ラブソング・ベスト5 邦楽・女性ヴォーカル部門
女性ヴォーカル部門、ラヴソングベスト5。選定までに、結構、試行錯誤がありました。その結果は、以下のとおりです。
その前に、一言。邦楽の女性ヴォーカルによるラブソングといっても、実はさまざまなバリエーションがあります。その要素としては、①男女いずれの視点から歌われているか ②男心を歌っているのか女心を歌っているのか ③歌の内容として、恋愛は現在進行形なのか、それとも過去の追慕なのか ④広い意味で、得恋の歌なのか失恋の歌なのか の四つが挙げられます。ほかにもあるのでしょうが、これだけでも、2×2×2×2=16とおりのバリエーションがありえるわけです。そのなかで今回は、女性の視点から女心を歌ったものをピックアップしてみました(③と④の要素は考慮外とした)。そういう歌を歌う場合、歌い手の、情緒的な意味合いにおける個性が避けようもなく発散されることになる点に、私は深い興味を抱いたのです。女性としての内面がさらけ出されることにならざるをえないという意味で、とてもエロティックなのですね。大げさに言えば、このタイプの歌こそが、「おんなうた」の本流なのではないかと思われます。このあたり、異論が噴出するところでもあるのでしょうけれどね。
前口上が長くなりました。では、発表いたします。
倍賞千恵子/忘れな草をあなたに
Wikipediaによれば、当曲は、もともと江口浩司が六人女性によるコーラスグループのヴォーチェ・アンジェリカのために作曲した曲です。1963年八月にキングレコードから発売されました。ヴォーチェ・アンジェリカはこの曲をステージや歌声喫茶で丹念に歌い広め、歌声喫茶でのリクエストナンバーワンを取るなどして、その後、梓みちよ、倍賞千恵子、菅原洋一によってこの曲がヒットする素地をつくったそうです。とはいうものの、当曲は、個人的には賠償千恵子の歌声によって刷り込まれてしまっています。他の声ではダメなのですね。できうることならばみなさまにも、彼女の美しい発声による当曲の澄み切った哀切感に浸りきっていただければと思います。その発声の美しさは、故藤山一郎によっても高く評価されました。
第四位 松尾和子「再会」 (作詞:佐伯孝夫、作曲:吉田正 1960年)
松尾和子・再会・1985年
以前、別のブログにアップしたときは、「後年の、濃厚なエロスたっぷりの歌い方と違って、どこか淡い味わいを感じさせるオリジナル・ドーナツ盤を掲げました」と申し上げたのですが、今回残念なことに、削除されていることが判明しました。で、なるべくオリジナルの淡い味わいを残した歌い方をしているものをアップしました。後年の「濃厚なエロスたっぷりの歌い方」というのは、声があまり出なくなってからの苦肉の策であることが今回分かりました。1985年ころは、まだ美しい響きが聞き取れます。
Wikipediaによれば、彼女は、1959年、「グッド・ナイト/東京ナイト・クラブ」でレコードデビューしました。「グッド~」は和田弘とマヒナスターズ、「東京~」はフランク永井との共唱です。第2弾として発売した「誰よりも君を愛す」(マヒナとの共唱)が大ヒットし、それと共に「グッド~」もつられる形でヒット、「誰よりも~」は第2回レコード大賞を受賞、「東京ナイト~」がその後長らくデュエットソングの定番として根強い人気を博したことは、年配の方ならよくご存知のこと。当曲は、その翌年に初のソロとして発表されたものです。彼女が二五歳のときのことです。ドーナツ盤の表紙に掲げられた彼女は、すでに凄絶なほどのお色気を発散しています。当時の彼女がどれほどの色恋沙汰に巻き込まれたのか詳らかにはしませんが、そういうことがあったとしても(それはこれほどのエロスを発散しているのですからやむを得ないことです)、彼女はあくまでも「一途な女」なのではないでしょうか。そういう心根の女性だからこそ、服役中の男性の出所の日を指折り数えて待つ女の恋心をこのように切々と歌い切ることができたのではないでしょうか。たとえ、私が騙されているとしても、死してなお、聞き手を騙し切ることができるほどの力量は並のものではありません。当曲は、覚醒剤不法所持で服役中の最愛の息子のことを気に病みながら不慮の事故で亡くなってしまった彼女のその後の運命をも暗示している、とさえ言い得るのではないでしょうか。
第三位 辛島美登里「愛すること」 (作詞・作曲 辛島美登里 1995年)
愛すること 辛島美登里
当曲は、若いころ特有の切迫感と焦燥感に満ちた恋心を、その巧みな歌詞と、語尾が細く長く伸びる特徴的な歌声とによって、見事に表現し切った傑作ラヴソングです。当曲の五年前に発表された「サイレント・イヴ」の方が、あるいは人口に膾炙しているのかもしれませんが、私は、こちらを採りました。彼女は、現存する歌い手のなかで屈指の「ラヴソングの名手」と称しても過言ではない気がします。一度、コンサートに足を運んでみたいものです。
