まさおレポート

宗教とは人間にアプリオリに備わっているものではないか

宗教とは人間にアプリオリに備わっているものではないか

人種、文明があまたあるなかで古代からいくつもの宗教が存在した。そしてそれぞれの宗教は歴史的には排他的であり、現代においても排他の傾向が緩やかになっているとはいえ、変わらずに続いている。

人種差別がよくないこととようやく認識されてきて、表向きはなくなりつつある。まだまだだという人もいるがその方向性は定まっている。あとは歴史的時間の問題だろう。

宗教は人の現世と死後の救済を目指すのだが、これがそれぞれ相手を否定し、互いに差別しあっていては何かがおかしいと常々思っている。宗教とは人間にアプリオリに備わっているものであり、共通のものがあるのではないか。わが心は深くそれを確信しているが、これを他人に理解してもらうことは不可能に近いほど難しい。仏教は方便という言葉でそういった考えを表しているのではないか。人類が偏見なく現世と死後の救済の真理を追求していくなら、必ず「永遠の神」あるいは「ダルマ」の存在に行き着く。

人類は長い歴史でそれぞれの宗教を融合してきたことはほぼ間違いがない事実だろう。意図的に融合しなくてもどこかで影響しあってきている。こうしたテーマについて長年整理したいと考えてきたが、サラリーマンとして人生を過ごしてきた、いわば在家の望みである。

あまり大上段に振りかぶらず、手始めに仏教あるいはベーダやヒンドゥ教とキリスト教の相互影響のネット上の記述や著書からの確認から手始めに取り掛かることにしよう。下記の記述は主としてネット上の記述から収集したが、著書からの引用もある。ネット上の文献の信頼度はそれほどではないとの意見もあるだろうが、その圧倒的な便利さを享受しない方はない。学術論文ではないのだから構うことはない。しかしできるだけ複数の情報をみて確かそうに見える情報を採用するようには心がけた。

釈迦の説と認められるものを求めることは不可能に近い

パーリ語経典の仏教経典である 阿含経は紀元前4世紀から紀元前1世紀にかけて徐々に作成された経蔵の総称でアガマの音をとった。ちなみにバリでは宗教のことをアガマという。パーリ語で書かれたアガマにも疑いなく釈迦の説と認められるものを求めることは不可能に近い。すると大乗非仏説に対する小乗非仏説があってもおかしくないことになる。

大乗仏教の多くの経が紀元前100年以降から5世紀にインドで作られるが小乗仏教も同時期に勢力保っており。小乗から大乗に移行したとみることはできない。つまり、釈迦の真説を求めることも完璧にはできない中で諸説があったということになる。

福音書もニカイア公会議で定まるまでにまでさまざまなバリエーションがあった。宗教とはそういうものだとおもうほかない。仏教やキリスト教相互の影響が重要で、さらに仏教やキリスト教に影響を与えた古代の宗教ゾロアスター教の歴史を洗ってみることが重要になる。

ゾロアスター教からキリスト教の一神教や仏教へ

キリスト教の一神教はイスラエルの神やゾロアスター教が影響して成立したものと考えてよさそうだ。

ゾロアスター教は紀元前6世紀にアケメネス朝ペルシアが成立したときには、すでに王家と王国の中枢をなすペルシア人のほとんどが信奉する宗教であり、教義は善と悪の二元論を特徴とする。世界最古の一神教と言われている。

死後審判を受けて善行を積んできたものは楽土へ渡ることができ、悪を選んだものは地獄に向かう。歴史の終末が起こり、悪を選んだ者たちは消滅し、世界は再び完璧で理想的な「分離の時代」は永遠に続く
こうした世界観は、ペルシャからメソポタミアにも広がり、たとえばバビロン捕囚期のユダヤ教へも影響を与えた ユダヤ教を母体としたキリスト教もこれらを継承しているといわれる。ペルシャ高原東部では大乗仏教の弥勒菩薩の信仰と結びついた。by wiki

また下記のように「第二イザヤ」だとの説もある。

どの現代の学者の学説に依拠するかによるが、厳密な意味での一神教は、紀元前6世紀のバビロン捕囚まで、つまり「第二イザヤ」(イザヤ書4455章と多分その他の章も含めて)というレッテルを現在の学問が貼る預言者の書き物の中に、初めて見出されるものなのである。(聖書資料におけるイスラエルの一神教 ピーター・マシーニスト)http://www.cismor.jp/uploads-images/sites/2/2006/01/6d263e2cd307493778cfe6af79ba46f7.pdf

