医療崩壊を引き起こしている大阪を見るにつけ複雑な思いが心をよぎる。
今から50年以上前に社会人としてのスタートは大阪だった。
大阪で、社会人(特に商売の原点を)としての「イロハのイ」をみっちりと叩き込まれた。
当時の大阪は東京との経済規模格差はあまりなく、政治に頼る東京の経済人を馬鹿にしていたところがあった。
だからお笑い芸人の横山ノックを知事に選ぶような「余裕?」があったのだろう。
しかし橋下徹が出てきた2008年ころには、大阪の衰退は目に見えて進み、主要な企業は大挙して東京に本社を移していた。
大阪人は、橋下徹という、政治家ではないが、北野高校、早稲田大学、弁護士のブランド力に賭けたのかもしれない。
もっと端的に言えば「この男だったら大阪を変えてくれるかもしれない」という期待感だったのだろう。
橋下徹は、確かに発信力があり経費削減に大ナタを振るった。
しかし根本的な政治の要諦を把握できていなかった。それは西郷南洲翁が体得した政治(まつりごと)の原点だ。
道は天地自然のものにして、人は之を行うものなれば、天を敬するを目的とす。
天は人も我も同一に愛したもうゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也。
結局橋下は、大阪独自の経済政策を樹立できず、安倍・菅にすがりついてカジノや大阪万博などの政治利権に入れあげることになる。
そしてその代償が、大阪維新の会の第二自民党化(野党でもない与党でもないゆ党の地位に甘んじたのだ)。
今の松井大阪市長はコテコテの自民党的体臭を持っている俗物であろう。
吉村知事は橋下的手法(意図的に炎上する)をまねしているのだろうが、いかんせん事実に向き合う真摯さに欠ける。
だからいくら府民に自粛要請をしても肝心の足元がユルユルだ。
市職員は1000人超が「掟破りの会食」をしていたという。
橋下、松井、吉村の問題点は、安倍・菅と似たような体質だ。
それは事実と向き合わず単なる「口舌の徒」に堕してしまったことだ。