このところ何故か数学に関係する読書が多い。数学者藤原正彦のエッセイとかフェルマーの定理が証明されるまでの話など。そして今は小川洋子の「博士の愛した数式」を昼寝の前に横になって読み進めている。
母子家庭の親子に対して記憶障害の数学者が数学を優しく教える。そのなかでゼロの偉大さを説明するくだりがある。ゼロはもともと人々の知識としてあったのではなく実に偉大な発見だと説明する。
ゼロが無ければマイナスの発見も無かったのだろう。4,3,2,1の次にー1をおくわけには行かない。ゼロが介在しないとうまくマイナスにつながっていかない。なるほどと納得したついでに、ただいまお盆につきここで考えをあの世の世界に飛ばしてみることにしよう。
インド人がゼロを発明したことと仏教を創始したことはどこかでつながっているに違いないと常づね考えている。輪廻転生で現世は正の数字で過去世はマイナスの数字で表すとする。そうするとゼロはなにか。これは中有ではないか。中有(ちゅうう)とは死んだ後転生するまでの期間か死後49日のことを言うのか厳密には知らないがいずれにしてもゼロの概念に対応するのにふさわしいではないかと考えている。
では来世を表す数はあるか。これは難問だが数には正負以外に虚数というのがある。二乗するとマイナスになるという不思議な数だ。これがひょっとして来世を表す数ではないかと空想している。
追記用メモ20150915
オイラーによって考えだされたζ(ゼータ)関数は、「無限を区別する」能力をもった関数だったのです。数直線上で無限大∞になる無限級数もゼータ列車に乗せられて複素数平面の世界を旅するうちきちんとした駅~有限な値~に到着させられるのです。このように考えてみると、数直線~地上のレール~をどこまで行っても無限という駅にたどり着くことはそもそも不可能ではありませんか。数直線の彼方にある無限という駅は幻(まぼろし)なのです。
実数で定義された関数を複素数でも計算できるようにすることを「解析接続」といいます。はじめ実数世界~数直線~だけを行ったり来たりしていたゼータ列車は複素数平面を縦横無尽に走り回ることができるようになったのです。その結果、1+2+3+…は-1/12という駅にたどり着くことがわかったのです。
桜井 進
http://bizex.goo.ne.jp/column/ip_3/19/8/p2.html