さらにはペルシャ高原東部では大乗仏教と混合して弥勒菩薩への信仰と結びついたとされるが、大乗以前の初期仏教にも影響はあったのではないか。

仏教等からキリスト教への影響

アルベルト・シュヴァイツァーは仏教からキリスト教へ影響したとする文献的証明は不可能と述べているのだがジョン・ダンカン・マーティン・デレットの次のような記述は傍証的には影響があったことを示唆する。

ジョン・ダンカン・マーティン・デレット『The Bible and the Buddhist』は多くの仏教説話が福音書に含まれているとした。2世紀キリスト教神学者アレクサンドリアのクレメンスは下記のようにインドの苦行者たちもまた、ギリシャにいた異邦の哲学者の中に数えられると記述する。

「それゆえ哲学、つまりもっとも実利性に富んだものは異邦人の間で古代に栄え、諸国に光を放った。そののちに哲学はギリシアに到達した。それらの内で最初にくるのはエジプトの預言者である。それに続いてアッシリア人の中でもカルデア人、ガリア人のドルイド、バクトリア人のサルマナ、ケルト人の哲学者、ペルシアのマギがいて救世主の誕生を予言し、星に導かれてユダの地へ来た。インドの苦行者たちもまた、こういった異邦の哲学者の中に数えられる。そしてこの中にはなお二つの階級があり、シュラマナとブラフマンという。」

紀元前後にそれまでの仏教を批判しながらハイ然として興った大乗仏教は、ヒンドゥー教にならって、仏、菩薩の無限の慈悲心による民衆救済を唱えた。・・・真実と不離一体である誓戒の思想を受けいれ、・・・菩薩の理念を支える中核に据えたのである。「インド哲学七つの疑問」p40 宮元啓一

キリスト教から仏教への影響

仏教初期の経典では永遠的存在者が存在するか否かについては語られなかったようだ。大日如来 阿弥陀仏 、薬師如来、久遠実成の釈迦といった久遠的仏が大乗に現れるがこの変化にキリスト教から仏教への影響を見る学者がいる。キリスト教あるいはそれ以前のゾロアスター教なども含めての一神教から仏教への影響は二通りに考えられる。初期仏教からすでに大乗も一派として存在し、それがのちに竜樹によって世に出たのか、つまり大乗は直接ゾロアスタ⁻などの一神教から影響を受けたのか、あるいは紀元1世紀になり始めて大乗が現れ、そのときにキリスト教から影響を受けたものか、二通りに考えられる。いずれかは大乗の歴史が判明しないことには判断がつかない。

次の記述は言葉が世界をつくるという考え方を想起させる。著者はヴェーダ聖典からの影響と述べているがキリスト教の「初めに言葉ありき」、「初めにロゴスありき」の考えが影響したとも考えられるのではないか。

ここに膨大な量にのぼる般若経典群を擁する般若思想が成立した。・・・般若ハラミツタ(という徹し通された誓いのことば)は偉大なマントラであり・・・すべての苦しみを取りのぞくものであり、真実である。・・・「マントラ」というのは、もともとは、先に見た・・・ヴェーダ聖典のことばを意味する語である。・・・菩薩のハラミツ行とは,誓いのことばを真実にし、その真実の力によって自利と利他との大願を成就することをめざすものだということ。p45「インド哲学七つの疑問」宮元啓一

救済思想・輪廻思想はインドの宗教から仏教へ 

仏教やジャイナ教が興ったことにより、ヴェーダの宗教は大きな打撃を受けた。・・・この失地を回復するために、・・・膨大な数の先住民族を・・・取り込んだ。その結果、ヴェーダの宗教と先住民族の宗教とが習合して、新しい民衆宗教としてヒンドゥー教が形成された。・・・かれらはそこで犠牲祭をやめ、仏教などにならって供養を宗教儀礼の中心に据えた。図々しくも、昔から自分たちだけが完全な不殺生を守ってきたのだと宣言した。・・・仏教的な戒ではなく、ジャイナ教的な誓戒を選択した。 これは、真実となった誓戒こそが、あらゆる大願を成就する力をもつとする、古くからのヴェーダの宗教のころからあった強い信念とよく合致するからでもあった。p40「インド哲学七つの疑問」宮元啓一

菩薩は、戒定慧の三学という修行体系にのっとって彼岸に渡ったのではなく、真実のことばの力によって彼岸に渡ったのだ、ということである。菩薩の行という概念は、旧来の修行概念とは、まったく次元を異にしているのである。p43「インド哲学七つの疑問」宮元啓一

宮元氏は当著で法華経と原始仏教の考え方の差異を述べている。修行中の釈迦である菩薩から解脱をあえて否定し、救済をめざす菩薩への変化が最たるものだろう。この著で救済思想はヒンドゥー教の影響を受けたものだと述べている。

