美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

『「領土問題」の悪循環を止めよう!』声明について (イザ!ブログ 2012・10・6、9、11 掲載)

2013年11月30日 22時05分27秒 | 外交
その主張があまりにも馬鹿げているので、取り上げようかどうか迷ったのですが、やはり取り上げます。それは、大江健三郎などの「知識人」や「文化人」を含む1300人が先月の28日に発表した「『領土問題』の悪循環を止めよう」声明のことです。これを無視することは、嫌な現実を無視する精神の退嬰性につながる気がします。私はそれを潔しとしないので、あえて取り上げます。というか、馬鹿げた言論が跋扈するのを座視するのが耐えがたいと言ったほうが、正直なところかもしれません。

まずは、MSN産経ニュースより。

“反日声明”韓国で大歓迎 大江健三郎氏ら、領土問題「日本が侵略、反省を」 
2012.9.29 22:10 (1/2ページ)MSN産経ニュース

【ソウル=黒田勝弘】中国や韓国との領土問題を「日本がまず侵略について反省すべき」とする日本の知識人の“反日声明”が韓国メディアで大々的に紹介されている。29日の各紙はほぼ全紙が社説でこれを取り上げ「自国の侵略主義を叱る日本の知性」(東亜日報)と大歓迎している。

声明はノーべル賞作家の大江健三郎氏や元長崎市長の本島等氏、月刊誌「世界」の編集長を務めた岡本厚氏など、反日的な主張で知られる左派や進歩派の知識人、文化人らを含む約1300人が「『領土問題』の悪循環を止めよう」と題し28日、東京で発表した。

日本ではさして注目されていないが、声明は尖閣諸島も竹島も過去の日本による侵略の歴史が背景にあるとして中韓の立場に理解を示している。領土紛争に伴う民族主義感情への批判や否定も主に日本に向けられていて、結果的に中国や韓国の反日民族主義を容認するものになっている。(以下略)


では、その声明の具体的な内容はどのようなものなのでしょうか。長くなりますが、その全貌を以下に掲げます。1から11まで列挙されたそれぞれにコメントをつけましょう。

領土問題」の悪循環を止めよう!――日本の市民のアピール――
2012年9月28日

1、「尖閣」「竹島」をめぐって、一連の問題が起き、日本周辺で緊張が高まっている。2009年に東アジア重視と対等な日米関係を打ち出した民主党政権の誕生、また2011年3月11日の東日本大震災の後、日本に同情と共感を寄せ、被災地に温家宝、李明博両首脳が入り、被災者を励ましたことなどを思い起こせば、現在の状況はまことに残念であり、悲しむべき事態であるといわざるを得ない。韓国、中国ともに日本にとって重要な友邦であり、ともに地域で平和と繁栄を築いていくパートナーである。経済的にも切っても切れない関係が築かれており、将来その関係の重要性は増していくことはあれ、減じることはありえない。私たち日本の市民は、現状を深く憂慮し、以下のように声明する。


どうでしょう。どこか変な感じがしませんか。一文目からもうおかしいですね。「「尖閣」「竹島」をめぐって、一連の問題が起き、日本周辺で緊張が高まっている」とありますが、領土をめぐって一方的に問題を起こしているのは、中国と韓国です。緊張を高めているのは断じて日本ではありません。日本人の本音は政府を含めて「ああ、また厄介な連中が厄介な騒ぎを起こし始めた。困った、困った」ですよね。これは、実質的な意味での主語のない文の典型例であって、そんなことでは、事実を正確に認識することはかないません。それが、この声明文の狙いのようですけれどね。

次に「2009年に東アジア重視と対等な日米関係を打ち出した民主党政権の誕生」となにげなく語られています。これも、アレ?とお思いになりませんか。だって、鳩山元首相が「東シナ海は友愛の海」とブチ上げて反米的なメッセージを発信し始めたことに対してアメリカが日本政府に不信感を抱き、日米軍事同盟が不安定になったことが、一連の領土問題を惹起させた根本原因なのではありませんか。つまり、民主党による誤った外交路線が、領土問題を先鋭化させたのですね。つまり、中韓両国は、日本を舐め切っているわけですね。でないと、あんなことやるはずがないじゃありませんか。そうされて当然の振る舞いを、この三年間日本政府はし続けてきたのです。

「東日本大震災の後、日本に同情と共感を寄せ、被災地に温家宝、李明博両首脳が入り、被災者を励ました」とは恐れ入ります。そう感じるのは、この声明の発信者たちが親中・親韓だからでしょう。日本国民は露骨には言い出しませんでしたが、本音では彼らの振る舞いを「ありがた迷惑」あるいは「うさん臭いな。勘弁してよ」さらには「人の弱みにつけこまないでよ」と思っていた、というのが正直なところなのではありませんか。だって、もともとそれほど仲が良いわけではありませんからね、これらの国とは。同盟国アメリカの「オトモダチ」援助に対してだって「なんだ。なんだ。貸しを作っておいて、今度は何の要求をするつもりだ」と心のどこかで思っていたくらいですもの。どうでしょう、違いますか。

その次に「現在の状況はまことに残念であり、悲しむべき事態」とあります。「残念」なのはそのとおりですね。七面倒臭いことが惹起したのですから。嬉しいはずがありません。しかし「悲しい」という感情はまったく湧いてきません。この声明の発信の主たちはなぜ「悲しい」のでしょうか。よくは分かりませんが、国境を超えた世界市民的な境地になれたら、国と国の諍い・紛争を悲しむことができるのかもしれません。つまり、彼らには当事者感覚が欠如しているのでしょう。

