美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

フクシマが復旧・復興するための本当の礎(その3) (イザ!ブログ 2013・4・20)

2013年12月12日 18時49分58秒 | 原発
武田邦彦氏と副島隆彦氏の対談(『ケンカ対談』)で、二人は、福島原発事故と関連してチェルノブイリ原発事故に触れています。そのなかで副島氏は、西村肇という東大名誉教授の名を挙げます。副島氏によれば、西村氏は、日本の環境工学を創った偉大な学者だそうで、具体的には、四日市ぜんそくや水俣病の原因解明や、瀬戸内海の研究や新潟イタイイタイ病などにも取り組み、東大の中で孤高を守り、冷や飯食いを貫いた人だそうです。東電から1円ももらっていないので、定年退官しても、私立大学からまったく声がかからなかったそうです。福島原発事故の最高責任者だった小川宏氏(元原子力安全委員長で、今も東電の監査役)のことを、西村氏は「自分が教えた人だ。出来が悪かった」と言っていたとのこと。

そんな西村氏が、副島氏が事故直後の原発のそばと東京との往復を繰り返していた最中に、原発から放出されたすべての放射線量を計算し、2011年4月8日に記者会見を実施して、数値を発表しました。その発表によれば、チェルノブイリ原発事故で放出された全線量は370万テラベクレルで、その半分は燃料棒のまま残っていたものとし、残りの約半分の167万テラベクレルくらいだろうとした。それに対して、福島原発事故の場合、自分が長年の公害研究で培った汚染物質の「拡散方程式」を使って、一日当たりの放出量は10テラベクレルとし、2週間続けて出たとしても、120テラベクレルだから、最大でもチェルノブイリの1000分の1の放出量であると結論づけた。西村氏と20年来の付き合いのある副島氏は、西村氏の「最大1000分の1」説を信じるという。

(参考 jimnishimura.jp/tech_soc/chem_today1105/chem_today1105.pdf 西村肇「理論物理計算が示す原発事故の真相」 。われわれ物理学の素人にとって、当論文を読み通すことは難事なので、とりあえず最後の「研究結果から導かれる重要な結論」を確認できればいいのではないでしょうか。)

副島 (前略)ところが、この4月8日の西村発表のあった後の、9日、10日、11日になって急に、なんかよく分かりません  が、まず、保安院が、4月11日に「チェルノブイリの10分の1説」を言い出した。ですから保安院は「37万テラベクレル説」です。保安院は、西村論文が出たので慌てて、泥縄で計算してというか、その根拠となる資料とかは後々出すのでしょうが、チェルノブイリが370万テラベクレルだから、その10分の1にしょうや、という逆算で福島は37万テラベクレルだ、と発表した。私はこのようにウラ読みをしました。こうして西村説の1000分の1説と対決することになった。この後ただちに、安全委員会のほうが22万から56万テラベクレルが  放出された全量だ、と発表した。保安院と口裏を合わせていますね

  そしてこのまさしく4月11日が大震災、原発事故からちょうど1ヶ月目に当たるので、この日に飯舘村を「計画避難区域」にするか   ら、牛を処分して出てゆけ、ここは放射線量が高いから、という政府発表が出ました。その次の日に、私は飯舘村に行ったのですが、    チェルノブイリと同じ事故評価尺度でチェルノブイリと同じ「レベル7」であると菅直人首相が発表したわけですよ

  これで、愚か極まりないことですが、世界中に向かって日本政府が「日本はチェルノブイリ事故と同じ深刻に放射能汚染された国  だ」と発表  することで、世界中に風評被害を撒き散らしました。この「レベル7」の発表の後、日本国民もみんなすっかり意気消沈して  立ち直れないく  らいの沈鬱なムードになった。なんとバカな発表をしたものだ、と私は苦々しく思います。

 (中略)

武田 (福島原発事故の全線量の問題は―引用者補)非常に難しい議論なので、速やかにあれ(放射能放出量のこと―引用者注)が、彼(西村  氏のこと―引用者注)が計算した通りであるのか、それともそれ以上だったのかということは、現在ではなかなか僕には分からない。

副島 武田さんの推定では「10分の1」でいいと。

武田 ええ。チェルノブイリの10分の1くらいはあると思います

(太字は、引用者による)

