の話にもあらわれている。

引きこもりも、カルト2世問題も、根は同じだ。
問題はいつも「支配」にある。
これを恐れずに自覚しないと、いつまでも問題が終わらない。

こうして全体的に滅びの方向に向かってしまう。
愛国心のない支配者たちは、日本を弱体化させながら、支配したいから、悪意に満ちたカルトでも使うだろう。
うーむ。お笑い番組じゃないか。。
渾身のダンスをおかあさまに披露。

とうてい立派な人には見えない。
どうしても信者でない者から見ると、なぜ、こいつらにはまってしまうのか、よくわからない。
おばさんは、人の心の興味がある。
そこのところを調べていた。
まずは元信者の方の声↓
7/18(月) 20:41配信 
(省略)
80年代の東大生はコンプレックスの塊が多い。自分はたまたま東大に入れたんじゃないか? 私は弱いから東大に入ったんだって。統一原理や聖書の話と当てはめていくと、引き寄せられていく感じになる」 

東大行って、コンプレックスの塊なら、ハーバードに行っても、なにしてもずっとコンプレックスの塊だと思うんだ。
だから学歴がないからとか、イケメンじゃないからとか、理由を言って自分を否定するんだけど、
学歴がないからダメとか、美しくないからダメとか、あれがだめだからあたしはだめとか、そういうのがまず勘違いだ。全部、不要だ。当たってもいない。
パソコン選びみたいな価値観、
「高スペックで美しく、高品質でいなければならない」なんて、自分に課したら、いつか、こわれてしまうだろう。
自分がこわれるか、社会がこわれるか。どっちが先か。
こうなってきているように思う。

こういうのは誰かが植え付けた嘘だ。
赤ちゃんのときは、そんなこと考えていない。
たいてい親だ。親もまた勘違いして生きている。
人間とは、そんなもんじゃないのよ。

順調に活躍している人はそんな価値観で生きていない。

こういった天才に限らず、順調に平和的に活躍されてる方(競争や戦い、勝ち負けでのしあがった人ではなく)は、
みなさん自分の内で感じることをそのまま大切にしてこられた方が多いようだ。
研究者などは、それがないとできないよね。
自分独自の視点があって、それを育てていって初めて、発見や新しく生まれることがあるわけだ。
そうでないと、自分独自というのがなくなるわけだ。
社会が決めた価値感に合わせる人生になるわけだ。
社会が決めた価値感とは、あいつらが決めた価値感だ。。。。

世間の決めた価値観、親や学校やテレビの言うことにとらわれていると、自分がなくなる。自分のよさが、死ぬ。
みんな、もともと持っているのに。

この世界は国語算数理科社会英語だけでできているわけではない。
料理がうまいやつ、笑いの天才、その他もろもろ、学校の勉強以外のいろんな才能や持ち味をもった人がたくさんいるから豊かになるんだ。

そういうのは頭で考えてもわからない。

むしろ思考しないで、リラックスしてるときに、勝手に自然にやっていることだ。

その状態のとき、創造性が発揮されている。
勉強だけのやつは、創造性がない。

だから、つまらない。だから良さが発揮できない。
自分の感情にいなければ、人とうまく関われない。
なおさら自分に価値がないような気になる。
自己否定やコンプレックスの塊になる。

それは、幸せを感じられないだろう。

だから本当は「そんなあるがままの自然な自分を信じられない/感じられない」ことが問題だと思うの。
そういることの意味も価値も知らないってことが問題だ。

そうなってしまう理由のひとつには、他人や世間の目を気にしすぎというのがあると思う。
思考が強すぎるとそうなっちゃうの。
だから頭のいい人ほど要注意。
ところが思考が優位だと、心が他人に囚われていくんだわ。それでこういうこと↑を知らなかったり、意識してないと、どんどん相手に入っていっちゃって、きまずくなったり、トラブルになっちゃったりするのね。自分も巻き込まれて破滅にむかっちゃったりするのね。人間関係のトラブルはこういうカラクリで起きているんだ。
だからわかっちゃえば、もう起きないのw
そして、思考優位でいると、他者の目や評価や悪感情が気になって気になってしかたない状態になるんだわ。