その次に「韓国、中国ともに日本にとって重要な友邦であり、ともに地域で平和と繁栄を築いていくパートナーである。経済的にも切っても切れない関係が築かれており、将来その関係の重要性は増していくことはあれ、減じることはありえない。」とあります。これ、本当でしょうか。経団連の米倉会長なら、「うん、そのとおり」と両手(もろて)を上げて賛成してくれるかもしれません。

しかしながら、「重要な友邦」であるかどうかは、実のところ相手の出方次第なのではないでしょうか。いまの中国のように中華帝国再興のDNAの命じるままにあくなき覇権主義の追求に目をギラギラさせていたり、また、いまの韓国のように中国事大主義のDNAの命じるままに極東の地政学的な配置を全く無視して日本をコケにし居丈高な中国になびこうとする愚挙を繰り返していたりする国に対して、「すぐ隣だから」という理由だけで、湧いてくる不快感を押し殺して、ニコニコしつづける必要はありません。相手にマトモな精神状態になってもらうために、一定の距離を取ることだって大いにありえますし、それは外交的に尋常な姿でもあります。相互の信頼関係がない状態で、経済(金儲け)だけ優先させようとしてもうまくいくわけがありません。

繰り返します。今後日中関係および日韓関係の重要性が増して行くかどうかは、両国の出方次第ではないかと、私は思います。つまり、中国が覇権主義路線を取り続け、韓国が非現実的な反日路線を取り続ける限り、それらの危険性に目覚めてしまった日本国民が、両国と安心してさまざまなレベルでの関係を深めていこうとすることはありえません。これは、国民としての冷静な判断です。また、日本は、両国の日本に対する不健全な外交路線を補完する悪しき過配慮外交を破棄し、精神的に不衛生な自虐史観を乗り越えなければ、両国とのあいだに将来にわたっての安定的で平和的な関係を築くことは、もはやかなわないと私は考えます。

とコメントをつけているうちに〔1〕に対してだけでもけっこうな量になってしまっていることに気づきました。このまま続けると膨大な量になってしまいそうです。続きは、次回に譲ります。

〈コメント〉

Commented by プシケ♂ さん
彼らの「知性」に呆れる限りですが。この流れを放置できる外交環境ではありませんね。おっしゃられる通り、まさに「当事者意識の欠如」。当事者じゃないから、今回もこれまでも、自分らの先人を貶めることさえも平気なんですよね。さて、日本国内では、ほぼ報道もされない、そして海外で、中韓で「強調されて歓迎される」。これをどうにかしたいです。私も含め大半の日本人はスルーでしょう。それもまた日本人らしいといえば、それまでですが、今はそれじゃ誠によろしくないです。「無言のまっとうな日本人は少なくはない」。中身は知りませんが、東京都が尖閣諸島を購入しようとした際の寄付金の多さから、私はそう感じました。そういう人たちのお金を背負って、発信する仕組みができないものかと考えます。ネットはいいのですが、海外マスコミにおいて、中韓と左派恥知性に対する反対意見広告を随時うっておきたいものです!!その際、やはり無言のまっとうな日本人の寄付金を背負っての発信が大事かと!(一部の右寄り集団と曲解されないように!)。ブログ拝読しながらの感想と思いつきです。


Commented by 美津島明 さん
To プシケ♂さん

いつも貴重なコメントをありがとうございます。

>彼らの「知性」に呆れる限りですが。この流れを放置できる外交環境ではありませんね。

まったくもって。彼ら「進歩的文化人」は、敵国に自分たちの発言が利用されているだけなのを分からないほどのマヌケなのか、それとも、利用されていることを重々承知のうえであえて利敵行為をしている悪党なのか、ちょっと分からないところがあります。いずれにしろとんでもない奴らですけれど。

>今回もこれまでも、自分らの先人を貶めることさえも平気なんですよね。

私の父は昔海上自衛官をしていましたが、講演をしている大江健三郎から面と向かって「あなたたちのような戦争屋を持ったことを私は日本人として恥とします」と言われたそうです。そんな人物ですから、身を挺して国を守ろうとした先人に唾を吐きかけることくらい平気の平左衛門でしょう。

>さて、日本国内では、ほぼ報道もされない、そして海外で、中韓で「強調されて歓迎される」。これをどうにかしたいです。

これにもまったくもって激同です。私としては、そういう問題意識を強烈に持っている安倍さんに一日でも早く総理大臣になってもらって、彼の強いリーダーシップで、戦後・敗戦体制から、われわ国民とともに脱却を果たす過程で、そういう異常な亡国リレーも自ずと改善されていくことを期待したいと思っています。いまは、我慢のときかと。尖閣募金方式も一考に値するアイデアかもしれませんね。


*****

続けましょう。

2、現在の問題は「領土」をめぐる葛藤といわれるが、双方とも「歴史」(近代における日本のアジア侵略の歴史)問題を背景にしていることを忘れるわけにはいかない。李大統領の竹島(独島)訪問は、その背景に日本軍元「慰安婦」問題がある。昨年夏に韓国の憲法裁判所で出された判決に基づいて、昨年末、京都での首脳会談で李大統領が元「慰安婦」問題についての協議をもちかけたにもかかわらず、野田首相が正面から応えようとしなかったことが要因といわれる。李大統領は竹島(独島)訪問後の8月15日の光復節演説でも、日本に対し日本軍元「慰安婦」問題の「責任ある措置」を求めている。

