まずは、次の記事をごらんください。
中国船が接続水域外へ
2012.12.18 11:40 [尖閣諸島問題] msnニュース
沖縄県・尖閣諸島周辺の領海外側にある接続水域を航行していた中国海洋監視船3隻と漁業監視船1隻は17日午後6時40分ごろまでにすべて接続水域を出た。第11管区海上保安本部(那覇)が18日、明らかにした。
11管によると、中国当局の船は11日から7日連続で尖閣諸島周辺の接続水域内を航行しているのが確認されていた。
接続水域の外に出たのは海洋監視船「海監50」「海監110」「海監111」の3隻と漁業監視船「漁政206」。巡視船などが、その後も監視・警戒を続けている。
「安倍効果」が対外面においても発揮されているようです。私はここに、「抑止力」の原点を垣間見る思いがします。「ヘタなことはできないぞ」という警戒心を相手に抱かせることが、「抑止力」の核心を成しているのではないでしょうか。
強面を作って鉄砲をずらっと並べることだけが抑止力の増強ではないのです。それは抑止力の現象面に過ぎません。私たちはどうやら、「領土問題を抱えている相手国に対して毅然とした態度をとることは戦争につながる」、という臆病な幻想を捨て去る時期に来ているようです。
勇気は余裕を生みます。余裕は、不測の事態に対処する余地をもたらします。そこに、鍛え上げられたリアリズムが生じることになりましょう。しかるに、蛮勇は臆病の裏返しに過ぎません。臆病は、針小棒大の妄想を掻き立てるだけです。そこに生まれてくるのは、力は正義なりというずぶずぶのクソ・リアリズムか、足場のしっかりしていないふわふわとしたアイデアリズムだけです。安倍さんに、蛮勇や臆病さとは異なる、リアリスティックな勇気を感じるのは私だけではないでしょう。つまり、静かなるリアルな勇気こそが「抑止力」の核を成している、と言い直したほうがよいのかもしれません。
それは、平和をリアルに愛する国民が腹の底に持つべきものでもあるのではないでしょうか。「抑止力」とは、平和を創出するための現実的な努力の集積によって生み出されるものである、とさらに言い直してみたいと思います。そういう努力を積み重ねるプロセスにおいて、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」(憲法前文)する余地などどこにもないことは、申し添えておきたいと思います。寝言や空想からは、平和は生まれてきません。これまで呑気に寝言や空想にふけっていられたのは、日本がアメリカの軍事的な秩序に組み込まれていたからにほかなりません。それが、周辺諸国にとっては、リアルに大きな抑止力だったのです。それが証拠に、日米同盟関係に「トラスト・ミー」と「友愛の海」の虚言によって亀裂が生じた途端に、中国・ロシア・韓国との間に事実上の領土問題が先鋭化された形で生じたではありませんか。
つまり、アメリカが日本の抑止力の事実上の担い手だったので、われわれ戦後の日本人の多くは、抑止力なるものを自分に引き寄せてマジメに考えてこなかったのです。
しかし、そういう「幸福な」時代は完全に終りを告げようとしています。たとえ、日米同盟が安倍さんのおかげで修復できたとしても、それは三年三ヶ月前とまったく同じものとはならないでしょう。日本もそうですが、アメリカもまた不況の泥沼からまだ抜け出すことができていないからです。いまのアメリカに、他人の面倒まで見ている余裕は、実のところないのです。
だから、日本は抑止力とは何かについて自力で考え抜くことが今後はどうしても必要になってきます。それは、ごく普通の国家ならごく普通にやっていることです。それを日本も抜き差しならない形でやるべき時を迎えているだけのこと、と言ってもいいでしょう。
しかしわれわれは、無から有を生むようにして、それを考案するには及ばないのではないでしょうか。冒頭の記事に触れたように、現実の動きを虚心に注意深くしかも鋭敏に観察すれば、それを考えるヒントはちゃんとあるのです。
漠然とですが、それは、思想の新しいフィールドが広がり始めていることをも意味するような気がしています。
中国船が接続水域外へ