輪廻説は・・・因果応報思想に論理的に支えられて、紀元前8世紀ごろに、インドの宗教、哲学の前提となる考え方として確立された。・・・輪廻説が確立すると同時に、輪廻からの永遠の脱却、つまり解脱を求める人々が現れ、出家となり、さまざまな宗教、哲学を唱えた。p112「インド哲学七つの疑問」宮元啓一

古代の一神教から仏教への影響

紀元前6世紀のイスラエルの神やゾロアスター教が影響して紀元100年までのキリスト教の一神教は成立したとされるが、その前の紀元前560年の仏教にも影響していた可能性はあるのではないか。そして紀元100年ごろの大乗勃興期にキリスト教から影響して一神教に近い中心仏が生まれる。ここで中心仏とは久遠の釈迦仏や阿弥陀、弥勒を指している。これらの仏は一神教ではないが圧倒的に中心仏であり実際上は一神教とみなしてもよいのではないか。

紀元前560年の仏教にも影響していた可能性は過去七仏にある。『長阿含経』の中に過去七仏は見える。パーリ語仏典では『大本経』が対応する。by wiki とありシャカより前に六人の仏が存在し、紀元前560年頃にに生きた釈迦は第七番目の仏となる。すると初期仏教の経典である長阿含経ですでに大乗の久遠仏との整合性がみられることになる。

大日はゾロアスター教の太陽信仰が影響したとも思われる。

キリスト教から 大乗仏教への影響

紀元一世紀キリストの十二弟子の一人トマスがインドの西南部、マラバール地方に伝道し、インドにキリスト教の影響が及んでいった。聖トマス教会のあるケララ州住民の約二五パーセントがキリスト信者で使徒トマスの墓がインドのチェンナイにあるという。

これからインドの仏教徒はインドのトマス派と交流 していた可能性があり、福音書「主の御名を呼び求める者は誰でも救われる」(ロマ一〇・一三)「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった」(ヨハネの福音書一・四)は浄土教の阿弥陀仏(アミダはサンスクリット語アミターユース・アミターバーで無限の生命・無限の光を意味)に影響を与えている可能性があるが、もともとゾロアスター教から入って潜在していたものが福音書で顕在化したのかもしれない。

インドの仏教徒は、空間軸に仏を遍在化させようとしたのではないか。キリストを西方の仏とみなし「極楽浄土」として展開し、薬師仏を東方の浄瑠璃浄土 、大ビルシャナ仏 を宇宙の中心に置いたと説明する記事もある。また時間軸にも同様に展開して過去七仏を置いた。釈迦より前に六人の仏が存在して最初に「久遠実成の仏」を置くことで釈迦を聖人から救い主にし、歴史上の釈迦は七番目の仏とした。さらに56億7千万年先の未来に弥勒を配するという一般化を行ったという想像をしてみたくなる。

大乗仏教は一見多神教であるが中心に大日あるいは久遠の釈迦を置き、阿弥陀や弥勒を西方東方に配することで中心仏を置き多神教を一神教に近づけたのではないか。仏教学者・岩本裕は「仏教は後になって多神論になり、最後には一神論的に展開していった」と述べる。

大ビルシャナ仏は「法身仏」、阿弥陀仏は「報身仏」、釈迦は「応身仏」とする一身即三身、三身即一の考えは法身仏は父なる神、報身仏は天国でのキリスト、応身仏は歴史上のキリストとの仏教的な"焼き直し"と述べる人もいる。

キリスト教と仏教の類似点

R・シュテーリーはペテロの水上歩行と仏教徒の水上歩行の相似点をあげている。もっとも、こうした例証は仏教からキリスト教が影響を受けたとも、宗教者の神秘力の常であり独立に起こり得る(記述される)こととも解釈できる。

パウル・カルスは仏教とキリスト教を比較した。イエスとブッダではどちらも師への信頼のみによって水上を歩いたものがいるとしている。イエスの弟子ペテロの水上歩行とは次のことを指すと思われる。

すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。 

ブッダのジャータカ(前世物語)での水上歩行とは次のことを指すと思われる。

水を覆むこと地の如くにして而も陥没せず、虚空に上昇して結跏趺坐すること猶ほ鳥の若如く、今この日月の大如意足有り大威徳有  初期インド仏教にみる天界と出家  西村実則より

 さらにはイエスとブッダでは①生命の神聖さ、②他者への同情、③暴力の拒絶、④告解とチャリティー活動の強調、⑤美徳の実践が共通しているという。それぞれ個別に根拠となる文献等の確認が必要だ。

山並みの展望はできたが

宗教とは人間にアプリオリに備わっているものではないかとの自己の問いかけに対して、山並みの展望程度はかけたのではないか。山道の花や木々の記述はこれからの課題になる。

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