これ、日本人の声明ですよね。まるで、中国人か韓国人の魂が憑いているかのような言葉が次から次に出てきます。

まず、日本の近代史をアジア侵略の歴史としてとらえるのは一面的に過ぎます。もう少し強く言えば、知的な怠惰もほどほどにしなさいと苦言を呈したくなってきます。

日本近代史を理解するうえでの大きなポイントは、第二次世界大戦以前の世界において、植民地支配は絶対悪とはされていなかったということです。さらに、第一次世界大戦以前は、「力は正義なり」の帝国主義が国際社会の常識であったことです。戦争それ自体を悪とする国際常識は、皆無であったとまでは言いませんが、少なくとも支配的なものではなかったのです。わが先人たちは、明治維新を経て、欧米列強の圧倒的な軍事力を背景にした帝国主義の凄まじい風圧の中、近代的な独立国家たらんとして、不平等条約の手枷足枷を嵌められたまま「日本丸」という小舟を漕ぎ出したのです。そのことへの想像力をできうる限り豊かにしなければ、歴史はその本当の姿を我々の前に現してはくれません。我々の後知恵・戦後日本のお気楽な倫理観を安易に歴史に投影し、先人たちの国民国家としての生き残りを賭けた振る舞いの集積を「とにかく侵略戦争をして中韓を植民地にしたからダメ」などと断罪するのは決して許されることではありません。これは、日本の過去を美化することとは一線を画す、歴史に臨むときの基本作法なのです。

日本の近代史をアジア侵略の歴史としてとらえる歴史観がわれわれ日本人を強くとらえるようになったのは、東京極東軍事裁判でのA級戦犯たちに対する判決をわれわれが心情的になんとなく正しいものとして受容してからのことでしょう。いわゆる自虐史観ですね。東京裁判の内容を調べれば調べるほどに、その本質が、裁判に名を借りた、初めに結論ありきの、戦勝国の敗戦国の指導者たちへのリンチ・問答無用の暴力的制裁以外の何者でもないことが分かってきます。(覇権国家アメリカの立場からすれば、東京裁判を、国際安全保障体制の、戦勝国による再構築として評価できる理性的な側面はありますが)だから、A級戦犯たちに対する戦勝国による諸判決をわれわれ敗戦者としての日本人が正当なものとして受け入れる条理など基本的にはありえないのです。それはあまりにも自虐的に過ぎます。「勝てば官軍」という当時の日本国民の、GHQ主導の検閲体制の表層に現れることのなかった感慨は的を射たものだったのです。この裁判を主導したマッカーサーでさえ、後に「東京裁判は誤りだった」と述べたほどなのです。おそらく彼は、誇り高い軍人として、フェアでないものを主導してしまったことの後味の悪さを味わったのでしょう。私は、そう思っています。

どうやら、この知的に不誠実でレベルの低い勧善懲悪史観に、この声明を発信した人たちの頭は支配されてしまっているようなのです。それでは、マトモな判断はできません。

従軍慰安婦問題。厄介な問題です。これは、元陸軍軍人・吉田清治の、従軍慰安婦の軍による強制連行デッチ上げ本・数々の虚言・東アジアを股にかけたデマのまき散らしに端を発します。そのことは、歴史的にすでに明らかになっています。また、何より本人がそのことを認めているのです。このデマの広告塔の役割を担ってきた朝日新聞でさえ吉田清治の証言の虚偽性を否定しえていません。

また、従軍慰安婦に対する日本軍による強制連行を認めた1993年のいわゆる河野談話には、それを裏付ける公文書がまったくなかったことも判明しています。当時の副官房長官・石原信雄氏は産経新聞のインタビューに「随分探したが、日本側のデーターには強制連行を裏付けるものはない。慰安婦募集の文書や担当者の証言にも、強制にあたるものはなかった」と実直な実務家肌の官僚としていささか残念そうに答えました(97年3月9日産経新聞)。河野官房長官は、文書的裏付けのまったくない、政治的判断のみによって強制連行を公的に認めてしまったわけです。

つまり、現段階で資料的には、「従軍慰安婦問題は存在しない」としか言いようがないのです。これから新たに資料が出てくることも、巧妙な、誰にもバレないデッチ上げでもしないかぎり、おそらくないでしょう。だから日本政府は、周到に準備をしたうえで、河野談話の破棄を世界に向けて発信すべきです。そうすることで従軍慰安婦問題に対する日本政府のスタンスの取り直しを韓国に印象付けることができるかどうかが、これからの日韓外交の大きなポイントになってくると私は考えます。

河野談話でどれほど日本の威信が傷つけられたことか、それを思うと私はため息が出てきます。経済国家・日本は、国益というと経済的な利益のことにばかり頭が行くのではありますが、実は、国家としての威信も十分に国益であり、さらにいえば国益の核を成すものであるとさえ言い得ると私は考えています。つまり、対外的イメージ・ダウンは、総合安全保障の観点から明らかなマイナスなのです。というのは、それによって諸外国からなにかと舐められるようになるし、国家としての発言力も品格も低下するし、信用を失うし、それらを回復するには膨大な時間がかかってしまうからです。そのことは、経済にも大きな影響があるものと思われます。社会的な信用を失った会社が営業不振に陥る例は枚挙に暇がありませんね。国家にも暖簾(のれん)があるということです。

