昨日の早朝は、台風の余波もあり湿った強い風が吹いておりました。さすがに散歩やジョギングの人影もまばらでした。今朝は打って変わって好天で、さわやかな風に変わり、5時頃には多くの方たちが相模川の遊歩道や土手の散歩道にいらっしゃいましたね。
健康上の必要から、早朝散歩&ジョギングを始めてた、1か月が経過しました。
以前、横浜に住んでいた頃、根岸森林公園に、出かけることが多かったのですが、目的や行動はみんなまちまちでも、生活や人生に前向きに取り組んでいるという印象を強く受けました。
ボクシングなどのスポーツトレーニング、病後のリハビリ、養護施設の子供たち、犬の散歩などなど、それぞれが思い思いの洋服と行動をとっていました。こういう人たちは、将来をきちんと見据えて夢のある人生を送っているに相違ないと思いましたよ。
わたしの朝散歩がいつまで続くやらわかりませんが、せっかく始めた健康法でもありますので、しばらく自然体でやっていこうと思います。
続いていると言えば「お習字」。
定年退職後半年を待って、若いころから勉強したかった書道を始めました。以前から子供の親繋がりで、素晴らしい先生がいらっしゃる、と聞いておりましたから、迷わずその門下に入りました。今から3年前です。
九成宮禮泉銘(楷書)、蘭亭序(行書)、風信帖(行草書)、書譜(草書)、曹全碑(隷書)
、石鼓文(篆書)と進み、最近ではずっと「高野切」を手本に仮名文字の練習でに明け暮れておりました。
目的も目標もありません。若いころ、そこそこ字が上手と言われたこともありますが、所詮我流でしたから、きちんと文字を学び書きたかった。それだけであります。たまに、なにかの展示会に出品は致しますが、これはあまり興味が湧きません。
おかげで、ずーっと、書を楽しんでおります。好きで気ままにできることこそが長続きの秘訣(上達の秘訣ではありません)です。
人生の中で、やり残していることが一つあります。それは、大学に行きなおして、ちゃんと卒業することです。若いころから、大学を受験したり、どこかの学校に入学する夢をたまに見ます。今になっても時折学校で勉強したり、学内で何かを探す夢を見ます。
ワタシは、某国立大学を一応卒業したのですが、意に添わぬ学部で興味を持ちえない学科を履修し、ほとんど勉学に励むこともなく、講義も滅多に出席することがなかった、怠惰で不埒な学生でした。ギリギリで必要単位は取りましたが、その4年間というものは、自分にとって空疎にして不甲斐ない学生生活だったのです。
心の底に、その負い目・悔恨の気持ちが払しょくできぬまま、今に至っております。忘れ物をした感じがぬぐえないのです。
60歳を過ぎて学べる大学はほとんどありません。あっても経済学・人文化学など文系で、一般入試になります。これからの入試勉強は、さすがにしんどいです。
出来れば、植物学や農学を学びたいのですが、、、、入試に受かっても、4年間通学するというのは、制約が多くて現実的ではありませんね。
通信講座しか手がないのかな?
うーん、それでは忘れ物を取り返すことが出来ません
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