まさおレポート

信仰は教義よりも芸術的感性で惹かれる

さまざまな国でさまざまな寺院や教会を訪れた。美しいと感ずるもの、心地良いと感ずるものももあれば、はっきりいって醜いと感じるものもある。
国によって、あるいは宗教によって表現しようとするコンセプト、訴求するイメージは異なって当然だが、表現を受けとめる私は快、不快でのみ評価している。

日本に育って優美な寺院や簡素、清潔な美しさに満ちた神社に親しんでいるためだろうか、外国の信仰施設を訪れたときに、その居こごちの悪さ、不快さに辟易とすることがある。
例えばベトナムの仏教寺院だ。安物の不快な臭いのする巻き線香がいたるところに吊り下げられ、もうもうと煙を上げて視界をさえぎっている。蚊取り線香のような不快な臭いがして早々に逃げ出したくなる。煙を吸い込むと呼吸器に悪いに違いない、思わず咳こみそうになる。

本物の白檀香を使った線香をたき、建物全体がそこはかといいにおいのするものなら大好きだしそんな寺院も記憶にある。しかしこのベトナムの巻線香はいただけない。
もっとも、日本でも盆などでお墓に焚く茶色で太い線香は頭がいたくなる、魚屋の店先の蝿よけと同じにおいがする。浅草寺で焚く線香も同様だ。すぐに頭がいたくなってくるが海外からの観光客は嬉しそうに不快な煙を頭に手で掬うようにしてかけている。
いいにおいの線香は高価だし、そんなにばんばん焚くわけにはいかないのだろう。それは十分理解できるので、普段は焚かずにここぞという時に焚けばいいじゃないかと思ってしまう。

昔は死人の臭いを消すために使ったとかよく説明に書かれているが、高貴な香木を死人の臭い消しに使ったとも思えない。死人の腐臭を消す香と仏に備える香は似て非なるものではないか、かつては全く違うものがいつしか片方の説明のみとなり、残ってしまったのではないか、根拠なくそう思っている。

寺院内で目に付くのは醜悪としか思えない色彩で描く地獄絵や閻魔像だ。これまた見ていて気持ちが悪くなってくる。赤や緑黄色の原色がはげ掛けてグロテスクな姿で鎮座している。浄土や天界を美に訴えて憧れさせるというよりも、地獄に対する恐れを抱かせて、恫喝により信仰心を抱かせる作戦らしい。とても長くおれるところではなく、そそくさと引き上げた。その後、その種の寺院らしいと判断すると近づかないようにしている。(日本でも高位の僧侶のキンキラキンの袈裟は十分に醜悪だが、シンプルな白衣の宗派もある)

同じ仏教でもインドネシア ジャワ島のボロブドール寺院を夕方に訪れたときにはジャスミンの香りが漂っていた。まわりを思わず見回したが香を焚いている様子はなかった。木の花の匂いかと宿泊したマノハラホテルの従業員に尋ねたが、首を傾げるばかりでわからないらしい。モノトーンのシンプルな風景が大層気に入った。

キリスト教会も随分と訪れたが、もっとも印象に残っているのはイタリアのボローニャにあるサンルカ教会だ。丘の上に立つ比較的小ぶりな教会だが内部の美しさは相当なものだ。
美しい緑やベージュ、赤の大理石を柱やその他に多く使い、内部にいるだけで気持ちがよくなってくる。ちょうど礼拝の時間に当たっていたため長くはおれなかったがいつまででも座っていたいところであった。教会は単に大きさではないなと覚えた最初の出会いであった。

南米のペルーの古都クスコ近郊にはインディヘナの石造建築の基礎を利用してキリスト教会が建っている。教会内部の色彩感覚は、ベトナムの寺院内部のそれに近いものがあり、快とは程遠いものがあった。

信仰心とは意外にも建築の快不快や匂いの良さで決定されるものだと確信した。つまり芸術的心証で決定されるのだ。

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