追記
バリで知り合った60代後半の日本人が不思議な話をしてくれた。あるときバリのある場所でジャワ島出身の奥さんが車を降りた後でバリの神々についてなにか軽口をたたいたところ、車のバックガラスが突然大きな音を立てて割れたという。バックガラスが突然大きな音を立てて割れるなど聞いたことのない事象で、その日本人も作り話をするような人柄ではない。土地の神が怒ったのだとその日本人は真顔で述べ、私にも土地の神々への敬意を払うように忠告してくれた。その日本人は不思議な現象を奥さんがジャワ島出身者のモスリムでバリの神々を讃えていないのが原因と解釈していた。
マッサージ師のアユは母の死後に身元をしらせずにバリアンに相談した。生前に母が呼んでいた名前xxでアユを呼んだことに驚く。xx、近くにおいでと言った。その言葉でアユの疑いは飛んだ。アユの母はサヌールよりもシンガラジャに帰りたいと言った。バリアンは、私たちがサヌールから来たことも母がシンガラジャ出身だとも知らない。「xx、セダップマラムを買ってきて、私の傍に置いてほしい」アユは部屋にセダップマラムを置くのを好み、いつも部屋にはよい香りがしていた。アユは母の棺にセダップマラムを入れたという。
2015-12-01 初稿
過去に見聞した不思議な話のなかで、わたしにとって本物の不思議と考えるものを集めてみた。
もっともウィリアム・ジェームズは「それを信じたい人には信じるに足る材料を与えてくれるけれど、疑う人にまで信じるに足る証拠はない。超常現象の解明というのは本質的にそういう限界を持っている」と発言している。
「カラマーゾフの兄弟」でゾシマ長老は「現実主義者においては、信仰心は奇跡から生まれるのではなく、奇跡が信仰心からうまれるのだ」と述べるが、このあたりの事情をさすものと思われる。
ジェームスヒューストンの生まれ変わり
ルイジアナ州ラファイエットにすむ2歳児ジェームス君は70年前第二次世界大戦で硫黄島において日本軍に撃墜されたジェームスヒューストンの生まれ変わりだという。
翼が折れ曲がっている特徴のある戦闘機コルセアの名前やドロップタンクさらには飛行機が炎上して出られない、閉じ込められたといって2歳児ジェームス君は夜泣きする。ナトマ(ベイ)硫黄島の名も。兵士の人形に聞いたこともない、そして決して一般的でない(ジャック)ラーセン、ビリー(ピーラー)、レオン(コナー)の名前を付けて遊んでいる。
親父が不思議に思いネットの航空母艦戦死者名簿にアクセスして(ジャック)ラーセン、ビリー(ピーラー)、レオン(コナー)を確認すると実在していた。ジェームスヒューストンの姉から送ってもらった写真にはコルセアとジェームスヒューストンの写真があり、戦闘機コルセアの名前と実在も確認された。テレビ番組アンビリーバボより
稲垣勝巳さんの催眠誘導
応答型真正異言つまりまったく縁のない言語をしゃべることの4例が報告されているがネパール語と日本語のように全く関係のない真正異言は例がなく、また動画録画(youtube)されたものも初めて。中学教頭だった稲垣勝巳さんが催眠誘導する様子が録画されている。
里沙さんは24分間の間、ネパールのタマン族の発音でゴルカ地方ナル村のラタラジューと名乗る人物だったと29語のネパール語で話す。リサさんはネパールに行ったことも学んだこともない。ダル(豆料理)を食べると、現地の人しかしらない言葉や食事の習慣も話す。ラタラジューの父はタマン族ラナ家の出身でラメリと称することまで現地調査で判明している。また、一切ネパール語を学んだり聞いたりしたことのない里沙さんの話す内容は70パーセント程度会話が成立しているとネパール人の日本在住学者がコメントしている。リサさんはポリグラフ(嘘発見器)のテストにもクリアしている。
また、時系列にも矛盾がないことを次の生、没年月日によって証明している。たえさんは里沙さんの前世ラタラジュのさらに前世の女性で、稲垣勝巳さんの催眠誘導で日本に江戸時代に生きたと述べている。
1783年 たえ 没 1816 ラタラジュ生まれる 1894 ラタラジュー没 1958 リサ生まれる
Dr.Eben Alexander氏の話
ハーバード大学医学大学院で25年もの経歴を持つ神経外科医、Dr.Eben Alexander氏は彼があったことも存在の事実すらしらない亡き妹と臨死の際に会っていたことが決定的に彼に確信を与えた。
この話の信憑性について話そう。どこが他の人の話と違うのか。彼は昏睡状態の時、大脳新皮質が全く機能していない状態にあった。つまり、なぜそんな体験をしたのか、脳機能的に説明できなかったのだ。つまり、見るはずのないものをみたことになる。Eben Alexanderは自己の経験を次のように検証している。
動物が外的刺激による反応として死んだふりをすることがある。終末痛を和らげるための防御反応として、何か幻覚を見たのでは?