こういうふうになっているんだ、人の心は。

そして、親の期待にこたえたい、評価されたい、気に入られたいと思えば、世間の価値観に合わせ、それに合わせられない自分はだめなんだと、勝手に思考で結論づける。

他人を気にして他人の評価を中心に生きていれば、相対的に自分を感じる割合が少なくなる。

勉強するのはいいけれど、今後、左脳的な部分はAIにとってかわられるだろう。
今も検索すれば知りたいことはすぐ出てくる。丸暗記しなくても。

すると人間にしかできないことといえば、感情や五感、創造性を発揮することだろう。
それは勉強だけでは育たない部分だ。

遊んだり、いろんな経験して、ハートを感じないと育たない。
いまやそんな気力もない人が多い。

そして自己否定、コンプレックスの塊になっていくだろう。
いくら勉強ができても。
まだ駄目だ、と思考する。
エンドレスだ。
意識して自分の感情に帰る練習をしないと、こういうループにはまりやすい。

秀才の苦悩はここらへんにあるのではないだろうか?

まじめに他人の期待に応えるために勉強してきた頭のいい人ほど、苦しいと思うんだ。

そこに、
内面から洗脳支配したいものが、心の隙間をうめるように入り込んでくる。

だから統一教会がこのさき消えても、人々が気が付かないと、また似たようなものがあらわれて、似たような支配をされて、はまると思うんだ。

(中略)
当時のことについて仲正教授は「一対一で講義を受けた。たいていは自分だけの悩みだと思っているようなことが、聖書に書かれているような人類全体の問題であると意義付けしてくれる。悩んでいることと通じているように説明する」と振り返る。 

意義付けしてくれるのか。
このあたりについて統一教会ジャーナリストの有田氏が話していた↓

ユーチューブ動画「肌感覚で知る永田町の統一教会 有田芳生さん 【The Burning Issues vol.23】」より
30:00~
個人の履歴を見るとその人の特殊性に目が行くけれど、苦労しているみんなが事件に走るわけではない。
みんなまじめな方ですよ。
だからやっちゃうんですよ。霊感商法とか現金とか。
自分が信じている教団のためにお金を出すことが自分たちの家族の不幸を断ち切っていくことであるとか、
典型的なのはあなたの先祖の7代前に殺生因縁があるとか色情因縁があるとか、それを断ち切らないとあなたの家の不幸はなんとかなりませんよ、そのためにどうしたらいいんですかといえば、とにかく献金しなさい。

苦しみが信仰を強めるという教えも

この容疑者のおかあさんも数年間教団から離れているんだけれど、いったん信じた考えというのを内側から解決していかないともとに戻っちゃう。
まだ不幸が続いてて統一教会の教えで救われていくんだというそれを、心の中から解き放たなければ難しいんですよ。
だから「教会を離れると地獄に落ちるぞ」という教えが徹底してされてますから、
教会から離れても自分の家族が不幸な人生を送っていると思えば、やっぱり私ががんばらなければだめなんだと。
みなさんやさしい心なんです。統一教会の人たちっていうのは。
そのやさしい心の上に統一教会のかたーいイデオロギーの殻がついてしまっていて、
その殻を打ち破るのは、専門家でないとできないんですよ。
両親が大泣きしたから脱会しましたというのをテレビでやってたけど、そんなのは事実じゃない。

どうやったらマインドコントロールが解けるのか?
統一教会に入っている人たちにとって、反対する人はみんなサタンなんです。
親も含めて。
だから頭から拒否する心境になってしまっていて、信じているものは統一教会の原理こうろんっていう教義解説書があって、それを信じているんだけど、聖書の専門家からしたら、全然間違いだということは明らかであって、その彼らが信じている原理こうろんの統一教会の教えを説いて、間違いなんだということを理解してもらったときに、霧が晴れたように、あぁと
そのためには素人が専門的に聖書の勉強しても難しいんですよ。
作家の飯干晃一さんが娘さんを救おうということでものすごく聖書の勉強をされた。
自分の力で娘さんを説得脱会させられると思った。
だけどできないんです。
そのとき飯干さんがぼくに言ったのは
「もうだめだ、やっぱり専門家の協力がほしい」ということで専門家にお願いして娘さんと話しをしていって、ちょっと時間かかりましたけども霧が晴れていった。
だから聖書の専門家であるとかキリスト教の専門家の協力を得て脱会するという手続きをとらないと、今回の容疑者のお母さんのようにいったん自発的に組織から離れてもフラッシュバックも含めて、あるいは教団からの働きかけもあるとまた戻ってしまうんですよ。その難しさなんですよね。
今回の事件のあともお母さまはショック受けて寝込んでおられるし、自分のせいだと泣いてはおられるけども、教団の批判はしていないというのも・・・
そう。まだ縛られてる。
そういうことなんですね。