上記の声明が、従軍慰安婦問題に関していかに寝惚けたことを言っているか、さらには、どれほど深く日本の国益を害する志向性を内在させたものであるのか、お分かりいただけたでしょうか。コスモポリタンを気取りながら、その本質には、実は日本国家破壊の衝動という猛毒が潜んでいるのです。特に若い方は、この手の理想主義あるいは良心派めかした物言いに、うかうかとダマされやすいので気をつけてください。私自身、若い頃にうかうかとダマされた口なので、そう思うのです。

日本の竹島(独島)編入は日露戦争中の1905年2月、韓国(当時大韓帝国)の植民地化を進め、すでに外交権も奪いつつあった中でのものであった。韓国民にとっては、単なる「島」ではなく、侵略と植民地支配の起点であり、その象徴である。そのことを日本人は理解しなければならない。

韓国人が、竹島の実効支配を自己正当化するためにそういうことを言うのだったらまだ理解できますが、日本人が領土を実効支配された状態にある自国民に対して「韓国民にとっては、(竹島は)単なる「島」ではなく、侵略と植民地支配の起点であり、その象徴である。そのことを日本人は理解しなければならない。」などと力説するのは私の理解力を超えています。いささか気味が悪くさえなってくるこの発言をあえて冷静に受けとめると、現実的には要するに「日本は昔韓国領土を散々侵略した悪者なのだから、今度は韓国から竹島などという猫の額のような領土を侵略し返されたとしても文句が言えた筋合いではない。我慢しろ。あくまでも初めに侵略した日本が悪いのだ。悔い改めよ」と自国民に対して言っていることになるでしょう。これではまるで「目には目を」を是認するハムラビ法典の世界ですね。

戦後日本では、これが「良心的」であり「進歩的」でありさらには「知的」な態度であると称されてきた歴史があります。世界広しといえども、こういう奇妙な現象がまかり通っているのはおそらく日本だけでしょう。言葉を変えて言うと、利敵行為を堂々とすればするほど、売国奴として胸を張れば張るほど、「良心的」であり「進歩的」であり「知的」であると称される現象は、おそらく他の国の人々には理解できないのではないでしょうか。私見によれば、この珍現象には、「自由」「平等」「人権」などの民主主義の基本タームが、反権力・反国家の左翼的情念のはけ口として悪用されてきた戦後日本の特殊事情が深く絡んでいます。この病んだ精神風土を改善するには、主権概念を足がかりに民主主義の理念を鍛え直す必要があるのではないか、と私は度々申し上げてきました。この鍛え直しのプロセスには、日本の歴史や人間存在についての深い洞察に基づく憲法改正の営みが当然のことながら伴います。

憲法改正は、国生みの営為として国民精神に深く内在したものであると同時に、新たな国家像を世界に向けて発信する営為として人類史の流れのなかに位置づけられるものでもあります。そういう二重性においてとらえなければ、その作業は、戦後レジームに対する単なる反動形成に終わる危険性があると私は考えています。

また尖閣諸島(「釣魚島」=中国名・「釣魚台」=台湾名)も日清戦争の帰趨が見えた1895年1月に日本領土に組み入れられ、その3カ月後の下関条約で台湾、澎湖島が日本の植民地となった。いずれも、韓国、中国(当時清)が、もっとも弱く、外交的主張が不可能であった中での領有であった。

日清戦争の本質は、朝鮮半島をめぐっての、旧世界の秩序の中心としての宗主国清と対等な主権国家によって構成される近代世界への仲間入りを国是とする新興国日本との主導権争いです。違った言い方をするならば、不可避的な「文明の衝突」なのです。この観点を外した日清戦争観は、歴史観としてどうしようもなくレベルが低いものであると断じざるをえません。だから、「いずれも、韓国、中国(当時清)が、もっとも弱く、外交的主張が不可能であった中での領有であった」という言い方は、領土問題を抱えた相手国のポジション・トークとしては理解できますが、そこには、歴史の真相・本質を見据える透徹した視線が欠如していると言うより他はありません。ましてや、領土問題をめぐって、主権と主権とがぶつかり合っている一方の当事者の物言いとしては、それは主権者意識が致命的に欠如した寝言であると断じざるをえません。

3、日中関係でいえば、今年は国交正常化40年であり、多くの友好行事が計画・準備されていた。友好を紛争に転じた原因は、石原都知事の尖閣購入宣言とそれを契機とした日本政府の国有化方針にある。これは、中国にとってみると、国交正常化以来の、領土問題を「棚上げする」という暗黙の「合意」に違反した、いわば「挑発」と映っても不思議ではない。この都知事の行動への日本国内の批判は弱かったといわざるをえない。(なお、野田政権が国有化方針を発表したのは7月7日であった。この日は、日本が中国侵略を本格化した盧溝橋事件(1937年)の日であり、中国では「7.7事変」と呼び、人々が決して忘れることのできない日付であることを想起すべきである)

どうでしょう。これを虚心に読めば、中共の代弁者の言葉としか受けとめられないのではありませんか。あるいは、大陸からの遠隔操作で中共が日本人の口を借りて物を言っていると解釈するよりほかないのではありませんか。だってね、ここでこの声明は「中国が領土・領海侵犯行為をするのも、理性を失っているとしか思えないような乱暴狼藉を伴った過激な反日デモが中国各地で起こるのも、すべて日本に原因がある。すべては日本が悪い。中国は全然悪くない」と言っているわけですからね。なんだか親中・媚中の意図が素朴すぎるほどに滲み出していて、苦笑したくなってもきます。これを聞いて中国が喜ぶのは当たり前のことです。しかし、ごく普通の日本国民が、これを聞いて納得することはおそらくないでしょう。むしろ「何を馬鹿言ってるんだ」と腹を立てられるのがオチでしょう。むろん、それはまともで自然な反応です。

