美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

玉音放送  (イザ!ブログ 2013・8・18 掲載)

2013年12月19日 08時20分34秒 | 歴史
玉音放送

玉音放送


玉音放送は、1945年(昭和二〇年)八月一五日正午に、全国民にラジオを通じて届けられました。昭和天皇みずから、大東亜戦争における日本の降伏を国民に伝えるものでありました。日本国民は、当戦争へのそれぞれの関わり方が異なるのに応じて、それの受けとめ方にいささかのニュアンスの違いが当然のことながらあったでしょうが、それを厳粛な心持ちで受けとめる姿勢において共通するものがあったこともまた事実だったのではないか、と私は思っています。

私はこれまで、その全文を読んだことなら何度かありました。しかし、音声で全体を通して聞いたことはありませんでした。

今回心静かに通して聴いてみてあらためて思ったのは、この玉音放送には昭和天皇の、国民のこれからの茨の歩みを共苦の念で受けとめようとする万感の思いが込められていること、また、そういう避けようのない経緯が、六八年の時空を隔てたところにいて、なおかつ戦争の「せ」の字さえ知らない私ごとき者の胸にも迫るものをもたらしている、ということです。特に「今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス。爾(なんじ)臣民ノ衷情(ちゅうじょう)モ朕(ちん)善ク之ヲ知ル。然レトモ朕ハ時運ノ趨(おもむ)ク所、堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ、以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス」の箇所にさしかかると、どうしようもなくこみ上げてくるものがあります。天皇陛下ご自身も、ここで図らずも乱れがちになりそうな語気をようやくのことで抑制しているような趣があります。その心中は、心ある国民にじかに伝わったことでしょう。ここで、国民と天皇とは確かに心をひとつにしたのでした。その意味でこの肉声は、やはり戦後史の原点に位置するものなのです。そのことは、何度でも肝に銘じられてしかるべきであると考えます。

東郷茂徳の『時代の一面』に、いま述べたことに深く関わる記述があります。そっくりそのまま掲げておきましょう。一九四五年八月十四日、鈴木貫太郎内閣はポツダム宣言受諾の最終確認をするための御前会議を開きました。陸軍大臣がそれに対する反対意見を述べた後、天皇は次のように発言します。

そこで陛下は、《この前(八月九日の御前会議のことを指している――引用者注)「ポツダム」宣言を受諾する旨決意せるは軽々に為せるにあらず、内外の情勢殊(こと)に戦局の推移に鑑みて決意せるものなり、右は今に至るも変わることなし、今次回答につき色々議論ある由なるも、自分は先方(連合軍諸国のこと――引用者注)は大体に於(お)いてこれ(国体の護持を条件に降伏するという当方の意向を指している――引用者注)を容れたりと認む、第四項に就いては外相(東郷茂徳のこと――引用者注)の云う通り、日本の国体を先方が毀損せんとする意図を持ちおるものとは考えられず、なおこのさい戦局を収拾せざるに於いては、国体を破壊すると共に民族も絶滅することになると思う。故にこの際は難きを忍んでこれを受諾し、国家を国家として残し、また国民の艱(かん)苦を緩(やわら)げたしと思う、皆その気持ちになりてやって貰いたい、なお自分の意思あるところを明らかにするために勅語を用意せよ、今陸海軍大臣(陸軍大臣・阿南惟幾、海軍大臣・米内光政――引用者注)より聴くところによれば、陸海軍内に異論ある由なるが、これらにも良く判らせるよう致せ》との仰せであった。

このくだりから、閣僚たちに向かって吐露された天皇の真情がほとんどそのまま終戦の詔勅に盛り込まれたことが分かるでしょう。

天皇の真情に接した閣僚たちの様子を、本書は次のように伝えている。

一同はこの条理を尽くした有難い御言葉を拝し、かつまた御心中を察して嗚咽、慟哭した。誠に感激このうえもなき場面であった。退出の途次長い地下道、自動車の中、閣議室に於いても凡(すべ)ての人が思い思いに泪を新たにした。

閣僚たちは、天皇の発言をやみくもに有り難がっているのではありません。「自分はどうなってもよい。我が身を挺してでも、これ以上の戦禍は食い止めたい」という天皇の言外の思いに触れて、感極まっているのです。東郷茂徳は、そのときの自分自身の思いにも触れます。

今日なおその時を想うと、はっきりした場面が眼の前に浮かび泪が自ずとにじみ出る。日本の将来は無窮であるが、ここに今次戦争を終了に導き日本の苦悩を和らげ数百万の人命を至幸とし、自分の仕事はあれで畢(おわ)った、これから先自分はどうなっても差支えないとの気持がまた甦る。

終戦の詔勅には、このように、天皇をめぐる迫真のドラマが織り込まれているのです。



〈コメント〉

☆Commented by hasimoto214take さん
「宰相鈴木貫太郎」(小堀圭一朗)では
この場面が大変印象的に語られている.
同時に, どうしてこのような結末に
陥ったのかと思う.

上の本では近衛文麿が訳知り顔にニヤニヤ
している記述が幾度か自伝から引用される.

鈴木首相は自伝には直接には述べていないもの,
誰が責任者と考えていたかは推測できる.
(小堀圭一朗の考えはもっと直接的だが.)

いわゆる「昭和史家」には近衛文麿が
やった事・やらなかった事をきっちりと
研究して欲しいのだ.

中川八洋は厳しく批判しているが,
彼の本は書店には中々現れない運命である.
近衛文麿批判には, 敗戦時に利益を得た者達と
日本史における藤原一族の力が壁になって
いると推測される. 中川は山本五十六も
批判するが, これも敗戦受益者と水交会の
圧力があって評価されていないようだ.

山本五十六には様々な評価はあるが,
彼の真珠湾攻撃で日本が国民国家として
策定してきた南方進攻計画が最初から
狂ったのは事実である. 彼には南方で
戦死/餓死/病死/水死した陸軍兵士に
直接の責任があると思う.


☆Commented by 美津島明 さん
To hasimoto214takeさん

私が暗い方面のことをいろいろと教えていただいて、ありがとうございます。私があらためて玉音放送に着目したのは、長谷川三千子氏が最近上梓なさった『神やぶれたまわず』(中央公論社)を読んだのが直接のきっかけです。この印象的なタイトルは、折口信夫が敗戦日本を目の当たりにして作った「神 やぶれたまふ」への反歌という意味合いが込められています。「折口さん、あなたがおっしゃるようには、神は敗れてはいません。八月十五日の玉音放送を聴いたとき、心ある国民にひそやかに、人類史的な意味での神学的な奇跡が起こったのです」という強烈なメッセージが、本書には込められています。それに心動かされて、あらためて玉音放送に耳を傾けてみた、ということなのです。

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2 コメント

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中国山陰の最近 (神話の語部)
2014-05-18 20:37:15
 それにしても島根県安来市にある国生みの神の社、比婆山久米神社はゴールデンウィーク中盛況だった見たいですね。今年もなにかと出雲の観光が活況らしいです。
返信する
出雲観光 (美津島明)
2014-05-20 15:27:34
そうなんですか。私は残念ながら出雲地方に行ったことはありません。最近『古事記』についてあれこれと思いをめぐらすことが多いので、行ってみたいという気持ちが募っています。実は、伊勢神宮にも行っていないのですよ。
返信する

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