美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

フクシマが復旧・復興するための本当の礎(その4)(イザ!ブログ 2013・5・8,8・16 掲載)

2013年12月12日 19時18分44秒 | 原発
LNT仮説(放射線の被ばく線量とその影響〔具体的には、がんの発生率〕との間には、しきい値がなく低線量域においても直線的で比例的な関係が成り立つという考え方)に焦点を当てて、いろいろと論じてきました。話がいささか錯綜した面があったかもしれません。しかしながら、少なくとも次のことは明らかになったのではないでしょうか。″福島が復旧・復興するために、わたしたち一般国民は、この仮説の呪縛から解放されなければならない。″なぜならば、一般国民の間にいまだに存在する、放射能に対する過剰な恐怖心こそが、福島の人々を心理的にも現実的にも追い詰めてきた社会的な圧力の正体であり、また、その恐怖心を煽る人々の根拠になっているのがこの仮説であるからです。当人にそのつもりはなくても、理屈としてはそういうことになる、というのが私の見立てです。

とするならば、福島の被災者を含めた一般国民がLNT仮説の呪縛から解放されるために、すなわち、放射能に対する過剰な恐怖心から私たち自身を解き放つために、放射能の専門家としての科学者は、大きな責任を背負うことになります。わたしたちが抱いている恐怖心がさらに膨らむのも、収縮するのも、専門家の発言・発信次第という面が否めないからです(マスコミや政府の責任についてはしかるべきところで触れましょう)。科学って、専門家でもない限りよく分かりませんものね。

その点について、心ある科学者たちはどう考えているのか。それをぜひ知りたいものだと思っていたところ、ちょうどいいものがありました。それは、チャンネル桜が昨年の八月十八日に放送した「闘論!倒論!討論! 放射能キャンペーンの真実と原子力政策の行方」です。

そのやり取りの詳細については、末尾に動画を掲げておきますので、興味のある方はぜひご覧ください。

その前に、私なりに話の内容をまとめておきたいと思います。正直なところ、とても勉強になりましたので、頭の中を整理しておきたいというのもあります。と同時に、自分はとんでもない深いテーマに手を出してしまったなという怖れと後悔のような思いをあらためて抱いたのも事実です。しかし、まあ、この世に簡単に解決できる問題など実はひとつもない、という「常識」に立ち返って気持ちを立て直し、やれるところまでやってみることにしましょう。

まず、出演者の顔ぶれを紹介しましょう。札幌医科大学教授で放射線防護学者の高田純氏。原子力学会シニアネットワーク部会運営委員・放射線問題検討委員会主査の斎藤修氏。東工大助教・澤田哲生氏。いわゆる学者はこの三名です。ほかに、元三井物産株式会社・原子力燃料部長の小野章昌氏、『放射能を怖がるな!』の著者で株式会社世界出版代表取締役の茂木弘道氏、経済評論家の上念司氏の三名です。

議論の口火を切った高田氏は、福島原発事故から一ヶ月も経っていない四月八日に、浪江町から二本松市に避難してきた40人の甲状腺検査をしています。その結果を踏まえたうえで、その二ヶ月後に、南相馬市の人々の前で氏は、「チェルノブイリ事故と比べたら、子供たちの甲状腺にたまった放射線量は1千分の1です。福島から甲状腺がんになる子供は出ないと私は断言します。甲状腺がんのリスクは消滅しています。これまで20年以上ロシアなどで調査してきた成果を総合して言えることです」と言い切ったそうです。

この「宣言」が、後のUNSCEARによる国連報告と一致することはいうまでもありません。また、「福島原発事故による放射線量はチェルノブイリの1000分の1」という数値は、驚くべきことに、前回ご紹介した西村肇氏の計算上の数値と一致しています。むろん、西村氏は放出された全線量に着目し、高田氏は、それらを子どもたちそれぞれがどれだけ被曝したのかに着目した、という違いはあります。しかしながら、これは素人考えですが、「チェルノブイリの1000分の1」という数値の一致が偶然のものとは到底考えられません。西村氏は、この数値を2011年の四月八日に記者会見で公表したのですが、当時の政府筋から完全に黙殺され、菅直人民主党政権は、その四日後に、福島原発事故はチェルノブイリと同じ「レベル7」であると発表してしまいました。そうして、世界に向かって同政権は「日本はチェルノブイリ事故と同じ深刻に放射能汚染された国だ」と宣言し、世界レベルの風評被害を撒き散らしてしまったのです。いまから振り返ると、とんでもないことをしでかしてくれたものだというよりほかはありません。この発表が、これまで日本の国益を害してきた程度は、「河野談話」のそれに匹敵するのではないかと思います。事実無根である点もよく似ています。

