航空母艦ジョージ・ワシントン2008年9月25日横須賀入港
航空母艦ジョージ・ワシントン
アメリカ海軍の原子力航空母艦ジョージ・ワシントン号が25日の朝、神奈川県の米軍横須賀基地に入港したことが報じられていた。今年の5月に乗組員のたばこの火の不始末?による火災事故のために、一月以上も寄港が遅れたとのことである。
例によって、労働組合や市民団体が、この空母の入港に反対して気勢を挙げていた。放射能の汚染漏れ事故などを恐れてのことであるが、そもそも入港反対派は、日米安保条約それ自体に反対している。
北東アジアの情勢は動揺を深めつつある。北京オリンピック後、上海万博後の中国国内の動向、金正日の健康悪化による北朝鮮の不安定化、それぞれの国で国内矛盾が深刻化しつつある。中国はその海軍力をとみに強めて、東シナ海から太平洋への進出と覇権を目指している。最近も日本の領海内に海上自衛隊の座視するのを尻目に中国海軍の潜水艦は遊弋出没している。
また、アメリカのテロ指定国家解除の延期に業を煮やした北朝鮮は、IEAによる核施設の封印と監視装置を取り外した。中国に近い西部海岸沿いに新たなミサイル発射台が作られているともいう。その矛先は日本である。
今回の空母ジョージ・ワシントンの寄港は、動揺を深める北東アジアの情勢下に、中国や北朝鮮さらにロシアなどに対して、アメリカが日米安保条約にもとづいて、その軍事力の存在を示して抑止効果を狙ったものである。
軍事力の均衡が唯一の平和の条件であるという現実の国際関係の中で、自国の軍事力の放棄をうたった日本国憲法による不備と空白を埋めるためには、安全保障条約にもとづくアメリカの軍事力に依拠するしかないのである。
歴史にみるように、諸国家は相互に排他的であり、つねに対立の生じる必然性におかれている。そうした現実にあって、日本国民が自国の独立の保証を自国の軍備に求めるという独立国としての当然の条件を放棄するとき、日本国はその空白を埋める代償として、アメリカに軍事力の駐留と存在を求めざるをえない。そして、この現実こそが日本国の対米従属と半植民地化の傾向の根源になっている。
日本国憲法の軍事力の放棄の規定そのものが、日本の対アメリカの従属とその半植民地化を必然的な帰結としてもたらしている。それにも関わらず、この現実を現行日本国憲法の擁護論者たちは見ようとせず、自らの自己矛盾を自覚することもない。
安全を他国に依存するという豚の安楽とモラルの退廃から抜け出して、独立国としての自由と主権を日本国民が独自の軍事に求めて行くことを悲願とするなら、日本国民は国際関係の中で諸国家の間に存在する緊張と不安の中に身を置くことを覚悟せざるをえない。それは自由と独立の代償でもある。
太平洋戦争の敗北という特殊な状況下で制定された現行日本国憲法も、以来半世紀を過ぎ、その間にGNPで世界第二位を占めるなど、国際環境も国内の政治と経済の体制も大きく変化している。そして、いずれ中国海軍とアメリカ海軍が太平洋を支配し利権を分けあおうとする中で、日本が自由と主権を守ろうとするとき、現在の日本のような「経済大国」がいつまでも軍事的、政治的弱小国であり続けることはできない。それは侵略戦争を絶対的に否定する立場とも矛盾するものではない。また日本が完全な民主主義国として世界から認知されるとき、自由と主権の独立を追求するための日本の軍事力を否定する民主主義国はないはずである。
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