丸顔おばさんのブログ

すべての問題は「心」に通ず。
リンドウの花言葉は「悲しんでいるあなたを愛する」「正義」「誠実」

年末年始を幸せに過ごす

2021-12-30 16:48:53 | 心の解放シリーズ
今日も、あいつらの話書こうか?とも思ったんだけど、
やめました~。
だって、年末だし♪
昨日、街に出かけたんだけど、どう考えても、おばさんは平和なんだと分かった。
あいつらが何をしようとも。


こんなこと言ってるけどw


そうそう。そんなこともやりたいだろうよ。でっちあげてでも。
おばさんも書いちゃいましたよw
もう見え見えな感じだからな。

こんなとき、このおばさんの、確固たる平和感が、
あいつらにやられないで、したたかにいるコツだと思うんだ。
あいつらはもう余裕ない感じあるからな、

支持者が離れてきてるから助っ人まで出てきてフォローしているようだ。
もうむちゃくちゃやな。時の経過とともに真相は明らかになっちゃうのにさ。
告発もされてるし。
あいつらの変態虐待幇助のこの人も、有罪出たって。

あいつら、ここのところ、余裕がなくなってきている?w
今後も世の中がひどいことになればなるほど、みんながあいつらに気がつく。
あたしはこれがすべてだと思うんだ。難しいことしようとしなくとも。
みんなが気が付くだけでも、あいつらはいろんな謀略を好き勝手できなくなっていくから。
そして、はっきりいう人、まともなこという人が表に出やすくなる。
するとあいつらは最終的に、滅びるか弱体化するだろう。
だからそれまでは、やつらに振り回されないメンタルでなんとかしのぐことなんだ。
それは強く激しく戦う感じじゃないんだ。
そういうモードから離れて、のんきにいることだと思うんだ。
「のんき」という状態は、奥が深いんだ。

この年末年始を使って、自分自身をそんなモードにもっていくこともできるんだ。
例えば、
年末年始をハッピーに過ごすコツは、
いやな事、面倒くさいことをやめる、やめてもいいよって自分にしてあげることだと思うんだ。
やりたかったらいいんだけど。

お休みに入ったお父さんは、疲れがとれたら、
ふだんできないことをしたいという意欲が出て来るかな?
来年の抱負考える元気が出て来るかな?
そういう感じならいいんだけど、疲労感があるうちは、だらっとすることを自分に許すことだ。

正月だからあれやんなきゃと詰め込みすぎるお母さんは、
やんなくても大丈夫なことを見つけたらやめていい、あとでやる、先延ばしにするってことを自分に許すことだ。
もしくは疲れたら、ちょこちょこ休むってことだ。
これを心掛けるだけでもずいぶん心の平和が保てるんだ。

それで少し心と体が楽になったら、その余裕ある状態で、年末の空気を味わうことだ。
思考を止めて。
あれやんなきゃ、これやんなきゃと思ってるときは、味わえていない。感じていない。そういうモードだと思うんだ。思考に忙しくて。
思考と「感情を感じる」ことは同時にはできない私たちなんだ。
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だから、思考と「~なければならない」って考えるのを、ちょっと止める必要があるの。意識して。
で、年末年始こそは、身近な人といっしょに過ごすときだから、感情を豊かに、人と心が通うモードでいたいものだ。

てことは、思考と「~なければならない」って考えるのをそこそこにして、
時々止めて、ゆっくり休む、そして自分の心を感じる。
五感を感じるってことが大事だ。

ふだん食べないようなごちそうを食べるなら、「あ~幸せ」って味わうことだ。
じっくり。ゆっくり。
せかせかして、思考ばかりしてるとこれができないんだ。

だから思考が多すぎて真面目な人は、幸せを感じにくい状態であるともいえる。
感じることのなかに幸せがあるから。
思考を止めて、感じるってことを意識してやらないと、
いったいなんのためにふだんがんばってるのか、意味がわからなくなっちゃう。
幸せを感じられないし、家族とも心通う時間を過ごせなくなるから。

みんな、未来にゴールがあるような気がして、それまではと思って、
仕事を我慢してがんばったりしている。
いつかは楽になれるかなと思って、やりたいことを我慢したり、休むことをしなかったり。
でもゴールっていつだ?
今、幸せになることができるんだ。
今、幸せでなくて、いつ幸せや「楽」が来るんだ?
「今」の連続だけがずっとあるだけなの。
ゴールっていうのは思い込みなんだ。

だから「今」、ほっこり、じっくり、ゆっくり感じる。思考を止めて。
年末の雰囲気。おいしい。今年はなんだか寒いね~。でもみんながいてよかった。
元気なら最高、いっしょにすごせるなら最高って、しみじみ感じてみる。


昨日ね、久々ににぎやかな街に出たんだ。
それで家人が粉もんを食べたいというのでお好み焼き屋さんに行ったの。
開店まで少し時間があったから待ってたんだけど、
おばさんの前にいた家族がもめていて、おかあちゃんと娘さんがご機嫌ななめだった。

家族旅行で、ディナーに来たような雰囲気であった。

ふだんから話合えないのかもなぁ。お父さんがワンマンなのか?お母さんと娘が組んで、お父さんと戦うパターンかなぁと思った。

そういう家庭の定番のパターン、お家それぞれ、いろいろあるよなぁ。

おばさんは、そういう面倒なところから離れて、自分の感情や五感を感じている。
そして、相手の自由を認める。
いっしょにいるとしても、自分だけはそのモードでいるようにしてる。
おばさんの身内にも、しょっちゅうケンカしたり、人に当たり散らすヤツもおる。
昔はおばさんも若かったから、困ったもんやと心を痛めていたんだけど、
最近は「もめるのも、べつに自由でいいじゃない、好きにやったらいいよ」という感じだ。

