おばさんは、やんちゃな人を見るのがけっこう好きなんだ。
それは、自分がぜったいにできないことをしてくれているから、
まぶしく見える、気持ちがいいってのがあると思う。
その表現に拍手を送りたくなるw
COMPLEX RAMBLING MAN TOUR'89
このころの無敵の二人がまぶしい。
まだ日本が元気だった時代。。。
COMPLEX TOUR 1989 _ Inkstick芝浦
最後、観客にダイブしちゃうの、アツいね!
年を重ねても、ご活躍されている。震災の時、コンビ復活したのね。
東日本大震災 被災地復興支援 [ BE MY BABY ]
ほていさんは、アッキーと、アレだけどな。。。
芸能人はみんなあいつらさ、ということがけっこう有名になってきたけど、
そんななかでも意識に着目してみると、興味深い。
あいつらに縛られて大変そうな人、
あいつらとうまくやって甘い汁を吸っている人、
あいつらのワナにどっぷりはまっちゃった人、
うまく世渡りしているように見える人、
わりと自由に活躍されている人、
ほんとうにいろいろだ。
芸能人だけでなく、一般人もそうだろう。
こんなふうに
人によって違いがあるのは、どうしてなのか。
吉川さんは、「おれはこうしたい」っていう、自分の「意思」にまっすぐな気がしてね、
Wikipediaを見て、おばさん納得した次第だ。
以下、Wikipediaより引用。
幼少期の吉川は千葉真一と倉田保昭の大ファンで[11]、彼らの活躍に憧れを抱いていた[12]。
ここが意思のスタートだな。かっこいい人が好き。
ちっちゃいころから、男らしさの表現が好き。
府中町立府中小学校出身[注 1]。修道中学校を経て修道高等学校2年時に中退[10][14]。
中学校の時から水球の選手となり、修道高校時代には世界ジュニア水球選手権大会の日本代表、2年連続全日本高校最優秀選手に選ばれ、最年少日本代表としてイタリア・エジプト遠征にも参加した[15][16][17][18][19]。
そうだ。吉川さんといえば、肩幅だからなw
水球で鍛えた強靭な肉体、これも、本人は意図して水球に励んでいたわけではないんだろうけど、彼のパフォーマンスには不可欠な要素だ。
水球で鍛えた逆三角形の体型が男子トイレのマークに似ていたため、学生時代のあだ名は、「便所マーク」、短縮して「便所」だった[90]。人が大勢いる所で、友人から「便所ー!」と大声で呼ばれ、恥ずかしい思いをしたとデビュー当時の歌番組で話したことがある。
人には、自分のこれまでの経験、持ってるもの、すべてを統合して現実を創造する力があるんだ。
広島では名の知られた進学校である修道中学校を受験した理由は、「制服の袖の部分に1本の白線があり、それがカッコよかったから」と述べている[19]。
かっこよさに対する感性がすごいからな。
学校も、制服のかっこよさで選んでしまう。
そういえば、おばさんも制服がかわいい学校に行きたかったもんな。制服がダサい学校は、いやだから、選択肢になかったもんなw
重要さ、3年も着るんだもん。
合格したものの授業についていけず、いきなり落ちこぼれたとメディアでも語っている。しかも、いざ入学するとその1本の白線で修道中学校の生徒だと判ってしまい、悪いことができなかったため嫌いになってしまった。
渡辺プロ所属[編集]同じ水泳部だった酒井麿に誘われ[20]、ロックバンド(EIGHT CITY'S FISH BAND(八つの街の魚) / 通称:はまちバンド)に加入[21][22]。
男女混合7人(男子5人、女子2人)のバンド形態で、オリジナル曲は4曲と少なかったが地元を中心に自主コンサートを行い、コンテストにも出場した。
吉川の歌唱力、ルックス、パフォーマンスは求心力があり、郵便貯金ホールや広島見真講堂で行うライブはアマチュアバンドながらいつも大盛況であった[23]。
もう高校生あたりから、勝手にやりたいことをやって活躍してしまう。
ここが、おばさんとは違う。
おばさんは、学校や友達がやんなっちゃうと、うじうじして、いじけて引きこもってしまうくちだ。
せいぜい地元の友達とつるんでちょっと遊ぶくらいで。