4、領土問題はどの国のナショナリズムをも揺り動かす。国内の矛盾のはけ口として、権力者によって利用されるのはそのためである。一方の行動が、他方の行動を誘発し、それが次々にエスカレートして、やがて武力衝突などコントロール不能な事態に発展する危険性も否定できない。私たちはいかなる暴力の行使にも反対し、平和的な対話による問題の解決を主張する。それぞれの国の政治とメディアは、自国のナショナリズムを抑制し、冷静に対処する責任がある。悪循環に陥りつつあるときこそ、それを止め、歴史を振り返り、冷静さを呼びかけるメディアの役割は、いよいよ重要になる。

これを読んでいると「どっちを向いて物を言っているんだ。そういうことなら、海の向こうをめがけて言ってくれ」と言いたくなってきます。特に最初の「領土問題はどの国のナショナリズムをも揺り動かす。国内の矛盾のはけ口として、権力者によって利用されるのはそのためである」という批判は、日本にはまったくあてはまりません。中共がそういうことをしている、という批判なら分かりますけれどね。

中国は、強引な経済成長政策による国民間の経済格差の拡大・経済成長率の鈍化・バブル崩壊現象の進展によって、いまや一般国民の中央政府に対する不満が相当に高まっています。それをガス抜きするために、中共が今回の過激な反日デモを国民に対して許したという側面があります。当局がデモへの参加者たちに日当まで支払っているというではありませんか。


www.jasnaoe.or.jp/k-senior/2010/100916-kaiyuu-okamoto.html より転載

また中共は、その反日の機運を西太平洋への軍事力の全面展開に向けての第一列島線の形成に利用してもいます。その場合、台湾と尖閣諸島の領有が最大のポイントになります。つまり、尖閣問題について中共は日本に対して譲る気などまったくないのです。それどころか、尖閣諸島の実効支配を実現した後、第二列島線に関わる重要なポイントとして沖縄の実効支配の実現が政治的な日程に載ることになっているようです。さすがは中共、考えることのスケールがでかいですね。上の図は、その概略図です。中国大陸沿岸により近い第一列島線の、中国から見てその内側に尖閣諸島がすっぽりと入ってしまっています。彼らからすれば、尖閣諸島などすでに実効支配していなければならない領域なのです。日本政府の国有化の動きの有無に関わりなく、中国は尖閣諸島の実効支配に向けて、遅からずなんらかのアクションを起こしたことでしょう。ヤクザが因縁をつけるにも、頃合ってものがあるでしょう。野田首相がちょうどいいタイミングで国有化してくれたので、安心して因縁をつけまくったというわけです。今回は、まだまだ序の口ですけれどね。

この声明は、相手国にいうべきことを自国に対して言うことで、事態を混ぜっ返し、いたずらに混乱を招こうとしていると断じるよりほかありません。「それぞれの国の政治とメディアは、自国のナショナリズムを抑制し、冷静に対処する責任がある。」こんなトボけた言い草で、平静な精神状態をゆるぎなく保持している自国民に対して偉そうに教え諭そうとする声明の発信者たちの神経がどうなっているのか、私には理解できません。それとも、いまのままでは中国に悪者のイメージが定着してしまいかねないことを憂慮して、親中勢力が中国に主張すべきことを自国に対して主張するという奇策を弄した、ということなのでしょうかね。とすれば、ご苦労さんなことですな。

5、「領土」に関しては、「協議」「対話」を行なう以外にない。そのために、日本は「(尖閣諸島に)領土問題は存在しない」といった虚構の認識を改めるべきである。誰の目にも、「領土問題」「領土紛争」は存在している。この存在を認めなければ協議、交渉に入ることもできない。また「固有の領土」という概念も、いずれの側にとっても、本来ありえない概念といわなければならない。

「日本は「(尖閣諸島に)領土問題は存在しない」といった虚構の認識を改めるべき」ことと「「固有の領土」という概念も、いずれの側にとっても、本来ありえない概念」という声明の主張については、まったくそのとおりであると申し上げるよりほかはない。日本政府が「固有の領土」 という言葉にしがみつきたがるのはみっともないし、国際社会ではあまり説得力を持たない論の立て方であるとも私は感じています。国際法上の領土という概念は、「固有の領土」という考え方を含みませんしね。だって、そういう意味合いを含んでしまったら、「固有」合戦が惹起して、国際政治が紛糾状態に陥るでしょうからね。いやあ、声明もたまにはいいことを言う、と思います。しかしながら、だからと言って、「「協議」「対話」を行う以外にない」という、声明が導き出したがっている結論は、到底是認できません。

領土問題の本質は、前回申し上げたように、主権と主権とのぶつかり合いです。この場合の主権とは、統治権という意味です。さらに、統治権とは強制力を持った国家権力そのものという意味です。これが主権の内実を備えるためには対外的独立性が保たれなければなりません。今私が述べたことは近代主権国家としての根幹を成します。だから、ぶつかり合おうとどうしようと双方ともに譲るわけにはどうしてもいかないわけです。ここで、それを解決するのは外交よりほかはありません。

