植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

菩提寺の一大行事が終わって一安心か

2023年11月05日 | 雑感
  • 当地平塚は、大昔から相模の国(概ね神奈川県)の交通の要衝と言われ、海や相模川という海上交通などを含めて交易が盛んであったようです。神奈川県の研究発表によれば、奈良時代頃までは国府(つまり主要官庁が置かれていた中心地)であったという説が有力なのであります。ワタシが済む平塚の海側(南部)は昔から須賀(湊)などと呼んで、半農半漁の土地柄であります。古老によれば戦前は海側はほとんど松林、相模川の河川の周辺は葦などが生い茂る湿地帯も多くあったようです。

そんな漁師町の田舎のお寺が菩提の「長楽寺」であります。わずかな狭い地域の一本道に固まって三つの寺が存在します。寺町といっていいほど近接しているのです。その真ん中が長楽寺で、檀家は600戸ほどです。戦争中空襲によってあたり一面が焼け野原になり、本堂などは全て焼失してしまったようです。戦後、プレハブのようなバラックのような粗末な本堂と庫裡があって、そこに独身の女性のお坊さんが一人住まいしていたのです。

そのお坊さんの没後、赴任してきたのが「真言宗高野山金剛峰寺」の高僧で、いわゆる役員の「大僧正」級、本山のNo3といわれた辣腕のお上人でありました。なぜかこのオンボロ寺の再興・再建のために家族を連れて越してきたのです。明治以前は、おおむね僧籍に入った人は結婚せず終生独身を通した人が多かったようです。今回初めて知ったのが長楽寺は初代から数えて31代目、今回交代する新住職が32世なんだそうです。もし原則として「結婚しない」=世襲無し、とすれば、お坊さんの就業年数を30年としても約900年経っているという計算になります。日本は1100年頃と言えば平安時代であります。

本山から来られた「智運」先生は、他で二つのお寺の再建を成し遂げたという実績がありその手腕を評価されて、移ってきたのだと紹介されました。それがだいたい17年くらい前であります。それから十数年かけて着手したのが「平成大復興事業」、本堂を新築し庫裡を作り、事務所、そして最後に山門を建造するという大事業、早い話広い敷地に大きな建物を4つ新築したことになります。

その山門の建設を手掛けたのが「金剛組」、セガレによると、日本最古のゼネコンだとか。そして先月から慌ただしく動いていたのが、山門建立の総仕上げになる「四天王」の搬入設置でありました。滋賀県米原市に本拠地を持つ著名な仏師「中川大幹さん」に4年前にその創建を依頼し、丸三年かけて制作したのだそうです。いくらかかったのかはいまだに謎、値段などは聞いてはいけないらしいです。

一番の問題が、そのご住職がご高齢になり「認知症」を発症したことであります。10年以上に及ぶお寺の建造物の建立を企画し資金を集めたその心労はいかばかりか、そうしてそのサポートをして、頼りにしていた世話人の古老二人が相次いで亡くなったのが大きなダメージともなったのでしょう。
わずか2年ちょっとで、あっという間にその症状が進行して普通の会話が出来ず、車いす生活になってしまいました。お寺さんの運営や普段のお経・仏事に支障をきたすので、2年前から若坊さんが実質的な住職となっていたのです。

そんな経緯から①平成大復興事業の落成式 ②山門の落慶式 ③設置した四天王の「入仏開眼法要」 ④住職の「名誉住職」への変更・新住職の新任式、という大きなイベントが集中してそれをいっぺんにやる、というある意味無茶な大行事が行われたのであります。更に、名誉住職の門下で弟子となっていた多くのお坊さんがお見舞いに来る、新住職の同期生の若坊さんたちが全国から集まる、二次会を箱根で行う、といった様々な目的もあったようなのです。

そうして、ワタシ達世話人は、式が始まる11時より1時間半も早く集合し、役割などを確認し準備に入りました。何せ平均年齢は80歳近い年寄り10人なので、そもそも大したことは出来ず実務的には全くあてにできない面々でありました。

御式は、最初屋外で山門の内外を回り、そこで入魂・開眼の儀式を行います(ワタシは受付の会計なので、写真をとる暇はほとんどありません)

その後本堂に上がって読経やらありがたい大僧正の説法・祝辞などが延々と続きます。お坊さんの話は長い!

新住職がなにやら様々な儀式を行いますがよく見えません。最終的には読経と、新住職の「決意表明」を読み上げます。

2時間以上及ぶ各種の儀式や挨拶などを終えてようやく山門前で「記念撮影」、坊さんばかり50人もいると壮観であります。

このあと市内の宴会場に場所を移し「盛大な祝宴」が催されました。これでようやく一連の日程が終了。平成から10年かかった大事業が終わり世話人としても一安心であります。
とはいえ。
覆いが取れた四天王。立札に四天王の名前をやっつけ仕事で書いたのがこのワタシ。日本に名だたる仏師が彫った、一体で1千万円以上すると思われる木像には、あまりにしょぼい書で恥ずかしいです。ワタシの仕事と体調が一段落したら、木札に直接四天王の名前を彫り、墨入れしたいと思います。それが成就して置いてもらえたら、ワタシの死後何百年もの間、その木札も像のそばでずっと残るはずなのですから。



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