当シリーズに掲載したUNSCEAR報告書や、世界原子力協会(WNA)制作の『FUKUSHIMA and CHERNOBYL ~Myth versus Reality』(邦題『福島とチェルノブイリ~虚構と真実』を知る私たちは、事故当時の武田氏と副島氏(と西村氏)のどちらが事態を正確に観ていたのか、確信を持って言うことができます。専門家の武田氏ではなく、いわゆる素人の副島氏に軍配が上がることは明らかですね。同じことですが、科学者として、西村氏の見識はどうやら正鵠を射ていたようなのです。それにひきかえ、ここでの武田氏は、LNT仮説を原理主義的に固持する科学者であることからさえも踏み外して、当て推量で物を言う無責任でいい加減な科学者になってしまっている印象が拭えません。事の重大さに鑑みれば、そういう厳しい評価をせざるをえないのではないでしょうか。

それはそれとして、先の引用のなかでの副島氏によって言及された保安院や安全委員会や菅内閣の態度には看過しがたいものがある、ということにとどまらず、なにやら「これを機に日本を地獄の底に突き落としてやろう」という凄まじい悪意さえも感じるのは、私だけでしょうか。ここには、民主党政権の、日本弱体化への底知れぬほどの執念が感じられるではありませんか。とはいうものの、この一連の動きの真相は、おそらく闇に葬られることになるのでしょう。これ以上言い募ると、いま流行りの陰謀論的な世界観にはまってしまいそうなので、この話はこれくらいでとどめておきましょう。

話を元に戻します。

西村肇氏は、「原子力文化」二〇一二年九月号に掲載された「がんと放射線とストレスと―福島の友人へのメッセージ」というインタヴュー記事で、いわゆる「100ミリシーベルト問題」について、次のような興味深いことを言っています。http://jimnishimura.jp/tech_soc/mg_atm1209/1.pdf

西村 (前略)放射線を一生で100ミリシーベルト浴びるとがんになる可能性が5%増えるのは、科学的には確実なことです。ただし、それはどういうことから考えられているかというと、原爆症の患者のうち500ミリシーベルト以下の被ばくの人、5万人について四〇年間のがんの発生の有無を調べ、これを被ばくしなかった人の集団とくらべたものです。(中略)そこに実はちょっと注意しなければいけないことがあります。

―――どういうことですか。

西村 がんになる程度はその人の持っている体質によります。家族を調べてみると、よくわかります。結局がんになる率は、がんになりやすい体質かどうかと、現在の健康状態と、それから食事など生活全部含めて、がんになる危険率が決まってくるのです。(中略)疫学の結論はヒトという一つの集団についての結論であって、個人にあてはめるものではありません。ヒトがいない以上、自分はどうなるかということは、医者や科学者に聞いてもわからないので、自分で自分の家系や健康状態、年齢その他を考えて、判断は自分がしないと・・・。

(中略)

―――そうすると、放射線を100ミリシーベルト受けると、五%がんになる可能性がある。100ミリシーベルト以下になると有意の差が現れないなどの数値は、あまり意味がないということになりますか。

西村 意味がないとは言えませんが、それはあくまで目安で、最後の判断は自分でしないといけないということです。それを覚悟して避難地から地元に帰るかどうかの判断は、あくまで自分で自分の体を考えてやらないとだめということです。科学者や医者に「大丈夫ですか」と聞けば、「大丈夫とは言えません」という答えしか出ません。(中略)

―――今まで日本人はそういう言い方に慣れてなくて、「自分で決めなさい」と言われても、「何で判断すればいいんだろう」と困る方が多いと思います。

西村 一つは、行政も科学者も含めて、そういう疫学のもっている弱さを認めて、結論を○×では出せない、ということをはっきり言うべきだと思います。「最後の判断はあなたですよ」と。慣れていないといっても、みんな株を運用するでしょう。危険率などデータは全部ありますが、最後の決断は個人ですよ。特に避難地から帰郷の問題を考えるときに、自分の年齢を考えて・・・。例えば、若い子どもなどは帰さないようにしますが、自分たちは大丈夫だと思ったら、決断する。すべて行政やお上が責任を取るから、それに従えばいい、という考えはやめないと問題は解決しませんね。(中略)例えば、がんの原因はストレスが非常に大きいのですが、ストレスの一番は人間関係です。人間関係で一番大きいのは他人との関係です。ですから、自分の知らない町で仮設住宅の狭いところで暮らしている、というストレスは相当あると思います。それよりはやはり自分の家に帰ると違うでしょう。そのときにストレスと被ばくとどちらを取るかは、やはり最後は自分の決断が大事だと思います。そして、働く意欲がなくなっていくというのが一番怖いですね。家にいれば自然に農作業をしていたのが、避難所だとそれもできません。


