行雲流水の如くに

立民・泉代表の乃木神社初詣について

立憲民主党の泉代表が議員宿舎の近くの乃木神社への初詣について賛否両論で炎上しているようだ。

500万件のアクセスがあったというから、泉代表にとっては結果オーライ。

政治家にとっては「悪名は無名に勝る」も時には必要。

BSフジ プライムニュース

 

泉代表は近くの神社だし軽い気持ちで初詣に行ったのだろう。

ほとんどの日本人がそんな気持ちで初詣に行く。

その神社が何を祀っているかは問わない。

それが日本人のいい加減なところであり融通無碍なところ。

 

私は乃木希典の生き方にはそれなりに敬意を払っている。

日露戦争で第三軍司令官として旅順攻撃を行い、最終的には勝利したが六万人の兵士を死なせた。

その中には息子二人が含まれる。

彼の胸中には勝利の喜びはなく、失った配下への慚愧の念であろう。

皇師百万 強虜を征す、 野戦攻城 屍山を作す。

愧ず我何の顔もて父老に看えん、凱歌今日 幾人か還る。

百万のわが軍はしたたかな敵軍に勝った。しかし野戦攻城で屍は山をなす。

私はどんな顔をして彼らの父や年寄りにあえばよいのだ。凱歌とどろく今日、幾人が還りえたというのか。

 

乃木大将が正面攻撃を繰り返しても旅順の要塞を落とせないのを見て、陸軍上層部で乃木更迭の話が出た。

この時、明治天皇は乃木をかばったという。

この恩寵を心に刻んだのか明治天皇が亡くなった後、婦人ともども殉死した。

国民は乃木大将を悼み軍神として乃木神社に祀ったのだ。

戦争を賛美するためにこの神社が出来たのではない。


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コメント一覧

megii123
べつらさん、おはようございます。
私も乃木大将の漢詩に心を打たれました。
ここに見られる心情は、勝利を誇るのではなく6万人の兵を死なせてしまった悔恨の気持ちです。
明治39年1月14日に東京新橋駅に凱旋するのですが、乃木はじっと首を垂れたままだったと言います。
この後、乃木は辞職を願い出ました。(自刃まで述べたようです)
明治天皇はそれを押しとどめたと言います。
殉死の伏線はすでにあったのでしょう。
「士は己を知る者のために死す」と言うことでしょうか。

乃木の心中に、「戦争を賛美する気持ち」などこれっぽっちもなかったでしょう。
bellavoce3594
乃木大将の漢詩は心を打ちます。追い詰められた乃木将軍は自分の息子を死なせてしまったことを公に言うことはできません。
しかしその苦悩を漢詩で書いたと思われます。
またそういった乃木将軍を徹底的に貶めた作家もいます。
この時代の乃木将軍の嘆きをそのまま受け入れることが心を揺さぶり、「大儀」とされる中での悲劇を感じるのです。
よくある「アタマの硬いホシュ風味」にはわからないことです。よく書いて頂きました。なんだかホッとしました。
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