高校2年生の時に佐野元春のコンサートを見てカルチャーショックを受け、大学進学を取り止めて音楽一本に絞って勝負する決意を固めた[17][24]。
大学行かないと将来やばいかな、とかそういうことは考えない。
打算がない。そのときの自分の「こうしたい」って気持ちで決める。
これが、一貫しているのね、だから見ていて気持ちがいいんだな。
そして、これが吉川さんのかっこよさの源だと私は思った。
じっさいにそうやって自分を表現して、成功していくからな。
「音楽の世界でビッグスターになる」とその後のサクセスストーリーを考えた吉川は「まずはスカウトされること」と考えたが、
あ、一応彼なりに、作戦は考えていたのかw
アマチュアバンドで有名になっていたとはいえ地方都市の一角(吉川曰く「田舎」)でのことであり、そうそうスカウトされる筈も無い。
そして、現実を知る。そのあとがまたステキなんだわ、
シビれを切らして自ら渡辺プロダクションに「広島にスゴい奴がいる、見に来ないと一生悔いを残す」と手紙を書いて送りつけた[10][15][17][25][注 2]。
こういう行動に出る。この「シビレを切らして」っていうのも、どうやら吉川さんの特徴のようだ。
男らしいなw
なお、なぜナベプロかといえば「沢田研二、アン・ルイスなどが当時所属していたのがナベプロで、ここがいいな」と言い(吉川の回想)、他のプロダクションは知らなかった
あんまりごちゃごちゃ考えたり、調べたりは、しない。
フィーリングと勢いでやってしまう。
そして最終的には成功してしまう。
いや、「成功させるに決まってるだろ」、たぶんそういうお気持ちだと推察する。
渡辺プロの関係者が、高松の松本明子を見に行った帰りに、本当に会いに来て、その後の数度のオーディションを経て、プロダクションと正式に契約を交わした[15][注 3]。
自信まんまんで、強気だから、相手も興味を持つ。
弱気で否定的な自信のなさがあると、その時点で相手もスルーしてしまうと思うんだ。
そして会ってみると、才能もありそうだ、見込みアリと判断するわけだ。
この実力もちっちゃいころから好きだったことを、本人があんまりごちゃごちゃ考えずにやってきた成果でもあるわけだ。
たぶんご本人はやりたいことやってただけって感じだろうな。
てことは、打算で、将来のために役立つからとやるよりも、気持ちに忠実にやりたいことをやってハッスルしているほうが、現実にカタチになりやすいということだ。
じつは、自分の無意識は、全部知っている。
自分の可能性、今回人生でやりたいこと、だいたい死ぬまでにどういう計画でいくか、など。
そして時期が来ると、「やりたい」という気持ちにさせる。
だから感情とは、無意識からの声、メッセージなので、感情を主に叶えていくほうが、スムーズにいく。
そういうわけで勉強だけの人よりも、こういうタイプのほうが世の中をうまくわたっていける。それには、こういった意味があるんだ。
自分が「したい、だからする、できた、うれしい」っていうのをやっていくと意思がどんどん育っていくんだ。
なのに、親があれこれ否定したり、
直接こどもを否定しなくても、他者に対しても自分に対しても否定的だと、こどもにも伝染しちゃう。
自分が「したい、だからする、できた、うれしい」、っていうのが、自立への道だとすると、そうしちゃいけないような気持ちになるのね。
親の否定的な意識が伝染し、
親子でマイナスの関わり(たいてい支配)をしていると、
「これやっちゃいけないのかな?こんなのバカみたいなのかな?」
っていつも人の評価や人目を気にするようにもなる。
するとのびのびと自分自身でいられなくなっていく。
自分の力の発揮にしかたがわからなくなっていく。
学校でも自分自身でいられない、他人ばかり気にして、自分の意思が持てなくなって弱くなる。
するといじめられやすくもなると思うの。
心の中で他人を気にしてる割合が多いと、マイナスになってしまうんだ。
じつは、私の親が否定的なの。両親そろって。
私自身は大人になってそれが自分の意識のひな型になっていることに気づいて、ずっと書き換える作業をしてきたんだ。
でも私の妹弟は、いろいろなのね。
そのままでいたい者、少しずつ書き換えたい者、