高田氏によれば、放射性ヨウ素による甲状腺がんの発生のみならず、もろもろの学者によって調査・公表された線量を総合的に判断すると、福島原発事故の放射線による健康被害の可能性はゼロであるとのことです。これも、UNSCEARの報告書や世界原子力協会(WNA)が制作した『福島とチェルノブイリ~虚構と真実』の内容と一致します。つまり、高田氏の見解は、放射線による健康被害についての世界標準の議論をきちんと踏まえたものであると評価していいのではないかと思われます。

そこで、澤田哲生氏は、次のようなもっともな疑問を投げかけます。すなわち、福島原発事故による健康への影響がないのだとすれば、福島県民十六万は、なにゆえいまだに避難生活をしなければならないのか、と。

その疑問に対する高田氏の応答は、私にとって、衝撃的なものでした。政府発表で90~100ミリシーベルトとされている地域を氏は実地調査しています。2012年三月の浪江町末の森での調査の二泊三日の間、氏の胸に装着された個人線量計は、積算値で、0.074ミリシーベルトで、24時間あたり0.051ミリシーベルト。2種のセシウムの物理半減期(2年と30年。半減期とは、平たく言えば、放射性物質が「崩壊」をして、元の半分の量になるまでの時間)による減衰を考慮して、平成二四年の1年間、この末の森の牧場の中だけで暮らし続けた場合の積算線量値は、17ミリシーベルトと推定されました。個人線量計を装着するのは、一日の大半は自宅や牛舎で過ごし、そして残りの時間は放牧地や周辺で作業をする、という実際の暮らしの中で線量を評価すべき、という考え方に基づいてのことです。人は、一日中戸外で放射線にさらされ続けて生活するわけではない、ということですね。素人の腑にもすとんと落ちる常識的な考え方ではないでしょうか。

要するに、内外被曝の総線量値は、政府の言う帰還可能な線量20ミリシーベルト未満なのです。しかも、国の責任で家と放牧地の表土を10センチほど除染すれば、低コストで直ぐに年間5ミリシーベルト以下になるとのことです。

それに対して、政府発表の数値は、こうした生活者の実線量を調べることなしに、畑などの空間線量率から机上で計算した線量です。そのような政府の屋外の値に年間時間を機械的に掛けて計算すると、96ミリシーベルトになり、帰還不能という誤った判断になるのです。机上の空論は、実社会を捨象して展開されるので、実社会で暮らす者にとっては酷い結論を導くことが多いという実例です。財務官僚の、消費増税導入による税収増の計算のようなものです。

当時の政府は、どうしてこのような、非科学的で、愚かで、無慈悲な計算方法を正しいものとして認めたのでしょうか。前回申し上げたように、ここには民主党政権の深い闇の所在が、言いかえれば、底知れない愚かさ・無能さと絡み合った根深い悪意の所在が感じ取られます。

氏によれば、政府によって強制された福島県民16万人の避難は、科学的に根拠のない荒唐無稽な所業にほかならない、ということになるでしょう。ここでは、その詳細については述べませんが、大量の牛の殺処分もまったく必要がなかった、とのことです。なんとも無残な話ではありませんか。

高田氏の話を受けて、斎藤修氏は、放射能の安全基準についての国民の理解に混乱があることが、事態の解決を困難にしていると言います。

斎藤氏によれば、「安全基準は100ミリシーベルト以下でも以上でもない、これが疫学上の結論である」となります。これは、広島・長崎の原爆の被爆者10万人を60年以上調査した結果なので、これ以上の証拠はない、と氏は言います。少しこまかく言えば、100ミリシーベルト以下では早期障害は起きないし、晩発障害(長期の潜伏期を経て発現するもので、主に発がんや遺伝的な影響のこと)も小さすぎて確認されていない。あるとしても、受動喫煙程度のものと推定される、とのこと。