なるほどな。
頭のいい人ほどカルトにはまってしまうのはそれなりの理由があるようだ。
聖書の専門家しか説明して解いてやれないほどに、秀才をも理路整然と納得させるほどの教義ということだろう?
そして悩みに意義付けしてくれて、悩める秀才もはまってしまう。

聖書の教えをたくみに捻じ曲げて理路整然とした教義にしているってことなんだろうけど、あのおとうさまとおかあさまにそこまでの知恵があるのか疑問だ。
だましの教義を完成させて知恵をさずけた黒幕が、べつにいるのではないだろうか?

洗脳とは、朝鮮戦争後に捕虜生活から戻った兵士たちや、共産党革命後の中国再教育キャンプの収容者の態度変化を説明する際に使われたメタファーであり、アメリカでの1960年代終わりにかけての新宗教の急増や、それらの組織による勧誘活動の「成功」(実際には当事者が主張するほど成功しておらず、信者数は100倍近く誇張されていた)を説明するための枠組みとなっていた(コーワン、ブロムリー)。 
Wikipedia「文鮮明」注釈2より

あ~、やっぱ黒幕は、アメリカかな?

広島から上京したばかりで不安を抱えて入寮したのが、駒場寮だった。
そこで幅を利かせていたのが、左翼系サークル。そんな時に声をかけてきたのが原理研究会だった。仲正教授はほどなく、駒場寮を出て入信したという。
 「原理研の他のメンバーは優しかった。話を聞いてくれた」 
 また、左翼系サークルに対する嫌悪感も信仰を深めた一因にもなった。信者となった仲正教授は教団で約1カ月にわたる長期研修に参加。その間はテレビを見ず、外部との連絡を遮断。時には徹夜でのお祈りもあったという。 

当時の右翼と左翼の対立は、学校の人間関係も殺伐としたものにしていたんだな。
そこへ統一教会の共産主義はサタンであるという教えと、
統一教会に反対する者はみんなサタンであるという教えと、
あなたの悩みは人類全体のものなんだと意義付けを、してくれる。

 世間からは「洗脳だ」と問題視する声も上がり、「洗脳された」と訴える親もいた。しかし信仰心を持っていた仲正教授は「洗脳と騒ぐほどでもない」と思っていたという。 
ちょうど時を同じくして、先祖の祟りがあるなどと言って統一教会の名を隠し、印鑑やつぼなどを売る霊感商法が社会問題となり、度重なる訴訟問題に発展した。教団は度々敗訴している。
霊感商法に限らず、仲正教授自身も「信仰心を強める」との目的で、夏休みに“珍味売り”の訪問販売をさせられたという。 

苦しみが信仰を強めるという教えもあるという。
だから喜んでやるわけだ。信者のみなさんは。

「かなり大きなバッグに500グラムの珍味を20袋くらい詰め込んで、走りながら訪問する。別に監視されていたわけではなかったが『信仰があるなら走れ』と。
1袋は2500円。統一教会としては資金集めだと」
  この商品販売は教団では“万物復帰”とされ、サタンに奪われた万物を取り戻すための行為だと教えられていた。

献金を作り出す「経済部隊」だって、ナンバー2幹部の郭という人が認めたぞ。

(中略)
合同結婚式の相手との関係について、色々なことを無理に我慢していたような気がしてきた。本当に好きなタイプの女性なら、許したかもしれないが…」
  文氏によって選ばれた仲正教授の結婚相手に重大な隠し事が発覚したのだという。
 「(文氏を)メシアと思って信じようとしてたんですけど、『メシアはそういうことを見抜けないのか?』と聞いたら『見抜けない。具体的にどういう隠し事をしているかなどは見ておられない』と言ったんです」 
(以下省略)

じつはおとうさまは、たいして見えてないことが発覚。。。

合同結婚式にしても、物を売りつけるとかの苦行にしても、献金にしても、
自分の素直な「つらい」「苦しい」「いやだ」「好きだ」とかいう感情を押し込める教えばかりだ。
(ブラック企業の新人研修にもあるよな、こういうの)