いずれにしても時が来ないとそういうことに向き合う気にならないからな。
だから現在したくない気持ちなのも全部意味があって、適切な時期が来たら、そうしようと思うから、自然でいいんだなぁと最近納得している。
そういう視点で見ると、吉川さんは生まれたときから、私のようにマイナスからスタートしていない。
小さいころから一貫しているところを見ると。
きっとマイナス意識が少ない状態でお生まれになっているのかなと。
親御さんもわりと肯定的だったのではないかな?と想像する。
(私自身は前世からのマイナスの続きがあって、そういう親のところに生まれたんだなと最近納得した)
お父さんは、少し、きびしかったようだけど、
お父上に言われたことも、彼の今後の活躍のひな型になっているのではないかと思った↓
しかし、教師、両親や周囲から芸能界入りを猛反対された[27]。
特に父親からは「芸能界ってのは猿まわしだ。お前は東京で猿になるのか」と言われたが、「いつか自分で動いてやる」と決意を表明して説き伏せた[28]。
お父さんは、芸能界の現実をご存じだったんだな。
お父さんも京都で大部屋俳優をされていたことがあると書いてある。
だから、知ってたのだろうな。芸能人とあいつらとのつながりを。
こんなふうに親を否定し、越えるということが、必要であったりする。
男の子はそういう時があるもんだ聞いたことがあるけど、じつはおばさんも、それを経て今がある。
おばさんは、女だけど、男らしいとよく言われる。
吉川氏は肩幅すごいけど、おばさんは、なで肩や。なで肩ロックンロールだ。
樹木希林「…もう来ちゃったんですか。せっかく静かに暮らしてたのに」
— りゅ。 (@project_RH880) March 17, 2019
内田裕也「ロックンロール」 pic.twitter.com/LiLApJIAJU
あれ、これ、天国でぜったいこういうこと言ってるねw
内田裕也が「吉川のヤローが挨拶に来やがらねェ」と吉川の楽屋に乗り込もうとしたら、ビートたけしが「アイツは強いから止めといたら」と内田を止めた
ロックンロール断念の瞬間だな。
よかったな、たけしさんが止めてくれてw
「いつか自分で動いてやる」と親を説き伏せているから、
最初は芸能事務所のお世話になるけれど、いつか自立してやるって最初から思っていたと推察される。
えらい人にくっついて、気に入られて、引き上げてもらおう、のし上がろうとは思っていなかったわけだな。
ここが、ミソだな。
そして、お父さんの言葉から、芸能人の多くは猿回しのサルにされてしまうことも知っていた。
大学進学を断念することを惜しむ声も多かった(世界ジュニア水球選手権大会の日本代表、2年連続全日本高校最優秀選手に選ばれた実績もあり、水球の推薦で慶應義塾大学に特待生として入学できる道が開かれていたため)[要出典]。
水球でも相当にすごかったわけだ。やりたいとなると、そのエネルギーと、叶えてしまう力がすごいわけだ。
事務所側はデビューは高校を卒業してからと考えていたが、吉川本人が「今すぐにでも」と強い意志を示したため、高校3年に進級する直前に中退して上京することになった
すごいな。学校なんてどうでもいい。いますぐにでもやりたくてたまらない。
勢い勇んで上京したものの、吉川以外にもスカウトを受けて事務所のある東京に呼ばれた若者が大勢おり、スクールメイツと歌やダンスを練習する日々が暫く続いた[27]。
上京すればすぐに(1983年6月)ギターの弾き語りでソロデビュー出来るものと[23] 思っていたが叶わず、いつまでたってもデビューさせてくれないことに業を煮やし社長室に行き社長に直談判したところ、その勝気で怖いもの知らずな度胸を渡辺晋社長に気に入られ、デビューへの運びとなった[29]。実際に渡辺プロは吉川を「10年に1度の逸材」と高く評価しており、凋落していたナベプロの起死回生のため、社長自らが音頭をとってデビューのためのプロジェクト・チームを編成するほどの力の入れようだった
やっぱ、これが彼の行動パターンだな。
思い通りにならない現実は、ふつうの人と同じく、ある。
そこでしびれをきらして、行動に出る!