では、外交とはなんでしょうか。それは、主権国家が国益の最大化を図るために行う諸活動のことである、とするとまず異論は出ないでしょう。

さらに、国益とはなにかと、問おてみましょう。私はこれを総合安全保障の観点からプラスに作用する一切合切、という意味で使っています。専門的にはどう定義されるのかは分かりませんけれど。Wikipediaによれば、1960年以降は、national interest の訳語として使われるようになったそうで、私の使い方もおのずとそれに沿ったものになっているように感じます。だから、とりあえずこれでよしとさせていただきます。

ここまでの話をまとめると、領土問題とは主権と主権とのぶつかり合いである。主権が排他的で独立したものであることを本質とする以上、領土問題で譲ることはありえない。それを解決するのは外交である。そうして、外交とは、総合安全保障の観点からプラスに作用する一切合切の最大化、すなわち国益の最大化を図るために行う諸活動である。となります。

とするならば、「協議」「対話」が外交の一側面にほかならないことなど自明ではありませんか。外交のあり方が「協議」「対話」で済むかどうかは相手の出方次第であるというよりほかはないでしょう。はっきり言ってしまえば、日本のこれまでの対中韓・過配慮外交は、「協議」「対話」路線の典型のようなものでした。今回の領土問題の先鋭化は、日本の「協議」「対話」路線の限界を示す事態である、と認識すべきです。そういう局面で、「協議」「対話」の重要性を強調するのは、的外れもはなはだしいと断じるよりほかはありません。意味のないことをがなり立てるのは、バカのすることです。

蛇足ながら。さきほど「国益」は現在においてnational interest の訳語として使われるようになっていると申し上げました。interestには「利益」という意味のほかに「興味・関心」という意味もあります。だから、national interestを「国民的興味・関心」と訳すことはそれほど奇異なことではないと思われます。とするならば、国益には、国民が強い関心を抱く事がらについて政府が誠意を持って全力で取り組み解決を図るという意味合いが含まれていることになるでしょう。つまり、国益概念には、国民の政府に対する基本的信頼感という意味が内包されていると言い得ましょう。私見によれば、それが国力の核をなします。

これでやっと〔5〕まで終わりました。続きは次回に。お見捨てなきよう。

*****

続けましょう。今回で終わらせますので、お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

6、少なくとも協議、交渉の間は、現状は維持されるべきであり、互いに挑発的な行動を抑制することが必要である。この問題にかかわる基本的なルール、行動規範を作るべきである。台湾の馬英九総統は、8月5日、「東シナ海平和イニシアティブ」を発表した。自らを抑制して対立をエスカレートしない、争いを棚上げして、対話のチャンネルを放棄しない、コンセンサスを求め、東シナ海における行動基準を定める――など、きわめて冷静で合理的な提案である。こうした声をもっと広げ、強めるべきである。

この声明の発信者たちの頭のなかには、一体どんな東アジア情勢がインプットされているのでしょうか。彼らは、中共の軍拡路線と、近年における中共勢力の、スプラトリー(南沙)諸島・パラセル(西沙)諸島そうして尖閣諸島をめぐるアグレッシブな行動の数々から、西太平洋全域における制海権拡大への中共の不退転の意志を読み取ることができないのでしょうか。私には、特別な情報を入手するルートがあるわけではありません。しかしながら、新聞・雑誌・インターネットからもたらされる情報から、中共のそのような強い意志を読み取らざるをえないのです。

ひとつだけ例をあげましょう。2020年までに中共が達成するつもりでいる制海権の領域の境界を示す第二列島線の内側には、なんとグアムが入っているのです。グアムは、沖縄と並ぶ西太平洋地域におけるアメリカの重要な軍事拠点ですね。つまり中国は、アメリカの覇権に本気で挑戦しようとしているのです。言い忘れましたが、沖縄ももちろん中共の想定する制海権域に入っています(私は、それをドン・キホーテじみた試みと思っています)。

だから、中共にとって、尖閣諸島の実効支配は最終目標ではなく、西太平洋での広域制海権を確保するためのファースト・ステップでしかないのです。それゆえ、尖閣問題に関して中共が日本に対して「協議」「対話」で譲歩する可能性は全くありません。国内的にも、それは許されないでしょう。「反日デモ」で過激な行動に打って出た連中がそれを黙って見ているはずがありませんから。その動きを権力闘争に利用しようとする党首脳も必ず出てくるでしょうし。

中共は、領土をめぐる「協議」「対話」のテーブルに日本を就かせ、譲歩・妥協を引き出そうとしているのでしょう。そうしてそれを、さらなる強硬な行動の足がかりにするつもりなのでしょう。

以上をふまえると、声明の「少なくとも協議、交渉の間は、現状は維持されるべきであり、互いに挑発的な行動を抑制することが必要である」などという言い草は、中共を利するための中共に成り代わってのポジション・トーク以外の何者でもないことがくっきりと浮かび上がってくるのではありませんか。

そもそも声明の、外交という言葉に「協議」「対話」のみを読み込もうとする態度そのものが問題です。外交交渉が、経済力や軍事力を背景にしてなされるものであることは常識です。交渉の相手があまりにもご無体な態度を取り続ける場合、経済制裁やさらには軍事力の行使を辞さいないという姿勢を示すことで、「協議」「対話」を進めるのは当たり前のことです。尖閣問題などという、日本からすれば理不尽で厄介な問題を一方的にふっかけてくる相手と外交交渉に臨む場合はなおさらそうです。舐め切った相手の言うことなどまともに聞こうとしないのは当たり前のことではないですか。