一見いわゆる「自己責任論」を説いているかのようですが、西村氏はここでもっと重要なことを言っています。ざっくりと言えば、「計画的避難区域など、馬鹿げているからやめてしまえ」と西村氏は言っているのです。科学者も行政も、疫学の限界をわきまえるならば、計画的避難区域などという住民排除の施策などできうるはずがない、と。「自分の家に住み続けるかどうかは、最終的には自分で決めるよりほかはない。そういう意味での自己決定権を最も重要なものとして科学者や行政側が社会的に保証するのでないかぎり、福島問題は決して解決しない。また、被災者の側も、科学者や行政に依存し、最終的な意思決定権を彼らに委ねる甘えときっぱり決別して、自分のことは自分で決めると腹を据えなければ問題は解決しない」、と西村氏は言っているのです。

科学の碩学の、なんとマトモな考え方でしょう。彼のメッセージを一言にまとめれば、「正気であれ」となりましょう。こういう識見をこそ真の意味でのコモン・センスというのでしょう。私は、西村氏の意見に全面的に賛同します。おそらく、ここが復旧・復興の確かな根底・底板になるはずです。この世に、それに依拠していれば物事を上手に解決する打出の小槌のようなものは存在しないのです。科学者や政府は、『カラマーゾフの兄弟』のなかの大審問官の役割を果たし得ないし、また、果たしてはならないのです。

西村氏の科学者としての立派な態度と比べるとき、武田邦彦氏が当時とった態度はあまりにも陋劣である、と評するよりほかなくなってくる感触が否めません。人騒がせにもほどがある、と。その「人騒がせ」という点で、次のやり取りは見逃せません。

副島 東京の公立小学校の学校給食に、放射能物質が多く入っているから、自分の子には弁当を持たせる自由を与えよと言う、そういう″放射   能ママ″を野放しにしてはいけない。

武田 しかし給食でも原子力でも、制度上の欠陥という意味では同じです。

副 そういうことを主張するのは自由ですけれど、無意味です。

武 だって、お母さんがたがね、教育委員会とか学校に一所懸命給食のことを言いに行ってはじかれてくるわけですよ。

副 それは、はじかれますよ。

武 はじかれてくる人をサイドから応援するっていうのはよくない行為ですか。

副 そんなことにエネルギーを使わないでください。

武 いや、だけど学校によってはね、今度のことで校長先生が動いて、心配な人は弁当でいいということが結構ある。複数ある。

副 なるほど、分かりました。そういうふうになるでしょうね。母親たちが教育委員会や学校にワイワイ言えば。

武 ところが、それを言いに行く人たちはね、僕が書いたブログを持っていくんですよ。なぜかといったら―――。

副 だからあなたがその母親たちを煽動しているんだ。私はここでは武田さんと完全に対決して、その母親たちをね、ヒステリックになっている母親たちを煽動するのはやめてください、と言う。非常に迷惑だ。社会全体にとって、本当に。そういう類いの女たちというのは、ろくな女たちじゃありません。

武 そう?

