京セラの創業者稲盛和夫さんが老衰のために亡くなった。91歳だった。
稲盛さんが大切にしていたのが「利他のこころ」
こころの中に利己的な自分だけがよければいいという気持ちを抱けば、その抱いたようなことやものが周囲にあらわれるし、逆に、美しい思いやりに満ちたこころ、利他のこころを抱けば、やはり周囲にそういうものがあらわれると思っています。
私は俗界にいて、お釈迦さまの教えを何とか守っていこうとしているのですが、いつも自分に謙虚であれよ、足るを知れよ、としょっちゅう言い聞かせています。おれは大会社の大名誉会長だなんて思ったらとんでもないぞ、と。
(2005年)
稲盛さんは、1997年臨済宗円福寺で在家得度して雲水と共に修業を重ねたから言葉に魂がこもっている。
今のような自民党と旧統一教会との癒着した構図をどんな思いで見つめていただろうか?
私は稲盛さんの謦咳に接したことが2度ほどある。
印象に残っているのは、ある程度の組織を任されたときの研修の講師でお見えになった時だ。
この時は主に西郷南洲翁の言葉を意を尽くして話されていた。
同じ鹿児島の出身だ。
「廟堂に立ちて大政を為すは、天道を行うものなれば、いささかとも私を挟みては済まぬものなり」
一定の組織を任され人をまとめていくということは、天の道を自分は行うんであるから、いささかといえども私事をはさんではいけない。
今の日本の大手企業の経営陣は、「株主資本主義」にからめとられて、何のため、誰のために経営しているのかわからない。
要するに、経営する上での心構えが「自分あるいは自社中心」
「おかげさまで」というまわりへの感謝の気持ちはなさそうだ。
他力というと「他力本願」などという俗論に迷わされるが、
「必死に生きようと努力する人は、こころを澄ませたときに他力が受けられるんでしょうね。だから最初から他力を頼るというのじゃなくてーーー」
稲盛和夫