「外交」からことさらに経済力や軍事力という背景を排除しようとする傾向は、戦後日本に特有のものでしょう。世界広しといえども、そういう空想的なことを大真面目になっていい大人がまくし立てる国はおそらく戦後日本だけではないかと思われます。それは、とても恥ずかしくてチンケなことであると、この声明の発信者たち以外の日本人はそろそろ気づき始めていると私は感じています。

台湾の「東シナ海平和イニシアティブ」に対しては、普通の日本人も日本政府もまったく文句がないでしょう。この声明の発信者は、「中共は台湾に学べ」と率直に名指しで言いなさいって。それができない限り、「こうした声をもっと広げ、強めるべき」という声明の提案には何の意味もありません。もっとも、この声明の発信者たちがそうしたからといって、中共は歯牙にもかけないでしょう。なぜなら、中共にとって台湾は200%領有の対象でしかないからです。絶対に領有しようと思っている国の外交路線を中共が許容するはずがないではありませんか。

7、尖閣諸島とその周辺海域は、古来、台湾と沖縄など周辺漁民たちが漁をし、交流してきた生活の場であり、生産の海である。台湾と沖縄の漁民たちは、尖閣諸島が国家間の争いの焦点になることを望んでいない。私たちは、これら生活者の声を尊重すべきである。

尖閣諸島。手前から南小島、北小島、向こうが魚釣島。

私は、ここを読んでまたもや目が点になりました。国家主権がゆるぎなく確立されていない海域で漁民たちが安心して操業できるわけがないでしょう。石垣島と尖閣諸島の間の海域は危なっかしくて近寄れないので、日本の漁船はあきらめて別の場所で漁をしているというのが現状です。「安心して安全操業ができるよ うにしてほしい」という日本漁民の切実な思いに対して、日本政府が具体的な措置を講じない限り、彼らが安心することなどありえません。

具体的な措置とは、船舶が安全に航行できるよう尖閣諸島に灯台や避難できる港を整備することや、海上保安庁の体制強化やさらには自衛隊が領海の警備にあたるよう法整備を図ることなどを通じて、連日のように領海侵犯をし続けている中国公船(海洋巡視船や漁業監視船など)を強制排除できる体制を整えることです。

そうした一切を「挑発的な行動を抑制することが必要」などといって、外交から排除してかかろうとする声明に、沖縄の漁民の安心・安全を語る資格はありません。

8、日本は、自らの歴史問題(近代における近隣諸国への侵略)について認識し、反省し、それを誠実に表明することが何より重要である。これまで近隣諸国との間で結ばれた「日中共同声明」(1972)「日中平和友好条約」(1978)、あるいは「日韓パートナーシップ宣言」(1998)、「日朝平壌宣言」(2002)などを尊重し、また歴史認識をめぐって自ら発した「河野官房長官談話」(1993)「村山首相談話」(1995)「菅首相談話」(2010)などを再確認し、近隣との和解、友好、協力に向けた方向をより深めていく姿勢を示すべきである。また日韓、日中の政府間、あるいは民間で行われた歴史共同研究の成果や、日韓関係については、1910年の「韓国併合条約」の無効を訴えた「日韓知識人共同声明」(2010)も、改めて確認される必要がある。

1972年に田中角栄首相と周恩来国務院総理との間で合意した「日中共同宣言」に「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」という文言があります。

また、1998年に小渕首相と金大中大統領との間で合意した「日韓パートナーシップ宣言」には「 小渕総理大臣は、今世紀の日韓両国関係を回顧し、我が国が過去の一時期韓国国民に対し植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受けとめ、これに対し、痛切な反省と心からのお詫びを述べた」という文言があります。

さらに、2002年に小泉首相と金正日総書記との間で合意した「日朝平壌宣言」のなかに「日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した。」という文言があります。

この声明の発信者に「日本は、自らの歴史問題(近代における近隣諸国への侵略)について認識し、反省し、それを誠実に表明することが何より重要である」と諭されるまでもなく、日本政府は、これまでずっと中国・韓国・北朝鮮に対して配慮外交・お詫び外交・土下座外交を展開してきました。そのほかの一連の「談話」も、その路線を踏襲するものであったことは言うまでもありません。

今回の竹島問題と尖閣諸島問題の先鋭化・両国との関係の行き詰まりは、日本のこれまでの対東アジア外交路線が無効であること、いいかえれば、経済力や軍事力などの実効力と切り離され「対話」「協議」のみに特化された過度の配慮外交が外交としての普遍性を著しく欠いたものであることを明らかにしました。日本は、自分をだましだまししながら、ぼんやりとした浅い夢を見ていたようなものだったのです。そのことに、ごく普通の日本人が今回のことをきっかけに(声明の発信者にとっては残念なことながら)気づいてしまったのです。「半歩下がって譲れば丸く収まるわけではないのだな。かえって相手を増長させてしまうだけだったのだな。舐められるだけだったのだな」というふうに。

この期に及んで、また同じことをしろという声明の提案は、到底飲めるものではありません。

「日韓知識人共同声明」なるものが存在することは今回はじめて知りました。正式に国家間で締結・承認・批准された条約を無効とするなんて、これは国際法無視・言語道断の声明ですね。恥ずかしげもなく「知識人」などと名乗ってほしくありません。おそらく、この声明を発信した連中は「軍事力を背景にした外交は真の外交の名に値しない」などという戦後平和主義の迷夢に脳をやられてしまっているのでしょう。