副 はい。

武 だって、お母さんが子どもを心配するのは普通でしょう。

副 だから、心配する気持ちそれだけなんです。放射能に対する自分の恐怖心だけなんだ。

武 そう。

副 原発事故や、それが社会全体に及ぼす問題などへの配慮に一切関知しようとしない。

武 お母さんのほうが正しいと思う。

副 いいですよ。命を守る、自分の赤ちゃんを守ろうとする自分は絶対に正しい(原文は傍点)のだ、と居直れますから。女の一番いけないところが出る。そこには社会性がゼロなんですよ。

武 僕は社会性ゼロのほうが立派だと思うけど。

副 分かりました。それならそれでいい。それぞれのご意見ですから。

武 だって、社会の前に個人があるわけだから。

副 ただし、あの放射能コワい、コワいの女性たちは、これまでの武田さんの本を読んで、きちんと物事を判断できるような能力のある人たちではありません。

武 それはそうかもしれません。だけども、能力がないからといって、社会に存在価値がないかというと。

副 分かりました。武田さんは今回、100万のそういう女性たちを自分のブログで味方につけた。だから自分は民衆に支持された新しい体制(原文は傍点)での、次の代表の一人になろうとお考えなんですね。よーく分かりました。新たに怒れる民衆を味方につけた悪賢いお公家様だ。武田さんを支持しているその女たちの感情的な激しさは、この原発、放射能漏れ問題全体から見たら、中心ではない。私は非常にはずれのほうの問題だと思います。「学校給食と放射能」など。しかし武田さんはそこに、その100万人の女性たちからの応援があることを、自分の信念の中心にしようとしている。絶対失敗しますからね、そういうことをやっていると、言論人としては。

武 僕の失敗なんかどうってことないけど。



話は、まだまだ続くのですが、ここいらでもういいでしょう。長々と引用したのには、それ相応の理由があります。

ここで二人は、図らずも現代日本社会の病理の核心を突く議論を、それぞれ正反対の方向からしているのです。その病理は、原発問題との関わりでは″放射能コワいコワいママ″の姿として顕在化します。また、教育問題との関わりでは″モンスターペアレンツ″の姿で立ち現れます。さらには、医療の現場では、医者や看護師に対して暴力的な言動をする″バイオレンス患者″として跋扈します。もっと卑近な例をあげれば、周りの迷惑をまったく顧みることなく、大きなシャカシャカ音を撒き散らしながら、ヘッド・フォンで自分の好きな音楽を聴きまくる、電車の乗客たちです。私は、正直なところ、彼らの正気を疑っています。そういう存在の特徴に、あえて名前を与えるとすれば「自分だけが大切。自分の子どもだけが可愛い。この世はオレ様のためだけにある。他人のことなんか知ったこっちゃない」という社会性ゼロの攻撃的個人原理主義です。これが、日本社会の屋台骨をメルト・ダウンさせかねない怪物の正体であると私は考えています。社会のさまざまな分野のフロントで活動していらっしゃる人たちを心底困らせ憔悴させている存在に私なりに名前をつけるとすれば、そういうものになります。

そこで、話は「言論人の最低のマナー」に移ります。私は、この「攻撃的な個人原理主義」に、それが社会的に跋扈・跳梁することを可能にするエネルギーを決して供給しないことが、現在における言論人の最低のマナーであると考えています。これに違反する言論人は、言論上のマナー違反者として厳しく糾弾されてしかるべきであると私は考えるのですね。これは、言葉を変えれば、言論諸活動が繰り広げられる舞台としての社会それ自体は維持されなければならない、という考え方です。そういう意味では、この最低限のマナーを守ることは、思想信条の違い、立場の違いを超えたものなのではないでしょうか。

その観点からすれば、武田邦彦氏は、ひとりの言論人として、放射能問題をめぐり、絶対に越えてはならない一線を超えてしまう振る舞いをしてしまった、と評するよりほかはないと私は考えます。ハーメルン・武田の笛は、明らかに変調をきたしていたのです。

それに対して、ここでの副島氏の、言論人としての命綱を決して手放そうとしない凛とした態度は立派です。そうとしか言いようがない。ここで副島氏が示した姿勢は、実のところ、言うは易く行うは難し、なのです。なぜなら、彼が正面の敵として見据えている「攻撃的個人原理主義」は、表見的には、いわゆる「市民面(づら)」あるいは「弱者面」をしているので、市民の味方や弱者の同伴者を気取りたいスケベ根性を断ち切らないかぎり、それを背景にした論者を正面切って論難するのは、けっこう難しいのです。その意味で、副島氏は、勇気のある言論人です。

