植物園「 槐松亭 」

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ついに巡り合えた「丁斎」さん,中編 「梅舒適さんの印で間違いなし」

2023年02月10日 | 篆刻
丁敬という印人が中国にいらっしゃいました。清朝、1700年代に活躍した篆刻家で、西泠八家 に数えられる名人であります。当然、その手になる印は、田黄等の超高級な印材を用いていて高値で取引されています。アバウトで言えば安いものでも数十万円となっております。

今回ワタシが入手した印のメイン「梅舒適」さんは、多くの印に「丁斎」と雅号を彫っていますから、丁敬さんを意識していたのかもしれないと想像しています。その「丁斎」と作款がある印を入手して有頂天になっているのが現在のワタシであります。略歴は、別号に老梅。大阪生まれ、西泠印社名誉理事。
読売書法会創立や日本書芸院理事長などの要職を務め、篆刻家として近代で
大きな足跡を残し、多くの弟子を育てています。(~2006年)。また、穎川コレクションと双璧となる梅舒適コレクションとして、膨大な篆刻印や書画を蒐集していたことでも知られています。
先生の事を研究している方の文には「 桑田笹舟の用印をはじめ、多くの著名人の印を手掛けられています。」とありました。桑田笹舟(~1989年)さんは、 現代かな書の先駆けとして美智子様に御進講したことでも知られています。その先生が始めた会派が発展して「 書道笹波会」となりました。今回入手した印41本の持ち主(印の使用者)が「山下仁輔」先生で号が「荻舟」とあります。この方は、日展審査員も歴任し1995年に66歳で亡くなっていますが、その笹波会の理事長を務めているのです。

というわけで、梅先生と桑田さんが昵懇であって、その直弟子だった荻舟さんが、梅さんに「雅印」を作って貰ったという事が全く自然な流れになりますね。書壇のトップレベルであった荻舟さんが、中島藍川先生や谷苑先生の作になる印を持っていても何の不思議もありません。

というわけで、ワタシの入手した41本の印(ほとんどが雅号印)のうち、21本に作款があるという大変なお宝であったのです。
荻舟さんは、仮名書き書家であったため、ほとんど遊印や関防印を所有していなかったようで、全体としては小さめの印であります。これらが文化的・骨董的価値があるか否かはワタシにとっては大したことではありません。しかし、それぞれの印の作者が分かって、印影の美しさや技法を知り、さらに石の種類などを見定めていく過程が何とも楽しく至福の時間なのであります。

他の印を見て見ます。
まずこれは「亀紐」で、大体古い印は首がとれています。この印も首が無く、何度も刻印とつぶしを繰り返しているために8㎜ほどまでに短くなっています。
印材そのものが、非常に長い年月を経ていて由緒があって、多くの人が愛蔵してきた証であります。紐の細工も精緻で「青空社印」と彫られているようです。また側款は「壬辰晩秋一青作」と彫られているようで、直近では1952年、その前なら1892年です。もっと昔かもしれないと想像させる印で、その石質も興味深いのです。

次にはこれ。
右端は余りに汚く擦過傷が沢山ついていたので軽くこすって磨くと「谷苑」さんの文字が出てきました。左端は、古代の官印がそうであったように、穴が穿たれボロボロの皮紐がついていました。石質はとても柔らかく爪で傷つくほどながら、磨いてみると美しい光沢が出ました。


これらの石の作款名を調べるのも楽しみであります。
見れば見るほど調べれば調べるほど興味が湧き、古趣を漂わせる石達なのであります。

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