旧統一教会をめぐるドタバタ騒ぎを見るにつけ、根本的な視点が欠けているように思う。
地に足の着いた信仰心とは何か、ということだ。
先日亡くなった稲盛和夫さんはかって次のように述べていた。(2005年)
日本に宗教離れが起こって非常に久しい。われわれは何とはなしにお寺さんにたまに行くものですから仏教徒だとみんな思っていますけれど、実際には仏教がなにかということは、ほとんど誰もわかっていないと思いますね。
だいたい葬式などで詠まれるお経の意味を大部分の人は理解していない。
かくいう私もほとんどわからない。
だから若いころは手当たり次第に仏教書を読んだものだ。
しかしなんとなく意味が分かり始めたのは古希(70歳)を過ぎたあたりからだろうか。
もっとも日本人は理性とか理屈で物事を理解するよりは、感性でわかろうとする。
伊勢神宮へ行けば清々しい気持ちになるし、京都や奈良のお寺にいけばありがたい気持ちになる。
さらには、お布施をしたり念仏を唱えたりすれば悟りに近づく。
お布施というのは、人さまのために一所懸命奉仕をしなさいと言う意味だ。
だから借金や家屋敷を売ってまで寄付をしろとなどという教えはとんでもない邪教だ。
自民党は全議員に旧統一教会に関するアンケート調査らしきものを送付して回答を求めるという。
しかしこんなもので実態が分かると思っているのだろうか?
一応やったことにして国民が早く忘れることを期待しているのだろう。
政治家という、人をまとめ人を治めていく仕事についた人は、
「天の道を自分は行うんだ」という気概が必要だ。
しかし選挙に落ちればただの人だから票のためには自分の心を売ってしまうのか?
政治家は座禅を組むか四国八十八か所を回ったらどうだろうか。
少しは信仰心に触れることが出来るだろう。