後付けになってしまうのですが、これをアップした後、年配の知人が「ほかのは良いって分かるけど、美津島さん、辛島美登里のだけはピンとこなかったな」と率直な感想を述べました。感性の相違と言ってしまえばそれまでなのですが、私はそれがちょっと今でも引っかかっています。自分ではキレイだと思っている女性を、それほどでもないと言われると戸惑いますよね。やや自信がぐらつくと言おうか。それで、あれこれと考えているうちに、昔付き合った女性の気質が、この歌の女性像によく似ていたことに思い当たったのです。心の動きと身体の所在はだれでもいつもちょっとだけずれているものだと思うのですが、その女性は、その程度がふつうの人よりも少しだけはなはだしかったような気がするのです。そのズレを、その女性は、やや過剰な饒舌で埋めようとしていたような気がします。その場合、こちら側からすれば、その過剰な饒舌さに、彼女のこちらに対する真摯な思いを感じ取るという構えにならざるをえなくなります。そういう関係性を受け入れようとすると、相手の思いをしっかりと落ち着いて確認したいという思いを犠牲にする必要が生じてきます。そのことが、ただでさえ不安定な恋愛関係をさらに不安定なものにしてしまいます。そのせいなのでしょう。私は、彼女とつきあっていたとき、たえずわけのわからない焦燥感にかられていました。辛島美登里の、根拠がよく分からない切迫感や焦燥感を感じさせる当曲を聴いていると、そのときのことが如実に思い出されるのですね。あまり意識しなかったのですが、どうやらそういうことのようです。それにつけても、好きな曲ってのは、あくまでも個人的なものである、という側面がどうしても残ってしまうものなのですね。
第二位 ちあきなおみ「部屋」 (作詞・作曲 小椋佳 1989年)
ちあきなおみ 部屋
ちあきなおみ最後のオリジナルアルバム『百花繚乱』(1991年十月二三日発売)のなかの一曲。世間ではあまり知られていない曲のようですが、間違いなく名曲中の名曲です。当曲を虚心にお聞きいただければ、そのことに納得していただけるのではないでしょうか。道ならぬ恋に迷い込んでしまった女の孤独な真情を、ちあきなおみは、野あざみのイメージを導きの糸にして切々と歌います。同じような境遇にある女性がこの曲を聴いたなら、少なからず動揺するのではないかと思われます。それにしても、ちあきなおみの歌は圧倒的です。その歌声が心に深くしみとおるたびに思います、「ちあきなおみは、もう二度と歌わないのだろうか」と。ファルセットを絶対に使わずにあくまでも地声で、人のこころの天国から地獄まで、細やかな哀感から生きることの慄えるような喜びまでを縦横無尽に表現し切ってしまう、あの魔法のような歌声。彼女が歌を歌うとき、歌のなかの登場人物のそれぞれの人生模様が聴き手の心像として鮮やかに浮かび上がってくるのです。彼女が不世出の歌い手であることに異論を唱える人がこの世にいるとは、私には到底信じられないくらいです。ちなみに、この曲を聴くことによって、私は、小椋佳の作詞・作曲能力を見直しました。
第一位 沢田知可子「会いたい」 (作詞:沢ちひろ 作曲:財津和夫 1990年)
わが「ラブソング・ベスト5 邦楽・女性ヴォーカル部門」で第一位の栄冠に輝いたのは、沢田知可子の「会いたい」です。
ひとりの歌い手としてトータルに見れば、沢田知可子はちあきなおみの足元にも及びません。それは、誰の目にも明らかでしょう。しかし、この世には不思議なことが起こる場合があります。ただひとつの曲を歌うためにだけこの世に生を授けられた者が、運命的にその曲を歌った場合、その歌い手は、さまざまなデメリットを乗り越えて、絶対性としか形容しようのないものを付与され、一瞬だけ自分よりはるかに力量が上の歌い手たちを凌駕してしまう、という奇跡的な事態が現出するのです。それが、沢田知可子の「会いたい」であると、私は考えます。最愛の人を不幸にも失った方の多くが、この曲を聴いて、いまもなお人知れず号泣していることを私は疑いえません。それほどの、身を切るような切なさややりきれないほどの淋しさを、彼女は実存をかけて表現しえているのです。しかし、それはあくまでも私の感性に基づいたもの言いです。その適否は、みなさまの虚心の傾聴に委ねます。
会いたい - 沢田知可子
以上、選びましたが、エロスの領域に密接に関わることがらだけに、みなさまに納得していただけるとは、当方まったく考えておりません(´;ω;`)ウゥゥ
