衆議院で五票差でかろうじて可決された郵政民営化法案が、参議院では否決された。日本の政治体制は二院制をとっており、日本国憲法の規定では衆議院は参議院に優越するとされているが、法案成立の再可決要件を衆議院議員の三分の二以上としているために、今日のように多様化した民意のなかで、実際には再可決はほとんど不可能となっている。そのために、本来に期待された衆議院の優越性が保証されず、参議院が実質的に法案成立に重大な障害になりうるという事態が生じている。
日本国憲法が二院制を採用しているのには、参議院によって民主主義の弱点とも考えられる衆愚政治化、「」政治化を予防し、良識と理性を政治に働かせるためであったと考えられる。
しかし、戦後60年経過して、そのような本来の意図から離れて、事実として参議院はいわゆる特殊な利益団体や官僚の利権を代弁する「族議員」の巣窟になってしまっている。あるいは、そこまで言わないにしても、少なくとも、かっては緑風会などの存在によって良識の府であるとされた参議院が、今回の郵政民営化法案の否決などに見られるように、参議院が本当に「良識の府」であるのか、参議院が国民の一般的な意思を真に民意を代弁する制度であるかという、民主主義の根幹に対する疑念が生まれている。
そこで小泉首相は民意を問いなおすために衆議院解散という手段をとらざるを得なかった。そのために要する選挙費用や時間的な損失は計り知れないものがある。しかも、たとえ民意の多数が確認されたとしても三分の二以上の多数を獲得しないかぎり、再度参議院で法案が否決されれば、少なくとも、次の参議院選挙までは、法案の成立は期待できないのである。こうした事態は肯定されるべきか否か。
今回の郵政民営化法案のように、国家の迅速な意思決定が要請され、緊急の国家的な課題についての法案成立が求められているときに、そして、国民の意思が多様化している現代において、参議院と衆議院で表決が食い違ったときに、衆議院での三分の二以上の再可決という要件は、国政運営上の重大な障害となる。深刻な制度的な欠陥、憲法上の不備だと思う。
衆議院であれ参議院であれ、国会議員が民意を正しく判断しているかという問題、あるいは、国会議員と民意が異なっている場合、「民意」といわゆる「選良と呼ばれる国会議員の判断」のどちらが正しいのか、また、その是非の判断の基準は何かということがここで問題となっている。
確かに、一般に国会議員は「選良」として専門的な見識と高い倫理性を持っているべきものとされる。今日の社会制度は、複雑で専門的な学識と経験をもった専門家でなければ対応できない場合も多い。
しかし、日本の一部の「官僚」や「族議員」を見ても分かるように、本来、国会議員は国家全体の利益を、国益を追求すべきであるのに、自覚的にか無自覚的にか、国益の犠牲にして、一部の特殊な利益団体の利益を、あるいは、自己の利益を追求するということも起こりうるのである。間接民主主義においては、こうした国会議員の腐敗ということはつねに必然的に生じる。
こうした問題を合理的に解決するためには、政治制度はどうあるべきか。このような問題を反省するとき、民意の尊重という点と現代政治の政治的決断の緊急性からいっても、現行の憲法第五九条第二項の「三分の二以上の可決要件は明かに不合理である。
多くの人がすでに論じているように、「三分の二」は「過半数」にそして、「参議院の廃止」か、少なくとも「参議院定数の半減」が、合理的で効率的な政府の確立に必要な改正点ではないだろうか。
今後の憲法改正においても、参議院の廃止や国会議員定数の削減などとともに大いに議論されるべきテーマだと思う。
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