感情こそが自分の創造性のみなもとで、問題解決したり、成功したり、幸せになる鍵なのに、それを見事に全部否定し抑圧する仕組みだ。

日本人衰退計画だな。

べつに何を信じてもいいけれど、自分自身をもっと信じなさいよとおばちゃんはいいたい。

感情を守って自分自身に帰れた人は、自然に平和に幸せに発展していく。

そしたらべつに、自分以外の神様やおかあさまにすがる必要、ないんだもん。

家庭が不幸に見舞われている人、苦しい人、悩んでいる人が、こういったカルトにはまってしまうケースが多いと聞く。

そうなっているということは、もともと感情を抑えて我慢して自分を犠牲にするっていうパターンがあったのかもしれないんだ。

感情を抑えるのをやめて、よーく心の目を内に向けてみてあげる、感じてあげることだったんだ。
問題の解決は、責任を見極めながら相手に働きかけたり、いやなら離れたりして、支配から抜けていくことだから、
教団のしていることは、まったく逆だ。

行くべき道を知るには、自分の感情が道しるべであって、教祖や霊能者に聞くことではないんだ。

何を信じてもいいと思うけど、それが大前提だと私は思う。

なかには統一教会の別動隊みたいな宗教やスピリチュアルもある。
そのうち、芋づるで明るみになるかもしれない。

あいつらも言ってたよ。
心理学なのだよって。

(お手紙日本語訳より)
実のところ、20世紀を支配したのは、事実でもなければ理性でもない。心理学の利用こそが20世紀を背後で動かした原動力だ

人間の気分や感情をあやつって支配するすべを確立しているようだ。
大昔は力による絶対王政みたいな支配、
そのあと、啓蒙思想や法による理屈の支配が来て、
最近は垂れ流されるメディアや教育による洗脳による心の支配。
カルトもそういうことだろう。
「たまたま」だってさw
こうして支配のペテンに気づいて人々が怒り立ち上がり、
またあいつらが新たなペテンを考案し、の繰り返しみたいだな。人類の歴史は。

苦しい人を助けたいときも、自分を愛することを優先したほうがうまくいくんだ。

2022-06-26 16:52:55 | 心の解放シリーズ


おばさんは最近、パソコンを買い替えまして、やっと先週新しいのが届いたんです。

自分で研究して選んだから満足だ。

起動も動きも早くてねぇ。

一度にたくさんいろんなことしてもフリーズしないの。

今も音楽を流しながら書いてます♪

前のはメモリーが小さくて古かったからすぐフリーズしちゃってね。


そして最近、夏バテぎみだったの。

よく考えればここ最近、食べ過ぎだった。

小食にしたらだんだん元気になってきた。

体に毒素がたまっていると、気象の変化についていけないのかもしれないね。

そして、夏バテでだるいんだけど、なんだかそうじがしたくなってね。

換気扇のフィルターまでやっちゃいました。

フィルターの目詰まりが取れると、換気扇の音って静かなのね。。。

今まで詰まってて、空気が通れなくて、ゴーゴーいってたんだ。。。

はずかしい(´艸`*)

そうじ、さぼってる、ずぼらなおばはんであることがバレちゃう。

でも、フィルターをぬらさないで、重曹を粉のまま振りかけて、一晩おいといたら、翌朝、たわしや古い歯ブラシでこすったら、油がぽろぽろとれるの♪

ぬらしたり、重曹を水に溶かないのがミソなんだって!

なんだー、強い洗剤とか使わなくてもこんなに簡単にとれるなら、もっとマメにやっとけばよかった。

今は掃除のやり方もだれかが発信してくれているから、調べるとわかるのね。

ネットはゆるやかな助け合いの場だ。
自分の経験やよいと思われる知恵を置いておくだけで、必要な方が探して見てくれる。

イデオロギー論争や戦いや中傷の世界もあれば、すてきな世界もあるんだ。
もっとダークな世界も、もっとすばらしい世界も、同時に存在している。
いろんなレベル、状態が同時に存在している世界だ。ネットもリアルも。

いたいところ、見たいものは、自分で選んでいいんだ。ネットもリアルもね。


パソコン、体調、家のそうじ・・・


こんなことをしていたら、
おばさんの心に眠っている古い苦しい感情が呼び起されて、心のお掃除もする流れとなった。



私は、私の親が、私の兄弟を傷つけ人生を破壊していることが、どうしても許せなかった。
感情や自信を育ててあげられなかった自分を棚に上げて、
兄弟を悪く言うことが許せなかった。