2012.12.18 11:40 [尖閣諸島問題] msnニュース
沖縄県・尖閣諸島周辺の領海外側にある接続水域を航行していた中国海洋監視船3隻と漁業監視船1隻は17日午後6時40分ごろまでにすべて接続水域を出た。第11管区海上保安本部(那覇)が18日、明らかにした。
11管によると、中国当局の船は11日から7日連続で尖閣諸島周辺の接続水域内を航行しているのが確認されていた。
接続水域の外に出たのは海洋監視船「海監50」「海監110」「海監111」の3隻と漁業監視船「漁政206」。巡視船などが、その後も監視・警戒を続けている。
「安倍効果」が対外面においても発揮されているようです。私はここに、「抑止力」の原点を垣間見る思いがします。「ヘタなことはできないぞ」という警戒心を相手に抱かせることが、「抑止力」の核心を成しているのではないでしょうか。
強面を作って鉄砲をずらっと並べることだけが抑止力の増強ではないのです。それは抑止力の現象面に過ぎません。私たちはどうやら、「領土問題を抱えている相手国に対して毅然とした態度をとることは戦争につながる」、という臆病な幻想を捨て去る時期に来ているようです。
勇気は余裕を生みます。余裕は、不測の事態に対処する余地をもたらします。そこに、鍛え上げられたリアリズムが生じることになりましょう。しかるに、蛮勇は臆病の裏返しに過ぎません。臆病は、針小棒大の妄想を掻き立てるだけです。そこに生まれてくるのは、力は正義なりというずぶずぶのクソ・リアリズムか、足場のしっかりしていないふわふわとしたアイデアリズムだけです。安倍さんに、蛮勇や臆病さとは異なる、リアリスティックな勇気を感じるのは私だけではないでしょう。つまり、静かなるリアルな勇気こそが「抑止力」の核を成している、と言い直したほうがよいのかもしれません。
それは、平和をリアルに愛する国民が腹の底に持つべきものでもあるのではないでしょうか。「抑止力」とは、平和を創出するための現実的な努力の集積によって生み出されるものである、とさらに言い直してみたいと思います。そういう努力を積み重ねるプロセスにおいて、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」(憲法前文)する余地などどこにもないことは、申し添えておきたいと思います。寝言や空想からは、平和は生まれてきません。これまで呑気に寝言や空想にふけっていられたのは、日本がアメリカの軍事的な秩序に組み込まれていたからにほかなりません。それが、周辺諸国にとっては、リアルに大きな抑止力だったのです。それが証拠に、日米同盟関係に「トラスト・ミー」と「友愛の海」の虚言によって亀裂が生じた途端に、中国・ロシア・韓国との間に事実上の領土問題が先鋭化された形で生じたではありませんか。
つまり、アメリカが日本の抑止力の事実上の担い手だったので、われわれ戦後の日本人の多くは、抑止力なるものを自分に引き寄せてマジメに考えてこなかったのです。
しかし、そういう「幸福な」時代は完全に終りを告げようとしています。たとえ、日米同盟が安倍さんのおかげで修復できたとしても、それは三年三ヶ月前とまったく同じものとはならないでしょう。日本もそうですが、アメリカもまた不況の泥沼からまだ抜け出すことができていないからです。いまのアメリカに、他人の面倒まで見ている余裕は、実のところないのです。
だから、日本は抑止力とは何かについて自力で考え抜くことが今後はどうしても必要になってきます。それは、ごく普通の国家ならごく普通にやっていることです。それを日本も抜き差しならない形でやるべき時を迎えているだけのこと、と言ってもいいでしょう。
しかしわれわれは、無から有を生むようにして、それを考案するには及ばないのではないでしょうか。冒頭の記事に触れたように、現実の動きを虚心に注意深くしかも鋭敏に観察すれば、それを考えるヒントはちゃんとあるのです。
漠然とですが、それは、思想の新しいフィールドが広がり始めていることをも意味するような気がしています。
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