では、ICRPが提唱する「平常時1ミリシーベルト、避難線量20~100ミリシーベルト、緊急時線量限度100ミリシーベルト」というのは、いったい何なのか、という素朴な疑問が湧いてきますね。これは、疫学的安全基準とは別の、ICRPによる、本質的に政策的な提案に他ならないということらしいのです。当シリーズでずっとLNT仮説にこだわってきた私としては、なるほどとうなずくよりほかはありません。高田氏によれば、賞味期限と同じようなものとして受けとめればいいとのこと。賞味期限が過ぎたからといって、食えなくなるとか、体に悪いとかいうわけではありませんものね。

斎藤氏は、さらに続けます。なぜ、放射線基準はこんなにも混乱したのか、と。

その原因として、氏は五項目を挙げます。

① 政府の対応への不信

② 内閣参与辞任時の記者会見「20ミリシーベルトは許せない」

③ 学校管理線量目標値の変更

④ 心ない学者の発言

⑤ マスコミの誇大な報道

①は、要するに、政府が避難者にきちんと情報を与えなかったので、国民の間に芽生えてきたものです。端的な例としては、関係官僚が、事故当日にSPEEDIを通じて情報を入手し、以降も膨大なデータで汚染状況を監視し把握し続けたにもかかわらず、その情報を避難民に伝えず、避難民はSPEEDIが放射線の漂っていく危険な方向と指し示していた北西の飯館村方面に逃げてしまった挙句に、無残にも被曝してしまったことが挙げられます。これには、関係官僚は、ある時期までその拡散予測データの存在も内容も、官邸には報告しなかった、というオマケまでついています。

②は、福島県内の学校で屋外活動を制限する放射線量が「年間20ミリシーベルト」と決定されたことに抗議して、小佐古敏荘内閣官房参与が辞任し、記者会見で悔し涙を流しながら「20ミリシーベルトは許せない」と絞り出すように発言したことが、一般国民に大きな衝撃を与えたことを指し示しています。「東大のエライ先生が泣きながらあそこまで言うのだから、もっともなことであるにちがいない」とわれわれは思い込んでしまったのでした。覚えていらっしゃいますか。

③は、上記のように決定した学校管理線量目標値20ミリシーベルトをその10日後に、文科大臣が、1ミリシーベルトを目指すと朝令暮改したことを指します。マスコミや一般国民のブーイングに動揺した民主党政権の失態と言えましょう。ポピュリズム政党としての民主党の「面目躍如」です。

④は、武田邦彦氏や児玉龍彦氏などの発言を指しています。武田邦彦氏の発言については、当シリーズでも「その8」「その9」で取り上げました。彼が、LNT仮説を固持することで、″放射能ママ″たちの恐怖心を煽り、社会に悪影響を及ぼしたことは明らかです。斎藤氏によれば、武田氏は自身のブログに「自分は三重県に住んでいるが、ここでも線量がだんだん上がってきた。このままでは、三年数ヵ月後に5ミリシーベルトに達し、住めなくなってしまう。ということは、日本国中住めなくなってしまう」などと言っているそうです。これは、とんでもない人騒がせな発言です。はっきり言えば、正気の沙汰ではない。

また、「除染せよ」と政府を恫喝したことで一躍名を馳せた児玉龍彦氏も、おかしなことを言っています。2011年七月二七日の 衆議院厚生労働委員会「放射線の健康への影響」参考人説明で、氏は「熱量から計算すると、今回の原発事故は、広島原爆の99.6個分に相当し、ウラン換算では広島原爆20個分に相当する。また、原爆の場合残存量は全体の1000分の1程度だが、福島原発の場合10分の1も残る」と言っていることに出演者が異議を差し挟んでいます。高田氏は、「放射線被害はどこまでも線量で判断すべきであって、広島原爆の場合、爆心地で一分間当たり100シーベルトで、福島原発の場合一年間で10ミリシーベルトとなる。つまり、福島は広島の100万分の1の規模と判断するのが妥当。児玉氏は変な計算をごちゃごちゃとしているとしか言いようがない。また、『放射能は半減期に反比例する』。すなわち、半減期が長いものほど単位時間当たりにごく微量の放射線を放出することになるのでより安全であるということ。つまり、残存量率が高いということは、より安全ということ」と児玉氏の真意を図り兼ねるといういささか困惑気味の様子で反論しています。参考までに、児玉氏の発言を動画でアップしておきましょう。ちなみに、上記の「トンデモ科学」発言は、2:15~3:10です。