意識や記憶の交換を伴うようなリアルな体験を説明できない。
大脳辺縁系から呼び起こされた記憶が炎症によって歪んでいるのでは?
髄膜炎は大脳皮質(脳の表面)で発生している。そのため意識や記憶の交換を伴うようなリアルな体験は説明できない。
DMT(幻覚剤)はセロトニンを発生させ、鮮明な幻覚を見せる。個人的にセロトニンを増やすドラッグによる薬物体験(LSD)には10代の頃から詳しいが、DMTについては経験がない。ただし、患者にどんな影響が発生するのかは見てきた。
リアルな幻覚を見るためには、正常な聴覚神経や視覚野が必要だ。髄膜炎による昏睡で、私の大脳皮質(視聴覚を司っている)は機能停止していた。幻覚が見えるはずがないのだ。
脳は機能停止状態から回復する際に、古い記憶を一気に放出すると言われている。その際に記憶の取り違えを起こしているのでは?
大脳皮質が機能停止した状態では、記憶が連動しないためハッキリとした記憶が残らない。しかし、私が見た鮮明な夢はそれに該当しない。(※病室の様子も一部覚えていたようだ)
視覚や色彩を司る後頭葉の影響で、特に視覚障がいのある人々には何かしらの作用が現れることがある(後頭部を強く打った時に火花が散ったように見える反応)。鳥類にはよく見られるものだが、人間にもわずかながら認識できるものとして存在している。
その現象をもってしても私が見たようなリアリティのある体験は説明できない。
これらの理論からも、彼の臨死体験は今のところ最も信憑性の高いものとして知られている。現実主義者、そして確かなキャリアのある神経外科医の発言として見ると、やはり何かしら特別な体験をしたのかもしれない。
盲目の女性レニーの事件簿
盲目の女性レニーが幼児誘拐殺人犯の姿をみる。別の事件では変わった靴を見る。いずれも彼女の協力で事件が解決した。
Zさん
東京で個展を開くことになり、彼が我が家に一週間ほど泊まった時の事。「ベッドでザーッという音を聞きましたよ」とのさりげない報告があった。
中村真一郎「死を考える」筑摩書房
ところで、私は四十歳の大患中に、心と肉との分離の経験が幾回かあったり、入院中に私の副身(ドッペルゲンガー)らしい存在の出現が、病院外で、目撃せられるというような事件があったりで、死は単純に私の願っているように、肉と魂との同時消滅を意味しないかも知れない、死は肉体にのみ発生する現象かも知れないと疑うようになり、入手しうるかぎりの、古代から現代に至る死後の世界の記述(チベットの『死者の書』など)、あるいは死の世界の訪問記(スエーデンボルグなど)、又、一旦、死んで甦った現代の人たちの告白の医師による膨大な報告、又、甦る際に、同時に甦った別人と魂の入れ替った記録、自己の前生や、更にそのまた前生への記憶の回復の記述などを、次から次へと各国語の文献によって検討して行った。そして、極めて興味ある事実に気付くに至った。それは、ほとんどの古代から現代に至る記録が共通して、肉体の死後に、私の希望に反して魂だけ生き残るらしいという事実を示しており、その魂のこの世からあの世への移転の状況が、無数の実例によって、酷似しているという、これまた奇妙な事実である。
これは、 歴史上の時代や文明圏の相違を考える時、 まことに不思議な一致だということになり、このような、相互に全く影響のない経験のあいだに、このような一致が見られるとすれば、それは客観的な事実であると結論するのが常識だと、私は考え、それが私を不愉快にしている。
イアン・スティーヴンソン
ヴァージニア大学医学部精神医学講座教授イアン・スティーヴンソンの著書『前世を記憶する子どもたち』(原題:Children Who Remember Previous Lives 笠原敏雄訳 日本教文社)の事例より
コーリス・チョトキン・ジュニアの事例