女性ヴォーカル部門、ラヴソングベスト5。選定までに、結構、試行錯誤がありました。その結果は、以下のとおりです。
その前に、一言。邦楽の女性ヴォーカルによるラブソングといっても、実はさまざまなバリエーションがあります。その要素としては、①男女いずれの視点から歌われているか ②男心を歌っているのか女心を歌っているのか ③歌の内容として、恋愛は現在進行形なのか、それとも過去の追慕なのか ④広い意味で、得恋の歌なのか失恋の歌なのか の四つが挙げられます。ほかにもあるのでしょうが、これだけでも、2×2×2×2=16とおりのバリエーションがありえるわけです。そのなかで今回は、女性の視点から女心を歌ったものをピックアップしてみました(③と④の要素は考慮外とした)。そういう歌を歌う場合、歌い手の、情緒的な意味合いにおける個性が避けようもなく発散されることになる点に、私は深い興味を抱いたのです。女性としての内面がさらけ出されることにならざるをえないという意味で、とてもエロティックなのですね。大げさに言えば、このタイプの歌こそが、「おんなうた」の本流なのではないかと思われます。このあたり、異論が噴出するところでもあるのでしょうけれどね。
前口上が長くなりました。では、発表いたします。
倍賞千恵子/忘れな草をあなたに
Wikipediaによれば、当曲は、もともと江口浩司が六人女性によるコーラスグループのヴォーチェ・アンジェリカのために作曲した曲です。1963年八月にキングレコードから発売されました。ヴォーチェ・アンジェリカはこの曲をステージや歌声喫茶で丹念に歌い広め、歌声喫茶でのリクエストナンバーワンを取るなどして、その後、梓みちよ、倍賞千恵子、菅原洋一によってこの曲がヒットする素地をつくったそうです。とはいうものの、当曲は、個人的には賠償千恵子の歌声によって刷り込まれてしまっています。他の声ではダメなのですね。できうることならばみなさまにも、彼女の美しい発声による当曲の澄み切った哀切感に浸りきっていただければと思います。その発声の美しさは、故藤山一郎によっても高く評価されました。
第四位 松尾和子「再会」 (作詞:佐伯孝夫、作曲:吉田正 1960年)
松尾和子・再会・1985年
以前、別のブログにアップしたときは、「後年の、濃厚なエロスたっぷりの歌い方と違って、どこか淡い味わいを感じさせるオリジナル・ドーナツ盤を掲げました」と申し上げたのですが、今回残念なことに、削除されていることが判明しました。で、なるべくオリジナルの淡い味わいを残した歌い方をしているものをアップしました。後年の「濃厚なエロスたっぷりの歌い方」というのは、声があまり出なくなってからの苦肉の策であることが今回分かりました。1985年ころは、まだ美しい響きが聞き取れます。
Wikipediaによれば、彼女は、1959年、「グッド・ナイト/東京ナイト・クラブ」でレコードデビューしました。「グッド~」は和田弘とマヒナスターズ、「東京~」はフランク永井との共唱です。第2弾として発売した「誰よりも君を愛す」(マヒナとの共唱)が大ヒットし、それと共に「グッド~」もつられる形でヒット、「誰よりも~」は第2回レコード大賞を受賞、「東京ナイト~」がその後長らくデュエットソングの定番として根強い人気を博したことは、年配の方ならよくご存知のこと。当曲は、その翌年に初のソロとして発表されたものです。彼女が二五歳のときのことです。ドーナツ盤の表紙に掲げられた彼女は、すでに凄絶なほどのお色気を発散しています。当時の彼女がどれほどの色恋沙汰に巻き込まれたのか詳らかにはしませんが、そういうことがあったとしても(それはこれほどのエロスを発散しているのですからやむを得ないことです)、彼女はあくまでも「一途な女」なのではないでしょうか。そういう心根の女性だからこそ、服役中の男性の出所の日を指折り数えて待つ女の恋心をこのように切々と歌い切ることができたのではないでしょうか。たとえ、私が騙されているとしても、死してなお、聞き手を騙し切ることができるほどの力量は並のものではありません。当曲は、覚醒剤不法所持で服役中の最愛の息子のことを気に病みながら不慮の事故で亡くなってしまった彼女のその後の運命をも暗示している、とさえ言い得るのではないでしょうか。
第三位 辛島美登里「愛すること」 (作詞・作曲 辛島美登里 1995年)
愛すること 辛島美登里
当曲は、若いころ特有の切迫感と焦燥感に満ちた恋心を、その巧みな歌詞と、語尾が細く長く伸びる特徴的な歌声とによって、見事に表現し切った傑作ラヴソングです。当曲の五年前に発表された「サイレント・イヴ」の方が、あるいは人口に膾炙しているのかもしれませんが、私は、こちらを採りました。彼女は、現存する歌い手のなかで屈指の「ラヴソングの名手」と称しても過言ではない気がします。一度、コンサートに足を運んでみたいものです。