2011.07.27 国の原発対応に満身の怒り - 児玉龍彦


⑤ については、多言を要しないでしょう。TPP問題や消費増税問題などにおいて見られるマスコミの無責任な報道ぶりが、原発報道や放射能報道においても見られるということです。彼らの不勉強ぶりは、経済問題についてだけあてはまるのではないのですね。私は最近、日本のニュース番組はほとんど見なくなってしまいました。アメリカのCNNやイギリスBBCワールド・ニュースを見たほうがはるかに有益なので、そちらを見ています。特に、BBCの質の高さ、視野の広さにはいつも感心しています。日本人としていささか残念なことですが、仕方ありません。衛星放送料金を少々払えば、世界の動きがリアルに分かるのですから、考えようによっては安いものです。日本のニュースをいくら見ていても、世界の動きはまったくといっていいほどに分かりません。ここには、日本のマスコミの、「視界狭窄」「内向き」という致命的な欠陥が無残に露呈されているのではないかと思っています。

番組後半では、脱原発では日本のエネルギー政策は立ち行かないことが、懇切丁寧に論じられています。これはこれで、原発の存廃が、日本のエネルギー安全保障の根幹を成す問題であることがよく分かるという意味で重要な論点です。ここではとりあえず、そのことを指摘するに留めておきます。

番組の紹介文としては、随分ながくなってしまったようです。高田氏は番組の後半で「放射能とは、忌み嫌うべきものではなく、エネルギーそのものであって、生命が必要とするものである。だから、放射線は少なければ少ないほどいい、できたらゼロがいい、という考え方は誤りである。とするならば、放射線には生命にとって適切な量があるはずで、それを考えるうえでホルミシス仮説はおおいに参考になる」という言葉を残しています。それに触れて、「その10」を終わりにします。

地球の森羅万象の「エネルギー」の源泉は、太陽エネルギーです。太陽では、水素原子の原子核が燃えています。水素の原子核が反応して重水素の原子核になり、それがまた反応してヘリウムの原子核になります。この一連の原子核反応で、核力によって原子核内に閉じ込められていた原子力エネルギーが解放されて電子の運動エネルギーとなり、太陽光エネルギーとなって四方八方に放出されます。その一部が地球にも降り注ぎ、それが植物を育てます。その植物と、それを食べる動物が、人間の食物として、人間活動のエネルギー源となります。つまり、もとをたどれば、原子力エネルギー、すなわち、放射能が人間の生命を育んでいるのです。これは、比喩でも文学でもなんでもなく、厳然とした科学的事実です。このことを頭にきちんと入れるならば、「放射能はゼロが理想」などという考え方は、天に唾する罰当たりのそれにほかならないことは明らかでしょう。(この稿、続く)

1/3【討論!】放射能キャンペーンの真実と原子力政策の行方[桜H24/8/18]


2/3【討論!】放射能キャンペーンの真実と原子力政策の行方[桜H24/8/18]


3/3【討論!】放射能キャンペーンの真実と原子力政策の行方[桜H24/8/18]



*以下のコメントに対論者の発言がないことが、奇異に感じられることでしょう。実は、私の判断で「ブログ荒らし」と判断した人物の発言を削除した結果、そういうことになってしまったのです。

〔コメント〕

Commented by 美津島明 さん
そちらが、なんの御挨拶もなく、高飛車に全否定のもの言いをするのだから、遠慮なくこちらもその流儀で行こう。

他人の職種をあげつらって、なんだかんだと人の言説に悪態をついた段階で、あなたは、人間として、言論に関わる者として、即アウトです。深く恥じ入るべきです。これがなんのことかわからないようなら、マズイよ。「塾なんか、点取りの手法だけ教える教習所」。この言い方には、学習塾に対する蔑みがおのずからにじみ出ています。他人の生業を軽んじるようなことは、あなたの、近代人としての品性・コモンセンスを疑われるからやめておいた方が良い。それに加えて「保護者も思想を刷り込むことを要望していません」とは何の寝言か。そんな馬鹿なことをしたら即刻塾は潰れてしまうよ。何のことだか。「塾経営をしなければ食えないのは、評論がお粗末ななによりもの証拠」とはこれも寝言のたぐい。アナクロニズムもはなはだしい。評論家稼業の苦しい台所事情をなにも知らずに、ヒトの文章を馬鹿にするのは、無知丸出しで恥ずかしいのでやめましょう。まだ、わかりませんか?あなたにもしも尊敬する現有の評論家がいたとしたら、その人は十中八九ほかに生業(大学教授・大学臨時講師・予備校講師・学習塾講師・自営業など)があります。それが、活字離れの進んだ今日の偽らざる状況です。