私自身も同じ親に育てられたけど、自力で地獄から脱出、復活した。

他人はあてにならんと中年になって経験から悟って、自分の心で感じながら答えを探し、自力で取り組んできた。

こうせざるを得なかったわけだけど、

でもつまりこれは、自分自身への一貫した愛であったということに気が付いた。

愛しか解決できないんだわ。とくに心の問題は。

だから愛と反対のことをする者が許せないという感情。

愛の反対は支配なわけだ。支配しやがってと。

じゃあ支配をやめられない者に対して
「やめろ」ということは、
「そのかかわりは適切ではない」と言うことは、支配ではないのか?
いくら愛する兄弟のためとはいえ。

この答えは、自分の感情を感じると、わかるんだ。

相手が口に出さなくても、深いところで拒否してて言わせない場合もたくさんあります。
それをなんとなく感じ取る力があるのね。
拒否していないなければ、すんなり言えたり、言う機会が来たりするもんなんだ。

きつい感じがするなら、相手が言わせない、言ってほしくないということだ。

破滅確実でも、まだ、その状態でいたい。それを選択している。だから口出ししないでくれ。ということだ。


どうしても私自身もさんざん支配されてきたから、親に仕返ししたくなるのね。
責任を突きつけてやりたくなるんだわ。
すると、無理なことでも言ってやりたくなるんだ。

そんな自分の感情に気が付いた。

でもそれを感情のまま仕返しに走ると、ワナなのね。
せっかく抜けた支配関係に再度陥って、
またマイナス感情を量産することとなる。
そして私も彼らとともに滅びるんだと気づく。

マイナス感情も感じてあげることで楽になっていくんだけど、
また支配の関わりをしてしまえば、さらに増幅されていく。
今までそんなかかわりをしてきたからこそ、そんなマイナス感情があるわけで、
自覚して離れていかないと、やめられない。

でもどうしても親への恨みは、あるわけだ。

兄弟に対する仕打ちが許せずにまた顔を出す。

ことあるごとに顔を出す、無意識層にいる自分の感情。

これは一生続くかもしれない。
出てくるたびに、丁寧にみてあげる。
苦しい感情は見て見ぬふりをしがちだけど。
いつまででも見てあげる。自分が自分を見捨てない。

するとだんだん癒されて楽になっていく。
これでもだいぶ楽になった。苦しかった時に比べれば。


自分の感情の問題に取り組んでいた時に、わかったんだけど、
親や他人に対する恨みはもちろんなんだけど、
自分自身を守ってあげられなかった自分に対する怒りもあるの。
こどもだったから仕方ないんだけど。

「親や他人からなにをされようとも、もう二度と(私を)見捨てたり、否定したりせず、しっかり相手に言っていくか、その人から毅然と離れるかするからね」
と自分に約束してあげると、感情は落ち着くんだ。
安心するんだね。

それも、自分の守り方がわからないと自分自身と約束できないからな。
ちょっと学んでシミュレーションして、こわくないところで練習してみることも大事だ。

こういう感情が久しぶりに出てきたんだ。


親は、こどもを傷つけ子どもの人生を破壊しているのが自分だとは、わかっていない。
こどもの苦しみが、感情として感じられない
本当は深いところでうすうすそうなのかなと思っても認めたくない。
いまさら、関わりを変えるなんて、感情がゆるさない。
ほかにどうしたらいいのか、やりかたもわからない。

深いところでは、自分と向き合う恐怖や罪悪感も、ある。

年老いて、感覚も頭も体も鈍くなっていく。

今更自分自身と向き合えなんてもう無理だ。

だから私の兄弟は苦しみ続ける。

兄弟の視点から見ると、
兄弟も、そんな親に依存していたい。
これも、そうしたのはやはり親だ。

これがどうしても許せなかったの。


相手の選択に口出しをすると、トラブルになるのさと、よく書いている私だけど、
本当は、自分自身もそんな葛藤に苦しむただの一人の人間だ。



でも最近気が付いた。


苦しい状態の人は、その状態でバランスをとる、というのがまずは一番なんだわ。


私は自分自身が、問題の本質的なところと向き合うこととなり、
いろいろと恵まれたサポートがあり、それができた。
でも、みんながそうできるわけではない。
高すぎる理想を言っちゃだめだ。そんなに簡単にはできないし。