武田邦彦氏を一方的に断罪してしまった形になりました。しかし、彼がこれまで環境問題に関する俗論を木っ端微塵にし続けてきた長年の言論活動の功績はいくら高く評価してもしすぎることはないと、私は考えています。私は、彼の環境問題に関する著書を読むことで、おおいに蒙を啓かれた経験を持っています。そのおかげで、私はいわゆる「環境問題」なるものに対して、健全なる懐疑心を抱くことができるようになりました。また、原発問題に関しても、彼の「福島原発事故は、津波によって引き起こされたのではない。その直前の地震によって、設備は稼働しなくなっていたはずである。なぜなら、福島原発は設計上、震度6の地震に耐えられないように作られているからである。設計思想の根本的な欠陥が、今回の事故を招いた。その設計思想が根本的に是正され、原発設備の耐震機能が飛躍的に高められないかぎり、再稼働はするべきではない」という提言には、傾聴すべき多くがあると考えていることも、申し添えておきたいと思います。それはそれ、これはこれ、と分けて評価すべきでしょう。 (この稿、続く)

〔コメント〕

Commented by kohamaitsuo さん
気迫のこもったシリーズですね。続きが楽しみです。
副島隆彦氏があの時期にこれだけ言い切ったというのは、ちょっとした驚きです。彼を見直しました。武田邦彦氏は、科学信仰者のところがありますから、防戦一方でちょっとオタオタしてしまったのでしょうね。その点は理解してあげなくては、と思います。
ところで最後の部分で貴兄は、武田氏の「福島原発事故は、津波によって引き起こされたのではない。その直前の地震によって、設備は稼働しなくなっていたはずである。なぜなら、福島原発は設計上、震度6の地震に耐えられないように作られているからである。設計思想の根本的な欠陥が、今回の事故を招いた。」という発言を引用されて、「傾聴すべき多くがある」と評されていますが、傾聴すべきでしょうか。私は極めて軽率な断定だと思います。どうせあの時点での武田氏を批判するなら、この発言のおかしさも指摘すべきではないでしょうか。というのは、この発言は、少しも「科学的」ではないからです。あの事故は、外部電源との接続が津波によって断たれたために冷却装置が作動せずに水素爆発を起こしたと一般的には説明されています。これが正しいかどうかはともかくとして、武田氏の発言は、こういう説明が正しいかどうかの検証そのものをしないで、ただ、震度6に耐えられない設計だったから、津波が原因ではないと断定しているだけです。本当にその時に地震そのものによって圧力容器が破壊されたのかどうかについて、彼はまったく言及していません。科学者として誠実を期すなら、こんな軽率な断定は避けるべきで、「原因については、いまのところ分からない」というべきでは?
ちょっとしつこく書きましたが、貴兄がこのブログに込められた熱意を尊重すればこそのコメントと受け取っていただければさいわいです。


Commented by 美津島明 さん
To kohamaitsuoさん

小浜さん、このシリーズをお読みいただいているようで、どうもありがとうございます。最初は、稲博士の発言に触発されて、一連の放射能騒ぎに関してちょっとした自分なりの気づきがあったので、それを元にして二、三回くらいのシリーズで書いてみようかとおもむろにスタートしたのですが、いつの間やら、図らずも長丁場になってしまいました。自分がこれまであまり詰めて考えてこなかったことでもあるので、考え始めると次から次に大事な論点が浮かび上がってくることになりました。で、こういうことになっています。まとめを急がずに、気になることが出てきたら、落ち着いて考えていこうと思っています。
 
ご指摘の件について。武田さんは「水素爆発で配管は絶対に飛ばない。しかるに、外部電源をつないでもいまだに冷却されない。ということは、最初から配管系が壊れていたことになる。とするならば、その原因は津波ではなく最初の地震である」と一貫して言っていますね。それに対して、対談のなかで副島氏が、「その事実を4月30日に保安院が認めました。地震で壊れたって、はっきり言いました」と言っているのです。武田さんのスタンスに対してことごとく異を唱えている副島氏が、それについてはあっさりと受け入れているので、私は「そうなのかな」とまあ鵜呑みにしてしまったのですね。どうやらちゃんと調べてみる必要があるようですね。結論は、それまでご猶予ください。