原発関係について。「原発御用学者ばかりが集まった対談」。どちらの立場の論者の発言でも、理にかなったものは取り上げます。当たり前のことです。それは、上の文章をちゃんと読めば明らかでしょう。私が目指しているのは、理にかなった原発言説を自分なりに構築することです。「福島で、奇形の赤ちゃんや脳障害をもった新生児が生まれている(他の地域とは比べ物にならない高い確率で)現実」とは?出典・論拠・中身を明らかにしたうえで、こういう重要事は主張するように。東京新聞とか、そんな感じでしょうか?それはそれで、おそらくあなたとは異なる切り口からでしょうが、関心があります。まあ、自分で調べてみましょう。

もし、以上の警告を無視して、そちらがなおも聞き苦しい差別的な言辞を弄するようであれば、ブログ主人の権限を行使し即刻削除するので、そのつもりで。ただし、思い直して、まっとな正面からの批判をするのであれば、それはいつでも歓迎。すべては水に流します。


Commented by 美津島明 さん
To marchan707さん

言葉の軌道修正、ありがとうございます。

私は、ペンネームを使って当ブログで文章を発表したり、雑誌に文章を書いたり、本を出版したりしています。それは、ささやかではありますが、言論の自由を確保するためです。なるべく余計なことを気にせずに、自分が信じることをきちんと表現したいということです。

裏から言えば、学習塾の経営者としての私は、自分の文筆活動の影響が自塾の経営に及ぶことをとても恐れています。それを小心者と嘲笑うのは自由ですが、私は過去において、在塾生の保護者の心ない噂が元で、自塾を潰した経験があるので、その嘲りを甘受するよりほかはありません。自営業者にとって、世間は決して甘いものではないのです。世間は、文字通り、私の生殺与奪権を握っているのです。

だから、学習塾関係者で、自分の教育論や指導方法の素晴らしさを脳天気に語ろうとする人に対する私の評価はきわめて低い。「いい気になるなって。お前は、浮世のことを何も分かっちゃいなんだよ。頓馬な野郎め」と思うからです。

そんなわけで、私が自分の教育論や指導方法を自分から積極的に語ることはありえません。知らないうちに語っていることはあるのかもしれませんが。とにかく、生徒やその親の思いをきちんと把握して、「入塾してよかった」と心底思っていただけるように、誠心誠意指導するだけです。だから、完全個別指導方式を採っています。あまり詳しく語ると「あそこか」と特定されかねないので、このくらいでやめておきます。

以上のように、「文筆活動」と「生業」とをきちんと区別しようとしているので、それをつなげた形で論じられると、腹の底からの怒りがこみ上げてくるのです。また、生業に注がれる真摯な思い(それは、ごく普通の人なら分かるものです)を理解せずに、それを軽んじるかのような言辞を弄されると、堪忍袋の緒が切れることにもなるのです。 (続く)


Commented by 美津島明 さん
原発言説について。あなたが理想とする方法論は、言ってはなんですが、絵に書いた餅のようなものです。また、人性への洞察が足りないようにも感じます。

人は、ある主題に関して、全ての情報を集めることなどできません。ある程度の情報と、それから得られた心象に基づいて、自分なりの態度をとりあえず決める。それが、ごく普通の態度決定のあり方でしょう。あなたもそうしているはずです。問題は、その先です。自分が決定した態度に都合の悪い情報についてかたくなに耳を塞ぎ、心を閉じるのが、マズイのです。人は誤りうる、という厳然たる事実に対して、私たちは謙虚であらねばならない。

私は、お察しのとおり、原発再稼働推進に与する者です。その態度決定そのものについて「偏りがある」と難じられるのであるとすれば、反原発派も、同じく「偏りがある」と難じられるよりほかないでしょう。つまり、そういうことは意味がありませんね。

