形あるものすべてが滅びる、これが亡父の口癖でありました。万物に永遠はなくいつか消えてしまうもの、それを理科の教師であった父の哲学であり、人生は空しいものだと、独り言のように南無阿弥陀仏を唱えておりました。
諸行無常の理であります。不変のものはない、あるとすれば時が過ぎることと「不変というものが無い」という真理でしょうか。
ワタシの仕事場兼隠れ家の冷蔵庫が壊れました。1週間ほど前から庫内の氷が解け始め、飲み物が冷たくなくなってきたのです。開けると断続的にガタガタと振動し、断末魔のような様子でした。購入してから9年経過しておりますが、普段頻繁に開けることも無く、ちょっとの飲み物程度しか入れていないことを考えると「寿命」が来たにしては早い気もしますが。何回か開けっ放しにして気づかなかったのがいけなかったか。
以前からワタシは、こうした家電製品からパソコン、スマホに至るまで自動損壊装置をひそかに内蔵しているのではないかと疑っております。ぎっしり詰まった部品の中に「時限装置」が忍ばせてあって、年数がたつと自爆する機能になってるのではなかろうかと。
30年ほど前から使い始めた携帯電話・スマホはほぼきっちり3年で不具合が発生して買い替えておりますし、PCもかれこれ10数台、同様のサイクルで壊れました。5年もったPCは1台もありません。給湯器・エアコン・自動トイレなどはおよそ10年で壊れました。これはいずれも業者を呼ぶと「基盤」が壊れたと口を揃えます。
今はその中で液晶テレビが最も長命で長持ちするような気がします。ワタシらが子供の頃は逆で、チャンネルが摩耗して効かなくなり、真空管がいかれる、筐体をそとからバンバン叩く、など一年中故障していたような印象があります。
電機メーカーは、売ったらおしまい、その後は使用料を貰うわけではないので、その機器を未来永劫使われたら、じきに売れなくなりたちどころに不振に陥ります。新製品を開発し、新しい機能やデザインなど付加価値をつけ値段を上げて買い替え需要狙いになるのです。そのきっかけが「故障」なのです。壊れる期間が短いほど商機が増えます。その時、簡単な安価の部品交換で治って貰っては困るのです。したがって「全部交換」だとかもう対応できる部品は供給停止です、といって実質的に修理拒否をし、買い替えた方が安いよとセールスすることになります。
そうした故障が起きた時は、基本的に修理しないことにしております。スマホなどはショップに持ち込めば、間違いなく機種変更を求められますし、実際スマホの機能、通信環境・テクノロジーの進展をみると3年も経てば故障しなくても買い替え時期になります。修理に出すと数万円取られ1週間以上スマホのない生活を余儀なくされるのは若者に限らず、耐えられないでしょう。
他の家電なども意味は同じで、10年近く使ったら元は取れた、と考えるようにしております。もう買い替えしないとか、消費者みんながちまちま直して使えば、もうかるのは修理業者だけ、世の中の消費が落ち込んで、企業業績にも悪影響が出ます。品物であふれた現代では、文明の利器は買い替え需要がメインであります。銀行に預けてもタンス預金しても日本経済は良くなりません。これに、まぁ、微力ながら寄与貢献しようと思うわけです。
今回故障の冷蔵庫は、元は十数万円いたしました。ほとんど中に何も入れていない状況は変わりませんから、今度は思い切って容量が少ない、機能も単に冷蔵冷凍だけ、みたいな6万円の安物にしようと思います。なんと、製氷機能が無いのです。よく考えれば200円のロックアイスを買えば間に合いますし。氷を使うのは夏の間だけ。年間の氷代など数千円にも満たないことを考えたら、製氷不要では無いか。機能が最小限で単純な構造ほど壊れにくい、これが紛れもない真理であります。
経済回復に貢献するといってる割に、1/3くらいの値段の安物で長持ちするものを選ぶというのはいささか矛盾しますが、そこは「身の程をわきまえる」、実際に要らない大きさと機能を省くという「シンプルライフ」は環境問題に優しく、それはそれで大事なことであろうと思います。
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