Commented by ぱんたか さん
 美津島 様

力の籠った正論を、ひざを打ちながら拝見しております。
 
これは、副島さんと武田先生の『喧嘩対談』のことでしょうか。
 私も武田先生のそれまでのご本で、特に環境問題などで蒙を啓くことができた一人ですが、放射能については閾値を認めず「一粒なりとも危険」という考え方には、当初から大きな疑問を持っていました。

事故直後から「メリット・デメリットを考えた場合、人体への影響は無視しても良い程度」ということを、中川先生のような学者さん、副島さんや渡部昇一さん、池田信夫さんなど一部の評論家も一貫して言っております。

未だに避難先からの帰還が叶わないのは、当時の政府の誤った方針の結果だと思います。この“風評被害”をなくさぬ限り、福島どころか日本中の被害はこれからも延々と続くでしょう。

これを終わらせるためには、政府が丁寧な説明をした後に、「…であるから、帰還は差支えない」という宣言をすることだと思います。

高橋 龍渉


Commented by kohamaitsuo さん
なるほど。武田さんにケチをつけた私自身も、貴兄が引用されている部分からだけ判断してしまった軽率さがあったようです。お詫びします。
とはいえ、仮に水素爆発では配管は絶対飛ばないという武田説が正しいとしても(なぜこう断定できるのでしょうね)、津波で配管系が壊れた可能性が残りますね。武田さんの2つの説明は、水素爆発以前に配管系が故障していたことを証明しているだけで、それが地震によるものだということの証明にはなっていません。上記の説明も、そんなに論理的(科学的に)ではないように印象されます。
だいぶ話が細かいところに入ってきてしまいました。こういう点に関して私に厳密な調査の能力と余裕があればいいのですが、どうもそれも望めませんので、いまのところ、疑問の提示だけにとどめさせてください。
いずれにしても、今後この記事を書き続けるにあたって、貴兄があまりに細かいところまで踏み込んで肝心の執筆エネルギーをいたずらに消耗されないことを祈ります。原発再稼動か廃炉かをめぐって40万年以前の活断層などを調べている規制委員会の方針に私はばかげたものを感じていますので、バランスが大事か、と愚考いたします。


Commented by 美津島明 さん
To ぱんたかさん

コメントをどうもありがとうございます。

はい、当シリーズ(その8)(その9)で取り上げたのは『喧嘩対談』です。私も、ばんたか(高橋)さんと同様に、以前から武田さんの環境問題に関する見識の高さや鋭さにとても感心していました。ところが、放射能問題に関しては、素人ながらも、なんとなく小首をかしげざるをえませんでした。それほど思考力があるとは思えない人たち(副島氏のいわゆる「放射能ママ」)の放射能に対する恐怖心を、武田氏は、なだめるというよりも、どこかしら煽っているような印象を持ったからですね。実は、私、その現場を目撃しています。普段2~30人程度でつつましく集って、いろいろな分野の専門家のお話を聴くということを約十年間やっていたのですが、武田さんが講師として招かれたときだけは、200人超の人々がぶわっとやってきて、武田さんに、若いお母さん方が、放射能をめぐってあれこれと具体的な指針の教示を請うような質問を、眼を三角にして矢継ぎ早にしているのが、どこか異様な感じがしたものでした。そのときの武田さんはまるで新興宗教の教祖さまのようでした。

> 未だに避難先からの帰還が叶わないのは、当時の政府の誤った方針の結果だと思います。この“風評被害”をなくさぬ限り、福島どころか日本中の被害はこれからも延々と続くでしょう。
>
> これを終わらせるためには、政府が丁寧な説明をした後に、「…であるから、帰還は差支えない」という宣言をすることだと思います。

おっしゃるとおりだと思っています。その結論に至るまで、あまり急ぐことなく、途中で湧き起ってくる疑問や論点に丁寧に触れて行きたいと思っています。この問題を考えることは、いまの日本をまるごと考えることにつながっているのではないかと感じ始めていますので。当シリーズを続けているうちに、日本全体がなんだか「計画的避難区域」であるような錯覚を覚えてきています(笑)。