で、私の場合は、当論考シリーズのなかで反原発派の「巨頭」武田邦彦氏の言説を遡上に載せて、詳細に検討しています。そういう形で、反原発派が発信する情報にも心を開いているつもりです。当論考シリーズは、まだ途上ですから、これからも反原発派の言説は、遡上に載せていくつもりです。

その流れのなかで、あなたからご指摘のあった「奇形の赤ちゃん」の紹介ブログをきちんと読んでみました。その上で申し上げます。「奇形の赤ちゃん」と放射線被害との因果関係が私にはまったくつかめませんでした。また、奇形児の発生率が他県に比べて福島県が極めて高いという客観的な資料もまったく読み取ることができませんでした。科学を尊重なさるあなたらしくない資料や情報の指摘ではないかと思いました。これだったら、高田純教授の、政府主導の放射線量測定法に対する批判の方がそれとは比べられないほどに科学的ではないでしょうか。この言い方さえも「偏っている」と言われたら、何をか言わんや、です。


Commented by 美津島明 さん
「こういうところに反論する人は、おおよそ、感情の反発も含めて、ぶつかってくるのではないでしょうか?」。いいえ。そういう方は、あなたがはじめてです。ほかの方は、例外なく、反論があっても大人としての礼節をわきまえた態度をキープしています。感情をむき出しにして、露骨に(失礼!)ケンカを売って来たのは、あなたがはじめてです。ウソだと思われるのであれば、ほかの方のコメントを覗いてみてください。ほかの皆さんは、なかなかの紳士ですよ。紳士のスタンスをキープしたうえで、主張すべきはきちっと主張しています。

だから、あなたから感情むき出しで売られたケンカを素直に買った小浜氏を、私が責めるいわれはありません。腹が立ってしょうがないのであれば、もう一度、あなたのほうから本人に直接ケンカを売ればいいだけの話でしょう?それをもう一度小浜氏が買うかどうかは、本人の自由です。

「このブログを美津島さんの考えに賛同する人だけに読んでもらったらそれでいいとは考えていないですよね?自由闊達な議論の中で、なんとか新たな知を求めているはずです。いわば、反論者もその知を想像する共同作業者です」。そうです。その見識の立派さと、感情むき出しの、相手を愚弄するような言辞を弄する幼稚さとが、どうも結びつきません。まず自分から相手の気分を好きなだけ害しておいて、当の相手には心を開いた揺るぎなき理性的対応を求める、というのはちょっと無理がある。「感情的な反発に、感情的にさらに反発していては、何も生み出しません」なんて言っていますが、それを言う資格を得るためには、わがままな消費者や子どもではないのですから、まず反論を切り出す側が抑制された表現をキープすることが、肝要でしょう。それが、あなたの思い描いているような生産的な議論をもたらす前提なのではないでしょうか。

最後に。私は、言論活動と生業を分けるスタンスをキープしていること、その理由、それゆえその二つをつなげるコメントは許容しがたいこともすべて率直にお伝えしましたね。そのうえで、なおもあなたは、言葉の端々にそれをつなげたコメントをしようとなさる。気づきませんか。そんな無神経なコメントを発信した人は、これまでほかにはだれもいませんよ。考えられないことです。これが、最後の警告です。これ以上そういう類いの言辞を弄されたら、あなたのコメントをすべて削除します。


Commented by tiger777 さん

美津島様

バカバカしい挑発に乗る必要はないと思います。「共同作業者」などと嫌らしいことをことを言うな、です。

>ま、ゆっくりと時間をかけて反証してみてくださいな。データはデータですからね。「ねつ造だ」のような卑怯な批判はなしですよ。ここに上がっている地域の人たちの臨床データとかで反証してくださったら、べりーグッド!ですね?期待していますよ。その卓越した取材力を!

