宗教家に必要なのは、
「カリスマ性」(接する人に超人的・神秘的な力を感じさせる)である。
教祖が手をかざしたら病気が治ったとか、教祖の発言で元気になったとか。
「イワシの頭も信心から」というから馬鹿には出来ないが。
宗教家は絶対的な権力を持っていなければ、「カリスマ性」など出せるわけが無い。
戦後の宗教家の中で一番権力を求めたのは創価学会の池田大作だったと言える。
そうでなければ、公表800万世帯(実際は500万位か)などの躍進は遂げられなかっただろう。
宗教家も2代目、3代目になると常識的な発言をするようになる。
成長の家の谷口雅宣総裁は3代目だ。
成長の家は1964年「生政連」を作り右派色の強い政治運動を展開したが、83年に活動を停止した。
谷口雅宣総裁の発言、
政治に近ずくと権力が手に入り、お金も入るようになる。それが「うまみ」に映ったとしても、宗教としては一番まずいことではないか。
政治家は結局、票になるかどうかしか考えない。それで無力感を覚えた。
外部から見て軽々に判断できないが、
宗教家としての在り方から考えれば「成長の家」の方が本道を歩いている気がする。
宗教というのは「魂の救済」を求めるためにある。
あまりに「現世利益」に傾くのは問題が出てくるだろう。