9、こうした争いのある「領土」周辺の資源については、共同開発、共同利用以外にはありえない。主権は分割出来ないが、漁業を含む資源については共同で開発し管理し分配することが出来る。主権をめぐって衝突するのではなく、資源を分かち合い、利益を共有するための対話、協議をすべきである。私たちは、領土ナショナリズムを引き起こす紛争の種を、地域協力の核に転じなければならない。

竹島。軍事施設を作り、実効支配を可視化・既成事実化している韓国は主権国家としてエライ。そこは日本も学ぶべき。

竹島の共同管理を主張する橋下徹・大阪市長ならば、この意見に両手(もろて)をあげて賛成することでしょう。その橋下市長ですが、この発言以来、彼が主宰する日本維新の会は、大幅に支持率を下げています。彼は、国益の本質を分かっていないのでしょう。前回の最後で私は、「国益には、国民が強い関心を抱く事がらについて政府が誠意を持って全力で取り組み解決を図るという意味合いが含まれている」と申し上げました。そこが橋下さんは、現段階ではどうしても分からないのでしょう。力のある人なのですから、もっと物を深く考え、政治家として、人間としてさらに成長してほしいものです。

この声明の発信者たちも、国益の本質をまったく理解できないし、国民感情を尊重する精神的な構えができていないし、どうしようもありません。

10、こうした近隣諸国との葛藤を口実にした日米安保の強化、新垂直離着陸輸送機オスプレイ配備など、沖縄へのさらなる負担の増加をすべきでない。

前回も今回も、中共が、本気でアメリカの覇権に挑もうとしていると申し上げました。中共は、西太平洋を制覇する可能性を真剣に模索しはじめています。それは、私からすれば無謀なドン・キホーテの試みのように感じられますが、中共からすれば、中華帝国再興のDNAに素直に従っているだけのことなのかもしれません。また、西太平洋に眠る石油・天然ガスなどの豊富な海底資源の獲得が高度経済成長を続けるには必要だと思っているのかもしれません。

理由の如何を問わず、その動きをアメリカが許すことなどありえません。覇権国がみすみす覇権を放棄するはずがありませんから。それは、覇権国の自己否定を意味しますので、ありえないことなのです。だから、日本がどれほど反対しようとオスプレイは配備されるし、ラプターやF35などの最新兵器も大胆に導入されるのです。それが、世界の現実です(といいつつも、私は沖縄の人々に対してしのびない思いを禁じえません)。

そのことと、アメリカの軍事力が中共にとって最大の脅威であり続けている現状を踏まえ、また、中共が本気で日本の領土・領海を侵犯しようとしている現実を直視するならば、いまの日本は日米同盟の強化という道を歩むほかないと私は考えます。それが、日本の属国化を進めるかどうかは、私たちの心持ち次第なのではないでしょうか。「尖閣は結局アメリカが守ってくれるから大丈夫さ」というのは最悪の構えであることはいうまでもありません。あくまでも自分の国は自分で守るという気概があっての日米同盟関係であることを、私たち日本人は肝に銘じるべきです。私たちは、沖縄の人々の犠牲の上に安全保障体制を構想せざるをえない現状を直視すべきなのです。その犠牲を軽減しようと本気で考えるのならば、憲法9条を改正して専守防衛から脱却し、自前での安全保障体制の全貌の構想を可能とする法的整備をすることがぜひとも必要となります。

11、最後に、私たちは「領土」をめぐり、政府間だけでなく、日・中・韓・沖・台の民間レベルで、互いに誠意と信義を重んじる未来志向の対話の仕組みを作ることを提案する。

領土問題を解決できるのは、国家主権を行使する政府だけです。日・中・韓の民間人が集まって和気気藹々としたからといって、領土問題が解決される可能性は万に一つもありません。この提案も、戦後民主主義の残夢を見ている連中の寝言の一種なのでしょう。「国家の枠を超えた地球市民がすべてを解決する」とかなんとか。バカはもうよして欲しい。私は、三年間の反日バカ左翼民主党政権から、貴重な教訓をひとつ骨身に沁みるようにして学びました。それは、「ソフトな物言いは、血も涙もない思想を隠し持っている」ということです。

長々とおつきあいいただきましてありがとうございます。

〔追記〕

私は本論で、日本が竹島・尖閣諸島の領有を正当化する根拠について一切言及しませんでした。それを不満に思われる方もいらっしゃるかもしれません。

しかしながら、相手国がそれに納得しない、あるいはそれに理を認めても素直に従おうとしないから、領土問題が起きるのではないかと私は考えます。 そこで私は「領土問題の本質は主権と主権のぶつかり合いである」という認識を議論の出発点にしました。とするならば、双方の領有をめぐる正当性の議論に言及する必要はないと思ったのです。

むろん私は、日本側の領有の議論を正当であると確信しています。それを確信できなければ当論は成り立ちません。盗人のたわごとになってしまいます。それを一言いっておくのを忘れました。それがどういうものであるかについては、Wikipedia等できちんと述べられていますので、興味のある方は検索してご覧下さい。

ja.wikipedia.org/wiki/%e5%b0%96%e9%96%a3%e8%ab%b8%e5%b3%b6%e5%95%8f%e9%a1%8c 尖閣諸島問題
ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%B3%B6_(%E5%B3%B6%E6%A0%B9%E7%9C%8C) 竹島問題

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