森村誠一逝去の報に接して
「母さん、僕のあの帽子どうしたでしょうね」
次の「麦藁帽子」西条八十からとったと森村誠一は書いている。
母と子の愛のバリエーションはひと筋縄では行かない、どうしようもない運命の波に攫われるとある瞬間から子よりも現実の我が身が大事になるのも現実だろう、
戦後の動乱期に育った我が幼い日に目の前にそこここにあった身につまされる物語だ。
「麦藁帽子」西条八十
母さん、ぼくのあの帽子どうしたでせうね?
ええ、夏碓氷から霧積へいくみちで、渓谷へ落としたあの麦藁帽子ですよ。
母さん、あれは好きな帽子でしたよ。
ぼくはあのときずいぶんくやしかった。
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。
母さん、ほんとにあの帽子どうなったのでしょう?
今夜あたりは、あの渓谷に
静かに雪が降りつもっているでしょう
2007-07-20 01:08:53 初稿
レンタルDVDで人間の証明を借りた2日後に作者の森村誠一氏を近所のドラッグストアの前で見かけた。彼はこの街に住んでいるので時折見かけることがある。ある時は喫茶店でコーヒーを飲んでいる姿を、ある時は近所の散歩で、ある時は駅の中で、ある時は蕎麦屋で編集会議といった具合に。これもいわゆる共時性か。
観終わってなんと「砂の器」によく似ていることだろうと思った。作成年代も「砂の器」が1974年で「人間の証明」が1977年と3年しか違わない。共通しているのは戦後の悲惨な時代の自らの過去を知る人に対する殺人事件だ。「砂の器」では新進気鋭の作曲家であり、「人間の証明」ではトップデザイナーが殺人を犯す。
そしてラストシーンは前者は新曲「宿命」の発表会で、後者は日本デザイナー大賞受賞の日と犯人の晴れ舞台であることも一緒だ。
母が息子を殺すという異常さを描くにはなんだか物足りない作品に仕上がっている。松田優作とハナ肇の刑事コンビが活躍するための単なるプロットとしてさらりと流している。持ち時間が足りないのだろうか。今度は小説に期待してみよう。