歌に私は泣くだろう~その2~
河野裕子の乳癌の手術は2000年10月11日、13年前の今日行われた。その重大な日の前日まで彼女は多忙であった。
10月4日 NHKテレビ「歌壇」の収録のため東京へ日帰りで行っている。
10月5日 病院で手術についての説明を聞く。
✿われながら可笑しな所に座りをり待合室で選歌するなり 裕子
10月8日 「大伴家持大賞短歌コンクール」の選者として単身で鳥取へ。
10月10日 手術前日は、術後に備えて「NHK歌壇」のための原稿を書く。
✿明日になれば切られてしまふこの胸を覚えておかむ湯にうつ伏せり 裕子
夫・和宏は「河野の不安は私の不安でもあり彼女のかなしみは私のかなしみでもあった」。
❤切りだされし君が乳房の裏側の組織小さし組織皿(パレット)の上 和宏
❤はしゃぎやまぬ君の不安はわれの不安病室までの距離をもてあます 和宏
当時の夫は学会や講演などで各地に出張し妻よりさらに多忙であった。
✿しんどがる私を置いて出でてゆく雨の中に今日も百の朝顔 裕子
後にこの1首に和宏は愕然としたそうである。なぜ裕子の不安、不満、不信に気づいてやれなかったかと。彼は病気を過大視すれば病気に負けるとのおもいだったのだ。
✿ああ寒いわたしの左側に居てほしい暖かな体、もたれるために 裕子
10月はまだ寒くない、寒いのは裕子の「こころ」、左側にいてほしいのは安らげる夫、こころも体もあたたかな夫、この1首は夫への執着であり女ごころがいじらしい。
10月11日、河野裕子の好きなコスモスの花はもう咲いていない。 松井多絵子