できない人や理解できない人や聞きたくない人に、「ずばり言うわよ」と本格的な問題指摘やアドバイスをしても、それは正論を使った攻撃となってしまう。

たとえが適切かどうかわからないけど、幼稚園児に大学入試の問題の解き方を教えても無理なのと同じだ。

その人の状態に合っているかどうか、なんだ。
(ここを無視してやると、私の場合、親への仕返しとなるわけだ。)
状態に、いい/悪いは、ない。
そういう状態なんだってだけだ。

苦しい中で、少しでも楽になるように、バランス取れるといいね、くらいのスタンスでいるのがお互いに楽でいいなと、昨晩思った。

長男の方がパチンコにお父さんの年金を使ってしまう問題があって、
私は少しパチンコを減らせないか、話合ってもいいかなとも思ったけど、
長男の方がそれに耐えられないなら、暴れてしまったり、心が不安定になったりすることも考えられるから、
「あいつがパチンコにカネを使ってしまう」とお父さんがこぼしたときに、
「あまり締め付けてもいかんからね」と状態を知っている二男の方は言ったのだな。

年金で3人生活という状況で、カネを使われるのも苦しいし、パチンコで心のバランスを保っている長男の方も苦しいし、その長男の方も働けんでごめんって罪悪感を感じている。
みんなが苦しい中でのバランスなんだよな。

そこを正論で急激に解決しようとしてもムリだから、相手がまだ無理なら見守る。
危険な状態になってきたら、そのときは介入する、次なる策を考えるってことなんだな。

こんなふうに人様のご家庭のことはえらそうに書いているおばさんだけど、
自分自身のことに関しては、とっても不器用なのね。
なぜなら長年にわたり蓄積された自分の感情というものがつねに付いて回るから。

このお掃除が、ときどきやってくるということなんだ。

でもこれは、自分を愛するチャンスだ。
だから腰を据えて、「待ってました」と感じてあげるんだ。
これを越えるごとに楽になるんでね。

感情をよーく見て、感じてあげたら、
行き着く答えは、
「楽」であったり、やさしいのが正解なんだ。

苦しい中で少しでも楽になるようにバランス取れるといいね、くらいのスタンス

これは自分が楽だ。そのとき相手も楽なんだ。
つまりこのとき、自分と相手の選択を認めている。これは、愛だ。
この感じだと、多少苦しくてもなんとか持ちこたえる可能性が高まる。

厳しいのはたいてい支配だ。無理なのに「やれよ」ってことだから。
厳しいと、他人か自分を支配しているんだ。正論であっても。
これやりすぎちゃうと、みんなでなかよく破滅しちゃうのねw

☆公式☆
楽なとき、愛。
厳しいとき、支配。

(だからお母さんが楽にいて自分を愛することの意味を知っていれば、
こどもの選択に、自分を犠牲にしながら手出し口出ししないから、過干渉にならず、引きこもりになりにくいということなんだ。
だから、手抜きは愛だ。休むことも愛だ。)


現実的にも、
自分に余裕がないと、相手が本当にピンチのときに助けてあげられない。
だから私自身が楽に幸せにいることがじつは大事だ。


もしも人と、きつい関係になってしまったら、
自分が楽な距離まで離れて、「楽にいるためにどうしようか」と発想するんだ。

家族や夫婦の関係に悩んでいる方も、まずは楽な距離まで離れてみる。
風通しをよくしてから、
少しずつ丁寧に相手に同意を取りながら関わっていく
すると関係が改善されていったりする。
(無理にいっしょにお出かけしたりして関係改善を図ろうとしている方をよく見かける。それはいったん離れて関係が改善されてからのほうがいいだろう)

相手の選択に入るときは、同意をとることが必要なんだ。
相手がいやがっているかもしれないから。

これをおろそかにして、
お互いに相手にずかずか入りすぎていたことが、きつい関係になった原因だからだ。
そうなるとマイナス感情になるものなんだ。人の心は。


そういうわけで、許せない相手であっても、
仕返しに走って、相手の選択に入りすぎると、さらに状況が悪くなるから、
基本は、何も言わないでほっとこうとなる。
自分自身が当事者でなければ、できることは少なかったりする。