Commented by 美津島明 さん
To kohamaitsuoさん

>なるほど。武田さんにケチをつけた私自身も、貴兄が引用されている部分からだけ判断してしまった軽率さがあったようです。お詫びします。

とんでもありません。副島さんのお話を鵜呑みにした私こそが軽率でした。ご指摘感謝しています。

>とはいえ、仮に水素爆発では配管は絶対飛ばないという武田説が正しいとしても(なぜこう断定できるのでしょうね)、津波で配管系が壊れた可能性が残りますね。武田さんの2つの説明は、水素爆発以前に配管系が故障していたことを証明しているだけで、それが地震によるものだということの証明にはなっていません。上記の説明も、そんなに論理的(科学的に)ではないように印象されます。

なるほど。論理的思考のお手本を垣間見る思いです。触れる触れないは別にして、細部における論理的な詰めをきちんとしておく緻密さは必要ですね。

>いずれにしても、今後この記事を書き続けるにあたって、貴兄があまりに細かいところまで踏み込んで肝心の執筆エネルギーをいたずらに消耗されないことを祈ります。原発再稼動か廃炉かをめぐって40万年以前の活断層などを調べている規制委員会の方針に私はばかげたものを感じていますので、バランスが大事か、と愚考いたします。

なるほど。細部における論理的な詰めをきちんとする緻密さをオタク的に追及するあまり、「要するになにが大切なのか」をめぐっての全体への直観がおろそかにされてはないらないということですね。それがおろそかにされた場合、読み手に無用の負担をかけますからね。それはつまらないことです。小浜さんから、思考なるものをめぐって、高度ないわく言い難いバランスをキープするヒントをいただけたような気がします。ありがとうございます。


Commented by ぱんたか さん
美津島 様

分をわきまえないコメントを差し上げてしまって、首をすくめておりましたところ、ご丁寧なお返事を戴きホッとするやら嬉しいやら、複雑な心境でおります。

若いお母さんと武田先生のやり取り、目に見えるようです。
原発のことで若いママさんと話をしていた時、初めは和気あいあいだったのですが「再稼働という選択肢もあるのでは…」といった途端、怒って帰ってしまいました。

武田先生には「日本人の50パーセントががんに罹り、30数パーセントが死ぬそうですが、福島の放射線で20年先に数パーセントの人ががんにかかるかも知れない、ということについてどのようなご意見でしょうか。」と、メールでお尋ねした時、すぐに「近いうちに私のブログに書きましょう」というお返事を戴きましたが、あれから2年、未だに音沙汰なしです。
 高橋 龍渉


Commented by 美津島明 さん
To ぱんたかさん

>美津島 様
>
> 分をわきまえないコメントを差し上げてしまって、首をすくめておりましたところ、ご丁寧なお返事を戴きホッとするやら嬉しいやら、複雑な心境でおります。

とんでもありませんよ。忌憚のないコメント、いつでも大歓迎です。このブログの「直言の宴」というタイトルが、ブログ主人のスタンスを物語ってあまりあると受けとめていただければ幸いです(*´▽`*)。

> 若いお母さんと武田先生のやり取り、目に見えるようです。
> 原発のことで若いママさんと話をしていた時、初めは和気あいあいだったのですが「再稼働という選択肢もあるのでは…」といった途端、怒って帰ってしまいました。

そうですか。さもありなん、と思います。そういう人たちに対して、「あなたたちは正しい」という免罪符を与えるような言動は慎むべきであると、私は思います。世間の普通の人々が、そのことで、迷惑をこうむり、消耗することを余儀なくされるからです。自分のことしか考えない人のために世の中はあるわけではないと私は思っています。

> 武田先生には「日本人の50パーセントががんに罹り、30数パーセントが死ぬそうですが、福島の放射線で20年先に数パーセントの人ががんにかかるかも知れない、ということについてどのようなご意見でしょうか。」と、メールでお尋ねした時、すぐに「近いうちに私のブログに書きましょう」というお返事を戴きましたが、あれから2年、未だに音沙汰なしです。

その件に関する武田さんの姿勢は、あまり感心のできるものはありませんね。いまからでも、武田氏はちゃんとぱんたか(高橋)さんと交わした約束を果たすべきです。なぜなら、福島県の被災者はいまだにさまよえる民として、忍びがたきを忍んでいて、そのことに武田氏の言動は少なからぬ責任があるのですから。彼が、反原発運動の神々の一人に祭り上げられている現状は、この運動のレベルの低さを物語ってあまりあると、私は思っています。

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