相手の領域、自分の領域というものがあるんだ。
その人が決めて、その人が責任をとるならば、それはその人の自由なんだ。
あれこれ口出しすると、トラブルになる
んだ。
例えば、あいつらについて、ちっとも知ろうともしない人がいるとする。教えてあげても、うるさいなー、なに言ってんだ?という顔をされる。
そしたら、もうやめたほうがいいんだ。
それがその人の選択だから。
その人の自由だから。言いすぎると、その方の自由な意志を侵害してしまう。

もめるのも自由なんで、やめなさい、とか「おまえはあほか」と言ったりはしないんだ。
もめたいなら気の済むまで何年でも納得するまでやってみたらええ。

ふだんから相手の自由を認められない者同士が、長い休みや旅行などで、長時間いっしょにいると、まずもめるんだw

でもね、これはカンタンなの。
自分がだらっといることを許している人は、人のことも縛らないんだ。
自分を自由にしてあげるだけでいいの。そしたら人も自由でええねんと思えるように自然になるんだ。
これだけで、自分だけはそういうモードから抜けられる。
自分に厳しく、「~なければならない」と自分を縛っている人は、
人に対しても、あれこれ言いたくなるの。
自分に対する態度と人に対する態度は同じだから。

それで、相手がわがままだったりして不快なときは、
「あたしはあっちに行きますわ~」と別行動にしたりしてネコのように気ままだ。

普段から自分の「したい」という気持ちを核にして行動していると、あれしたい、これ見たいという欲求からの意思が出てくるから、自分の意思言って、したいようにするのが当たり前という感じになる

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すると、相手に振り回されなくて済むんだ。
支配的なやつやわがままなヤツに。
しゃべりたくないときはしゃべんなくていいし。
相手に合わせなきゃなんて思ってるとつかれちゃうし、それで相手が不快だとケンカになるんだ。
でも、最初から相手に合わせようと思ってないしw、
ひとりで味わっているだけで幸せなんだとわかってそうしていると、もめなくてすむ。
だから相手も好きにいたらええねんと思える。

これが、犠牲者意識から抜けている状態だ。

くっついてないのね。人と。

だから人ともめたり、闘うのが好きな人は支配者になったり犠牲者になったりして、人とくっついている、依存関係で自立してない状態だ。

いかにも強そうで、悪をやっつけてやるぜっていうモードの人は、けっこうあいつらの走狗であったりする。
現実世界もネット上も。家庭でもきっとこんな感じだろう。

あいつらから自立してる人はもっと軽いからさ。
そういうわけで、おばさんはすぐ見分けがつくんだw

そういう感覚の、わからない人は、
おばさんのような気まぐれなやつはヘンな人だと思うだろう。
それも相手が自分をどう思おうと、自由だからOKって思えるかどうかってことだ。

1人でも幸せ、相手と感じあえたならもっと幸せ。でも無理なときはさっと離れる。

こういうのを習得すると、自分がなにより楽で、
だんだん人は気にしなくてよかったんだと気が付く。
そしてつっかかってくる闘う人のメンタリティもだいたいわかるから、
そういう感じねwと
本当に気にならなくなっていく。


そんなふうに、昨日街で、いろんな人間模様を見ながら、
おばさんは平和だと、ひとり実感していたんだ。

家人もいたから、一人ではないんだけど、
自分の心の平和は自分で守れるし、
人に感情のおもりなんてしてもらわなくても、
こんなに幸せなんだよなぁと知ると、
相手にも「どんなでもいいよ」と言ってあげられる。
つまり自由を認めてあげられる。

こういうモードでいると、人ともめることがなくなっていく。
どんなでもいいよって認めてるからな。

どんな状況であっても自分を守れるという安心感と自信が出てくるの。

一言いうか、黙って離れる。
「今、これやってるから、あとにしてくれる?」
冷たいような、厳しいような、コワいような気がするかもしれないが、それが愛を守るということだ。
自分の領域を守る=相手の領域も守る、ことになる。


そういうモードでいると、あいつらが今後どんなことをしてきても
身近な人と平和に協力しあえるから安心だなと思える。

年末年始はそういう関係性をつくっておくチャンスだw

相手の期待に応えようと思わないほうが、結果的にいいことになるんだ!

またお嫁さんのほうも「わたしはこう思うんだ、こうしたいんだ」と言っていいのだ。てゆうか言ってくれ。ただそれだけだ。犠牲者タイプの人はなかなかこれができない。最初はちょっと怖いかもしれないけれど、自分の感情を感じながら、ぜひ言ってみてほしい。案外、その感情がちゃんと通じるのだ。それであっさり認めてくれたりする。(ムリな人もいる。その場合は距離をおいたほうがいい)
あ、こわくない!とわかる。それどころか、相手のやさしさが感じられてうれしくなったりする。
そういう経験が増えてくると、もしかしたら、いじわるな姑というのは、自分の心がつくった幻なのではないか、と気づくんだ。(仕事の上司などもいっしょだ。もちろんムリな人もいる)

そういう感じになっちゃえば、身内同士で協力しあえる。

来年は今年以上にいろいろ起こるかもしれないけれど、
それでも大丈夫だなという安心感と自信も生まれる。
なにより心が通う関係は幸せだから、精神的に潰れることがない。
心が潰れちゃうと、みずから破滅や崩壊を作っていってしまうからな、人間は。
あいつらが崩壊するより先に、自分の心がつぶれちゃうなんて残念すぎるからな。

でもそんなところから抜けるのは、案外簡単だってことさ!