さて、続き物を書くのは、あまり慣れてなくって、でも少しでも読んでいる方がいれば、書かなきゃあなあ、と、そんな熱烈な読者っているわけもないでしょうが、この駄ブログ、続く、と書いた以上、書かざるを得んでしょう。自縄自縛とは。このことか。
40年以上も前の、ぼくの教生体験で事件が起こった、さてその事件とは?
ある日の教室で、なんと、クラスの中でも親分肌の男の子が、どうやら一人の女の子をいじめていることが分かりました。ぼくが、いじめを認識して黙っているのは絶対にありえないこと。
さっそく、学級のわんぱく坊主に言い分を聞いてみることにいたしました。かの、体格もしっかりしていて、我こそは学級の法律なりと、いささかどこにでもいる勝手な勘違い人間の親分肌のわんぱく坊主の言い分はこうでした。
いじめられている一人の女の子は、おとなしく、目立たない子でしたが、一つ癖を持っていたらしいのです。鼻に指を突っ込んで鼻くそをほじくるという癖があって、そのことが先生に言われた不衛生なことにあたるので、我こそは法律とでもいう勘違い検察官、または裁判官であるらしいわんぱく少年は、実力で注意してあげた、ということのようでした。
泣いている女の子の前で、そしていじめっ子のわんぱく坊主に向かって、教師になる前のひよっこ教師見習いのぼくは、厳かに宣言したのでした。
「どんな理由があっても、わたしはいじめは絶対に許しません。」
それまで、教師にそんなこと言われたことがないのでしょうか?わんぱく小僧は幾分不満のようでした。でも、ぼくの断固とした言い方に、しぶしぶしたがってくれたようでした。
その後、ぼくは教師になることはなく、民間の零細企業に就職することになるのですが、40年以上も前の教育公務員の就職事情を話せば、完全に売り手市場でした。首都圏の各自治体の教員採用試験は、噂によると ですが、受験すればもう誰でも合格、採用されるということのようでした。でも、ぼくは一切受験すらいたしませんでした。へそを曲げるにもほどがあるというものですね。党派は違うけれども同じ学生運動をやっていた多くの同級生たちは何食わぬ顔で教員になり、そんな連中は、風の噂によればですが 就職1年目で、はやくも給料使い切れないよう、というありえない悲鳴をあげていたとか。そんな頃、ぼくは民間の不安定な職場で一人悶々として、地方の小さな街で微かに息をして暮らしていたのです。
写真・文 いしごうおか