この人の品性がこの文章に如実に表れていますね。
この人は世の中が悪くなればなるほど快感を感ずる人のようですから。
ゴーイングマイウエイで行きましょう。


Commented by 美津島明 さん
To tiger777さん

ご心配をおかけしました。ご投稿、ありがとうござます。彼を「荒らし」と認定し、そのコメントを完全に削除することにしました。その言動が、常軌を逸していましたので。

*****



福島が復旧・復興するための本当の礎とは何か。その答えを求めて、当シリーズも今回で11回目を迎えることになりました。いままでの論考で分かったことを要すれば、「福島が復旧・復興するためには、福島の被災者を含めた一般国民がLNT仮説の呪縛から解放されることが必須の条件である」となります。

これは、次のように、いろいろと言いかえることができます。思いつくままに列挙しましょう。「一般国民の、放射能への過剰なほどの恐怖心をあおり、それに対する冷静な思考を阻むような言説は、厳に慎まなければならない」。「一般国民が、科学万能信仰から脱却することが必要である」。「福島問題をイデオロギー闘争の手段にしてはならない」。

こうやって並べてみると、放射能や放射線についての正しい知識を身につけることが、すべての議論の前提あるいは土台であることに気づきます。

それは、他人(ひと)事ではありません。私自身がそうするように心がけなければ、福島問題を論じる資格がない、ということです。

実は、ほそぼそとではありますが、私なりにそういう営みをしていないわけではありません。その場合、あまりにも刺激的な書きっぷりをしているようなものを読むのは、私を含む放射能の素人にとっては、副作用が多すぎるのではないかと思われます。ぐいぐい引っ張られて洗脳されてしまうか、その強引さに嫌気がさして拒否反応を示すか、というふうに反応が両極端に分かれてしまうのではないかと思われるのですね。

それではいけません。なぜなら、私を含めた一般国民が、放射能や放射線についての正しい知識を身につけることができるかどうかは、大風呂敷を広げれば、国家百年の計に関わる重大事であるからです。突き詰めて考えれば、そうなるのではないかと思われます。というのは、原子力を考えるということは、エネルギー問題という切り口での総合安全保障に関わることを考えていることを意味し、総合安全保障は、経済問題に先行する、あるいは、その土台になる主題であるからです。私たちが原子力問題を考えているとき、じつは、日本国家の土台について思いを巡らしていることになるのです(そんなのお上が考えればいいことだ、とか、お前の言うことは大げさなんだよと思われた方は、以下、読まなくてもけっこうですよ)。

だから、次世代を担う子どもたちに、原子力についての正しい知識を伝えることは、教育関係者にとってはもちろんのこと、親にとってもとても大切なことであると、私は考えるのです。生徒や子どもの未来の幸せを願うのであれば、当然そういうことになるのではないでしょうか。

その場合、先生と生徒が、あるいは親子が一緒に読めるような原子力関連本があればいい、と思いますね。

今回ご紹介する『原子力のことがわかる本 原子爆弾から原子力発電まで』(舘野淳監修 数研出版)は、そういう本のなかの一冊になりうるのではないかと思われます。たとえば、本書のどういうところが優れているのか。その「はじめに」で、舘野氏はこう言います。

果たして原子力は安全で安いエネルギー源として本格的に使えるのかどうか、みなさんが判断しなければならない時がきっときます。そのために、原子力の長所も、欠点もよく知ってもらおうと思って書かれたのがこの本です。

この本の第1刷は、平成15(2003)年7月1日です。また、最新の第3刷は、平成22(2010)年11月1日です。つまりこの本は、平成23(2011)年3月11日に発生した福島原発事故の前に書かれています。その意味で引用の言葉は、予言的でさえあります。この言い方から分かるように、舘野氏は、子どもがこの本を読むことによって原子力について真剣に考えるようになり、また、大人とその問題について真摯に語り合うようになってくれることを願っているのです。押し付けがましいところを感じさせなくて、なかなかすがすがしい心がけですね。本を読むことで、子どもが自分自身で物事を考えようとするところにまで達することができたなら、確かにそれはすばらしいことにちがいありません。

いま「子ども向けの本」と申し上げましたが、この本は大人の読み物としても学ぶべき内容が満載です。試しに、次の10問の問いに答えてみてください。答えるのに苦慮する質問がいくつかあるなら、あなたは、大人向けの原子力関連本を読む前に、まずはこの本を読んだ方がよいのではないかと思われます(馬鹿にしているわけではありませんよ、念のため)。すべて、この本の内容で答えられる質問です。下の解答を見ずに、真剣に答えてみてください。

〔問1〕 原子核のなかに、陽子のほかに中性子があるのはなぜか。

〔問2〕 原子力発電の燃料はウランですが、そのなかで核分裂を起こすウランの同位元素は何か。また、核分裂しにくいウラン同位元素は      何であり、発電後、それは部分的に何に変化するか。