しかも社長だから、偉い人だからといって遠慮や物怖じしない。
偉い人であっても、人としては対等なんだ。
そういう意識だと対等に交渉できる。自分の希望が言える。
えらい人だからって自分を下に置いちゃだめなのね。
あるいは弱い立場の人に居丈高になってみたり。
こんなふうになりがちな方は、まだ支配から抜けられていない感覚だということだ。
対等に捉えていた方が、自分の希望も言えるんだ。これだとあんまりこわくないのね。言っていいのは当然なんだって。無理強いさえしなければ。
言ってみて交渉するのは自由だもんって。
そして対等に関われた方が、結果的に偉い人からも気に入られるはずだ。
心が通じる、話合える、かわいいヤツだと感じるだろう。
卑屈にへーこらするやつは、腹に一物あるかもしれないけど、こいつはそういうのがないって。
そして、吉川さんもどうやら社長とそんないい関係になったようだ。
シビレをきらして直談判に来たヤツは、じっさいに才能も実力も度胸などの精神力もあるとなれば、事務所としては使わない手はないよね。こうしてデビューしたわけだ。
これは自信がなかったり自分を否定していたり、意思を打ち消す思考ばかりしていると、できないんだ。
こんな意思が現実をつくっている。
思考ではなくて。
だから吉川氏は自力でデビューされたんだなと思った。
恵まれた肉体や才能もまた、彼の肯定的な意識がこれを育て、作り上げたわけだ。
それを周囲に認めさせ、道を切り開いたのもご自身だ。
全部、ご自分の意思の力、意識が肯定的だったからこそできたんだなぁと思った。
意思は、感情から生まれる。
そして上記のとおり、感情は無意識からのメッセージだ。
「したい」なら「やるのは今やで」っていうメッセージだ。
だから思考より、感情を主にしているほうが、最短距離で夢が叶いやすい。
それも心が楽で肯定的であればあるほど、あまり苦労しないで、最短距離で叶うようだ。
最近の若い天才を見ていてそう感じる。
自分の意識が現実化するならば、心にはプラスもマイナスもあるわけで、
マイナスが叶うと大変なわけだ。
そうやってマイナス感情も見てOKしてあげると、マイナスの感情も循環をはじめて、きれいに楽になっていく。いやされていく。
たぶん吉川さんは、自分の表現が好きでたまらないから、その幸せや満足感で心のエネルギーの循環がすごいんじゃないだろうか?と想像する。
エネルギッシュだ。
多少、殴り合いのけんかをいても、あんまり後ひかず、さっぱりしてそうだ。
だからほていさんとも震災のときに再結成しようということになったんだろう。
方向性の違いからケンカして、活動休止になったそうだけど。
なで肩のおばさんにはそこまでのエネルギーはないので、
自分の心を感じてあげることで感情のエネルギーを循環させるんだ。
それでも循環すれば、人は元気になるんだ。
きっと女性エネルギー的だな。
吉川さんは男性エネルギーだな。
でも性別にかかわらず、みんな、どちらもあって、バランスときれいに循環していることが大事だ。
そして、マイナス感情にならないような人との関わり方を覚えると鬼に金棒だ。
ちょっとずつやってみて、こっちのほうが楽だな~とわかればしめたものだ。
すると安心して、人と関われるから、自分の自由度も高くなる。
そうすると、トラブルにならないわけだから、恐れなども少なくなっていく。
恐れがあるから、みんな自分の気持ちに、意思に、忠実に自由に行動できないわけだ。
自分の意思をしっかり感じられるようになるには、
いやなことは、しなくていい。
いやなところにいかなくていい。
いやな仕事をわざわざ選ぶ必要がない。
つかれたら休んでいい。
ってすることだ。
ネットなら、不快なものは見なくていい。
それは自分には不要だということだ。
いやな人、場所から離れて、距離を置いて、自分の意思で、マイペースでいる。
それだけなんだ。
激しく戦う人は、人との距離が近いし、我慢する。
(ここから相手の変態度などもなんとなくわかるんだw)
これだと一度成功したとしても、
トラブルに見舞われたり、他人との支配関係に苦しんだり、短命に終わるケースが多い。才能も伸ばせない。
自分の意思で、他人とさっぱり離れて戦わないでいられる人は、
人にくっつかないから、支配関係に陥りにくい。
じっくり時間をかけて自分の意思を豊かにしていって、息の長い活躍ができる。
これが本当の自立だ。
現在は、多くの人がまだ人とくっついている。
人との心の距離が近いんだ。依存したり戦ったりしている。
だから現実世界もネット上も、あんまり気持ちよくないんだ。
でも、気持ちよくなければそこから離れるだけでいいんだ。
たぶんそれは、相手が支配やなにかを仕掛けている。
それを自分がキャッチしている。
そこで相手を攻撃してしまうと、それはあいつらの手下によるワナかもしれないしな。
そういうところから離れて、
自分の意見を発信していくだけで、それに賛同した人が、ご自分の考えとしてまた発信していく。
