美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

大滝詠一特集(1)『NIAGARA CONCERT ‘83』について(その1)

2019年03月22日 21時30分04秒 | 音楽


三月二一日(木)、大滝詠一のライヴ・アルバムが発売されました。それについて、いろいろとお伝えしたいと思います。情報源は、当アルバムのブックレットと『レコード・コレクターズ―ズ』二〇一九年四月号と『ギター・マガジン』二〇一九年四月号です。煩わしさを避けたいので、出典はいちいち掲げません。

当方、最近は、大滝詠一ばかり聴いています。その楽曲のみならず、彼がパーソナリティやゲストとして出演したラジオ番組も聴いています。

数年前までは、『A LONG VACATION』(一九八一年三月二一日発売)と『EACH TIME』(一九八四年三月二一日発売)を繰り返し聴く程度だったのですが、ベスト版の『Best Always』(二〇一四年十二月三日発売)を繰り返し聴くうちに、彼が一九六八年から七〇年まで所属していたグループ「はっぴいえんど」時代の楽曲や、彼が立ち上げたナイアガラ・レーベル時代の七〇年後半の楽曲に関心が広がっていきました。知らず知らずのうちに大滝ワールドに「ハマって」しまった、ということになるでしょう。



だから、今回のライヴ・アルバムの発売は、とても楽しみにしていました。なにせ私にしてみれば、大滝詠一のライヴパーフォーマンスをまとまった形で見聞きできる初めての機会なのですから。

今回入手した初回盤には、二枚のCDと一枚のDVDが納められています。CD1には、一九八三年七月二四日(日)所沢の西武ライオンズ球場で実施された「オールナイトニッポン・スーパーフェス83」でのパーフォーマンスが納められています。当フェスには、大滝詠一のほかにラッツ&スターとサザンオールスターズが出演しています。ちなみにトリは大滝詠一ではなくてサザンです。集客力を考えれば、当然のことでしょう。

思えば、「ロンバケ」をソニーのウォークマンで繰り返し聴いていた一九八四年ごろ、大滝詠一のコンサートにぜひ行きたいものだと思い、娯楽情報誌『ぴあ』を毎月のように買っては、大滝ライヴ情報を入手しようとしたものでした。

ところが、どうしても探し出すことができない。で、ついに根負けして、大滝ライヴ情報の入手を断念した、という経緯があります。当時、大滝詠一(を含むポップス情報全般)についてあれこれと語り合うことができる友人Sが就職して忙しい日々を過ごしていたので、八〇年代の大滝詠一がライヴから遠ざかりがちであることなど知る由もありませんでした。当時「大滝詠一はライヴ嫌いだ」といううわさが大滝ファンの間で出回っていたことを知ったのはずっと後のことです。そんなことを振り返るにつけ、自分は「遅れてきた大滝ファン」なのだと思う次第です。

話が脱線してしまいました。

当アルバムのCD2は、初回生産限定盤のオマケです。ここには、かつてライヴで披露されたオールディーズ・ナンバーのカヴァー・ヴァージョンと、それらの間にときおり挟まれた形の自身のオリジナル・ナンバーをメドレーにしたものとが収録されています。

DVDには、一九七七年六月二〇日、渋谷公会堂で催された「THE FIRST NIAGARA TOUR」が映像作品として収録されています。大滝詠一が歌っているところをまじまじと見つめることができるなんて、感慨深いものがあります。とりわけ嬉しかったのは、大滝詠一は(予想に反し)鼻筋がスッと通っていてなかなか品がある風貌だったことと、「夢であえたら」のシリア・ポールがとても素敵だったことです。本当にまるで夢のようです。

次回から、当アルバムの中身に具体的に入ってゆきましょう。
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