まずい状況になってしまったときは、自分がきつくない範囲で、言ってあげる。

苦しい中で少しでも楽になるように

くらいの感覚で。

相手に受け入れる準備ができている場合、楽に言えるんだ。
この楽な感覚がないうちは、まだ無理ってことなんだ。


だから、いろいろごちゃごちゃ考えた末、いつも、結局自然が一番だとなる。

困った人も、とりあえずそのままにしてあげて、
まずは自分が平和にいることが、やっぱり最善なんだよなという結論に至る。

「見守る」というサポートのしかただな。

他人を助けたい場合も、自分も楽なのが正解で、そのくらいが適切なんだ。

それが最善なんだと腑に落ちれば落ちるほど、
過去の恨みや傷が癒されて、解放されていくんだ。

きついことしなくていいんだな~って。
あたしが傷つくところに首突っ込むと、相手にとってもよくないし、また傷つけられての応酬だ。


なにか助けるならば、完璧を求めないで、少しでも楽になるといいねというスタンスで、言えることだけ言ってあげる。

こんなふうに自分の感情を感じ切ってあげながら、
頭が整理され、責任を見極めた関わりがわかると、心も体も元気になっていくの。


こんなふうに心のお掃除も完了した。


不思議だね。
自分の現実と自分の心。
すべてが相似形で存在していると思わざるを得ないんだ。

どこかがきれいに変わると、他もそうじしたくなったりしたくなる。

すべて、エネルギーの循環でできている。

油汚れや古い感情を感じ切って掃除する。
パソコンの古いデータを消去して、あたらしいやつをお迎えする。

こうやって循環で、現実ができている。

だからそうじしたくない気分のときはしなくていいんだ。

ある日、時期が来ると手放したくなる、そうじしたくなる、捨てようと思える。

それまでは、その感情にひたっていたい、納得するまでその状態を経験していたい。

エネルギーの循環と、責任を見極めることと、感情を感じるレベルを高めていくことなんだね。
それが愛ってことだ。
停滞したいときはしばらくじっくり停滞していてOK。
休むこと、なにもしないことが必要なときもある。


行き着く先は、いつも、楽でやさしいのが正解だ。

(こういうの、歯を食いしばって我慢して、根性あるのがすばらしいんだ、自己犠牲がすばらしいんだと思ってる人には受け入れがたいわけだ)


時代が大きく変わろうとしている。
歴史を見ると、そんなときは、犠牲や理不尽もたくさん出るものだけど、
その一方でチャンスをつかむ場合も、あったりする。


虐待の防止。それは親も監視管理されることを意味する。
虐待してしまう人への根本的な解決は、しない。

(中略)
ひきこもりたくても、ひきこもれないこどももいるわけだ。

だから、監視管理社会をコロナなどを口実に謀略ですすめているとはいえ、
自分の問題が解決できない人が増え、泥沼になれば、むしろ、人々の側が介入を、完全監視管理を望むわけだ。
「たすけてくれ」って。

これも最終的にどう落ち着くかはわからないけれど、
使いようだと思うんだ。

例えば自分の親が毒親で、子育ての相談もできないほどであれば。

「やまぐち子育てAIコンシェルジュ」は、県民からの妊娠・出産・子育てに関する問合せに24時間365日対応するAIチャットボットと、母子手帳アプリ「母子モ」を組み合わせることにより、子育て世代への一貫した伴走型支援を目指して取り組むシステムです。

自分が親になったとき、はじめての子育てでいろいろわからないときに、
親や身内の助けが必要だけど、とても頼れない状況であったとする。

そういう人は毒親よりもAIに聞いたほうがいいわけだ。

そういう人は、けっこう多いと思われる。

毒親から離れて自分を守り、自分を癒しながら子育てするチャンスとなる可能性がある。

虐待された人は、たいてい自分が親になったときに虐待してしまうというのは、だいぶ知られてきた。

うまく使えば、そんな先祖代々繰り返している負のパターンから抜けて復活するチャンスとなる可能性も思う。


超監視管理、人権をなくし、AIによる一律支配となる問題はあるんだけども。

それでも命ある限り生きていくわけだからな。

監視支配されるだけで終わるか、
うまく利用して起死回生につなげていくか、
これも自分次第って気がするんだ。

自分の愛次第って気がするんだ。

愛が足りないと「最後に審判」とばかりに・・・

あんまりひどい親は国の監視下に置かれるだろうことが予想されるから、
こどもが親や大人の犠牲になることは減るかもしれない。

つねに、
傷ついた自分、守ってあげられなかった過去の自分をどう復活させ立て直していくか、だろう。

どうやって守ればよかったのだろう?と。

こういう視点でいろんなことを考えてあげることも、自分への愛だ。

自分を愛することができると、やっと他人も愛せるようになるんだ。

今度は自分を犠牲にするような愛し方ではなくて。