こうしてみんながやりたいようにやることが、ゆるやかな協力となって、すこしずついい方向に進化していくんだ。
こんなふうに、不快なところ、人と離れて、いやなことをしない、とするだけでも、
だんだん自分の意思が育ってくる。
さっぱりさばさば、軽くいられる。
気持ちよく、自分の行きたい方向に行ける。
そして、結果的に、多くの人にプラスに貢献することになる。
本当はカンタンなんだ。
多くの人を観察していると、
やっぱり感情から来る素直な意思の扱いに熟達している人が順調に成功しているなぁと思う。
我慢したり戦ってると、他人を気にしているから、相対的に、自分の意思がなくなっていくので、
まずは少しずつできるところから、それをやめていくことなんだ。
だからビジネスも自分が好きでこだわっていることで成功している人のほうが長く続くだろう。
損得で、国の方針などに合わせてビジネスを作るより。
これだと国が方針を変えたら、衰退するわけだからな。
国の方針にあってるときはいい思いができるけれど、
永遠に国の方針にふりまわされるわけだ。
だからおばさんは損得だけで話をする人があまり好きではない。退屈してしまう。
損得だけならば、これからはAIが正確に教えてくれるだろう。
人間だからな。わたしたちは。
そういうわけで、高校を卒業してから上京しようなどという思考がつゆほどもない、自分の情熱だけでつきすすむ若かりしころの吉川さんがまぶしく感じた。
そういう方は、トークのときも愛想笑いなどはあまりしない。
complex 夜のヒットスタジオ
自分がおもしろければ笑うけど、自分を感じながら話している。
Bzも、トークのときいっさい笑わないのよ、とタモリさんが言っていたな。
それは、たぶんつねに自分のペースで自分のハートにいるからだと思われる。
自分を感じている。そこから音楽を創造している。
本当の天才はそういう感じだ。
上記動画のトークを見て、ほていさんは、わりと空気を読むタイプではないか?と感じた。
そのタイプは、察してくれて、やさしいかもしれないけど、
自分の意思という点では、ちょっと弱くなる。
なぜなら、空気を読むと、他人のほうにエネルギーがとられるからだ。
そして、空気読むタイプは我慢する。
他人のために自分はちょっと我慢するってことだからな。
どうしても自分の意思が弱くなる。
これが高じて、他人が中心になってしまい、
心のなかで、他人が占める割合が多くなり、自分を感じる割合が減ると、
意思も弱くなっていき、他人にとらわれていく。
こうなるとけっこう苦しい。
あいつらのワナにもはまっていく。
そうなると自分の意思がなくなっていくから、才能が伸びにくい状態だ。
これはアーティストにとっては致命的だと思うんだな。
「事件はある意味、ケガの功名だったと思う。作詞に1カ月かかることもあったのに、事件後は4時間かからなくなった」
曲作りに苦労していたのは、シャブのせいだけではないのではないか?と思った。
事件に行きつくまでの、彼のパターンがあったはずだ。
※走り出さなきゃ始まらない
そんなペ-スじゃ意味がない
YOU'RE JUST A RAMBLING MAN
やりたいようにやれよ※
△たかがおまえの事なんて
世の中誰も知りやしない
YOU'RE JUST A RAMBLING MAN
思い知らせてやれよ△
歌詞も吉川氏がお作りになっているのね。
若いときに作った歌詞だ。
当時の素直なご自分の思いを、歌詞にされたんだな。名曲だ。
有言実行で歌詞のとおりに生きてらっしゃるから気持ちがいいんだな。
いろいろケンカしたりやんちゃしたりしても、「おれはこうする」っていうのにまっすぐだ。
おまえもそうしていいんやで、できるんやでと言ってくれている。
詳細なやり方は、おばさんが説明しといたからなw
吉川さんご自身はたぶん無意識に、こどものときからこうできていたんだろうからな。
ところで、広島のご出身で、被爆2世とWikipediaにある。
原爆を落とされたときは、地獄だったはずだ。
阿鼻叫喚だったにちがいなく、この世の終わりだと誰もが思っただろう。
今も苦しんでいる人がいる。
それでも人は滅びない。
そこからこういうエネルギッシュな、肯定的なエネルギーがすごい方が生まれる。
いま、ワクチン、農薬、ウイルス、電波、放射能。。。
問題なく元気いっぱいでいることが当たり前ではなくなりつつある。
こんなに元気いっぱいの男らしいキャラの方はめっきり減った。
人間は滅びるのか?と思っている方も多いだろう。
でもわたしは、そうならないと思っているんだ。
人間のほうにも生き延びるしたたかさ、害を避ける知恵と本能がある。
だから私は、いやなところや、しょうもない戦いから離れて、
自分の感情から来る、本当の意思と力を取り戻したならば、
人間は元気になると思っているんだ。
それを吉川氏が証明してくれているような気がした。