後付けになってしまうのですが、これをアップした後、年配の知人が「ほかのは良いって分かるけど、美津島さん、辛島美登里のだけはピンとこなかったな」と率直な感想を述べました。感性の相違と言ってしまえばそれまでなのですが、私はそれがちょっと今でも引っかかっています。自分ではキレイだと思っている女性を、それほどでもないと言われると戸惑いますよね。やや自信がぐらつくと言おうか。それで、あれこれと考えているうちに、昔付き合った女性の気質が、この歌の女性像によく似ていたことに思い当たったのです。心の動きと身体の所在はだれでもいつもちょっとだけずれているものだと思うのですが、その女性は、その程度がふつうの人よりも少しだけはなはだしかったような気がするのです。そのズレを、その女性は、やや過剰な饒舌で埋めようとしていたような気がします。その場合、こちら側からすれば、その過剰な饒舌さに、彼女のこちらに対する真摯な思いを感じ取るという構えにならざるをえなくなります。そういう関係性を受け入れようとすると、相手の思いをしっかりと落ち着いて確認したいという思いを犠牲にする必要が生じてきます。そのことが、ただでさえ不安定な恋愛関係をさらに不安定なものにしてしまいます。そのせいなのでしょう。私は、彼女とつきあっていたとき、たえずわけのわからない焦燥感にかられていました。辛島美登里の、根拠がよく分からない切迫感や焦燥感を感じさせる当曲を聴いていると、そのときのことが如実に思い出されるのですね。あまり意識しなかったのですが、どうやらそういうことのようです。それにつけても、好きな曲ってのは、あくまでも個人的なものである、という側面がどうしても残ってしまうものなのですね。
第二位 ちあきなおみ「部屋」 (作詞・作曲 小椋佳 1989年)
ちあきなおみ 部屋
ちあきなおみ最後のオリジナルアルバム『百花繚乱』(1991年十月二三日発売)のなかの一曲。世間ではあまり知られていない曲のようですが、間違いなく名曲中の名曲です。当曲を虚心にお聞きいただければ、そのことに納得していただけるのではないでしょうか。道ならぬ恋に迷い込んでしまった女の孤独な真情を、ちあきなおみは、野あざみのイメージを導きの糸にして切々と歌います。同じような境遇にある女性がこの曲を聴いたなら、少なからず動揺するのではないかと思われます。それにしても、ちあきなおみの歌は圧倒的です。その歌声が心に深くしみとおるたびに思います、「ちあきなおみは、もう二度と歌わないのだろうか」と。ファルセットを絶対に使わずにあくまでも地声で、人のこころの天国から地獄まで、細やかな哀感から生きることの慄えるような喜びまでを縦横無尽に表現し切ってしまう、あの魔法のような歌声。彼女が歌を歌うとき、歌のなかの登場人物のそれぞれの人生模様が聴き手の心像として鮮やかに浮かび上がってくるのです。彼女が不世出の歌い手であることに異論を唱える人がこの世にいるとは、私には到底信じられないくらいです。ちなみに、この曲を聴くことによって、私は、小椋佳の作詞・作曲能力を見直しました。
第一位 沢田知可子「会いたい」 (作詞:沢ちひろ 作曲:財津和夫 1990年)
わが「ラブソング・ベスト5 邦楽・女性ヴォーカル部門」で第一位の栄冠に輝いたのは、沢田知可子の「会いたい」です。
ひとりの歌い手としてトータルに見れば、沢田知可子はちあきなおみの足元にも及びません。それは、誰の目にも明らかでしょう。しかし、この世には不思議なことが起こる場合があります。ただひとつの曲を歌うためにだけこの世に生を授けられた者が、運命的にその曲を歌った場合、その歌い手は、さまざまなデメリットを乗り越えて、絶対性としか形容しようのないものを付与され、一瞬だけ自分よりはるかに力量が上の歌い手たちを凌駕してしまう、という奇跡的な事態が現出するのです。それが、沢田知可子の「会いたい」であると、私は考えます。最愛の人を不幸にも失った方の多くが、この曲を聴いて、いまもなお人知れず号泣していることを私は疑いえません。それほどの、身を切るような切なさややりきれないほどの淋しさを、彼女は実存をかけて表現しえているのです。しかし、それはあくまでも私の感性に基づいたもの言いです。その適否は、みなさまの虚心の傾聴に委ねます。
会いたい - 沢田知可子
以上、選びましたが、エロスの領域に密接に関わることがらだけに、みなさまに納得していただけるとは、当方まったく考えておりません(´;ω;`)ウゥゥ
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