この手紙を1章づつ読み進むのは難しいことを感じてきたが、本章などは迷路の中に入っているようだ。内村鑑三がこの手紙を60回にわたって講義している程の内容である。
したがってピンポイントで記すほかない。
11節「このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。」
この「考えなさい」は口語訳「認むべきである」がよい。英語訳は「勘定する」である。
このギリシャ語は本書に多く出てくる義と「認める」と同じである。
計算していて帳尻が合わないでマイナスという時、几帳面な者は徹底して調べさせるところだが、このボスはOKを出すのである。
何故なのか。欠損のまま、丸ごと彼は受け入れるからだ。
これは神の前に全存在が受け入れられている状態で、22節「罪から解放されて神の奴隷となり」ということでる。
写真 ユダヤ教徒の墓
したがってピンポイントで記すほかない。
11節「このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。」
この「考えなさい」は口語訳「認むべきである」がよい。英語訳は「勘定する」である。
このギリシャ語は本書に多く出てくる義と「認める」と同じである。
計算していて帳尻が合わないでマイナスという時、几帳面な者は徹底して調べさせるところだが、このボスはOKを出すのである。
何故なのか。欠損のまま、丸ごと彼は受け入れるからだ。
これは神の前に全存在が受け入れられている状態で、22節「罪から解放されて神の奴隷となり」ということでる。
写真 ユダヤ教徒の墓