チョトキン夫人は、アラスカで漁師をしていた伯父のヴィクターから「自分が死んだら、おまえの息子として生まれ変わるつもりだ」と告げられ、伯父の体にある2つの手術痕を見せられた。そして、ヴィクターは「生まれ変わったら、これと同じ場所にあざがあるはずだ」と言った。
その伯父が1946年に亡くなると、その一年半後、チョトキン夫人は男の子を出産する。その子はコーリスと名付けられたが、彼の体には生まれつき母斑が2つあり、その部位はいずれも生前の伯父が見せてくれた手術痕と同じ場所だった。
また、1歳になって間もないコーリスは、コーリスという名前を復唱させようとした夫人に、「ぼくはカーコディだ」と言った。カーコディとは、伯父ヴィクターの部族名である。これ以外にも、コーリス少年は、その行動や興味に伯父ヴィクターと瓜二つといった特徴を示したり、知るはずのないヴィクターの知人たちを見分けたりしている。しかし9歳になる頃には、前世に関することは話さなくなったという。
スレイマン・アンダリの事例
1954年にレバノンに生まれたスレイマンは、幼少期に前世での子どもの数や名前、出身地がガリフェであること、搾油機を所有していたことを口にしたが、それ以上のことは思い出さなかった。だが、11歳になった時に、ある出来事をきっかけにガリフェの首長だった前世を思い出す。前世での名や、その生涯についても思い出した。
スレイマンの親族が、彼の語る記憶の真偽を確かめにガリフェに行くと、思い出した前世の名と同じ名前の首長が12年前に亡くなっていたこと、搾油機の所有やその生涯がスレイマンの記憶と一致することなどがわかった。
その後、ガリフェを訪れたスレイマンは、首長の家族こそ見分けられなかったものの、いくつもの関連する場所や人を見分けたり、その首長の特徴を示したりしている。
ボンクチ・プロムシンの事例
1962年、タイに生まれたボンクチは、話せるようになるとまもなく、前世について話し始めた。前世での出身地やチャムラットという名前、その両親の名、そして自分が祭りの日に刺殺されたということまで語った。彼がこの自分の死の模様を口にしたのは、2歳の頃だという。のちに、この殺人事件が事実であったこと、ボンクチの語った犯人の名前などが一致していることが確かめられた。
また、ボンクチには、タイ人らしくない変わった行動や食べ物の嗜好があったが、これはラオス人特有のものであった。また、ボンクチは家族には理解できない言葉を口にすることがあったが、これもラオス語であることが判明する。チャムラットの一家はラオス人だったのである。
だが、成長するにつれて前世の記憶を語ることはなくなり、その変わった振る舞いもしだいに消えていった。
イアン・スティーヴンソンの知人
某病院の理事長であり、皮膚科・ホリスティック医療を行っている40代の女性医師は、エジプトを訪れた時に、ある神殿で、かつて自分がここで働いていたことを思い出したと言います。それだけでなく彼女は、初めて訪れたその神殿内の細部まで思い出したというのです。
ノヴァーリス
生は死の始まりであり、生きることは死ぬためなのである。死は終結であると同時に開始であり、別離であると同時に近しい結びつきである。
Tさんと釣り仲間が聞いた不思議な声
毎年三人で渓流釣りに行っていたTさんの釣り仲間がガンで亡くなった為に二人で出かけた。とある山中で車を降りて休憩した後に車に乗り込もうとしたとく、「さあ行くか」という亡くなった人の声が聞こえたという。空耳だと思い、相方に何か聞こえなかったかというと、同じ声が聞こえたという。
町田の広場でみたスプーン曲げ
長身の男が事前に客にスプーンをわたしてチェックさせ、左手でスプーンの端をもって立て、右手で気をおくる風。10秒程度でくにゃりと。 チェックの客がさくらでさらにスプーンにしかけがあれば別だが、すくなくとも手を触れていないことと目の前でみたので新鮮な驚きがあった。