〔問3〕 放射線と放射能との違いを述べよ。

〔問4〕 自然放射線量は、世界年間平均で何ミリシーベルトか。

〔問5〕 原子爆弾と原子力発電との技術上の決定的な違いは何か。

〔問6〕 「核物理学の父」と呼ばれ、有核原子模型を考案したイギリスの物理学者はだれか。

〔問7〕 電源の「ベストミックス」とは何か。

〔問8〕 減速剤と冷却剤にふつうの水(軽水)を使う軽水炉の二つの型を答えよ。

〔問9〕 原子力発電の臨界とは何か。

〔問10〕プルサーマルとは何か。簡潔に答えよ。


以下は、その解答です。

〔問1〕陽子と陽子とはくっつきにくいため。
〔問2〕順に、ウラン235・ウラン238・プリトニウム239
〔問3〕放射線とは、原子核が壊れるときなどに出てくる高速の粒子や、大き
    いエネルギーをもった電磁波のこと。放射能とは、放射性物質が放射線を出す性質のこと。(だから、「放射能は危険」と言い方は誤    り)
〔問4〕2.4ミリシーベルト(だから、「0ミリシーベルトが理想」というのは、
    自然界ではありえない。地域によっては、10ミリシーベルトにも達する)
〔問5〕原子爆弾の場合、核分裂の連鎖反応を制御しないのに対して、原子力発電では、その連鎖反応を制御すること。言いかえれば、中性子    の制御の有無。
〔問6〕ラザフォード
〔問7〕火力・水力・原子力という発電の方法をバランスよく組み合わせること
〔問8〕沸騰水型と加圧水型(ちなみに、福島第一原発は沸騰水型)
〔問9〕核分裂が連続して起こる状態のこと。
〔問10〕高速増殖炉で使われるはずだったプルトニウムを、ふつうの軽水炉型
    発電所で使う方法のこと。

いかがでしょうか。実は、この子ども向けの本から、もっと答えにくい設問をでっちあげることも可能なのですが、読み手の皆様を慌てさせよう、困らせようと思ってこういうことをしているわけではないので、そういうことはやめておきます。要するに、「子ども向けの本だからといって、あなどれませんよ」ということがお分かりいただければいいのです。

原子力や放射能・放射線についての、以上のような基礎的な知見の地道な積み重ねと社会思想的な意味での深い洞察とを適切に擦り合わせることによって、私たちは、福島問題やさらには原発問題についての妥当な着地点に降り立つことができうるのではないか、と私は考えています。

最後に、本書の若干の瑕疵について触れておきましょう。

その1。一方では、年間自然放射線量は2.4ミリシーベルトであると述べながら、他方では、一般の人の年間線量限度は1ミリシーベルトと述べている点。このままでは、虚心に読み進む者を無用の混乱に陥れる危険がある(子どもからそこを追及されたらふつうの大人は困ってしまうだろう)。ここは、年間「人工」線量限度は1ミリシーベルトと明記すべきである。

その2。年間線量100ミリシーベルト以下では、明らかな健康被害はない、というのが疫学の知見である。そのことをきちんと述べたうえで、1ミリシーベルト基準は、国際放射線防護委員会(ICRP)の、科学的というよりむしろ多分に政策的な見解に基づくものであることを明記すべきである点。この点、歴史的に明らかである。子どもたちにとっての真の科学教育は、そのような不偏不党の見識に根ざすものであることが望ましい。

その3。原爆問題はそれ自体重要ではある。しかし、この本のなかであまりにもそれにページを割きすぎているような印象がある。そこに、子どもを含む読み手に対して、原爆問題=原発問題という刷り込みをしようとする監修者の意図があるのなら、その点、遺憾である。なぜなら一般国民の、放射能に対する過剰なまでの忌避感は、その連想によってもたらされているという側面が否めないからである。その混乱した思考を、子どもの世代にまで持ち込もうとするのはいかがなものだろうか。

と、悪口を言ってはみましたが、本書が、原子力についての知識の基礎・基本をできうる限りわかりやすく説明した良書であることに変わりはありません。

今回は、こんなところで。 (続く)


*末尾に、「続く」とありますが、その後の投稿はありません。今後、気長に書き続けていく所存です。

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