今日の朝日新聞の東大教授阿古智子さんの発言が重たい。
「昨年5月のオンラインセミナーで、国安法の施行におびえながら周さんが語ったことが忘れられません。”私たちは命をかけて戦っています。将来には不安しかありません。来年、私は生きているでしょうか。人権、民主主義、自由を空気のように思っていてよいのでしょうか。なくなると分かるのです。その価値が”と。
日本では立候補も投票も自由なのに、なぜ投票に行かないのかというのが、周さんの疑問でした」
法律用語で「権利の上に眠るものは保護されない」という言葉がある。
あまりにも選挙権を行使しなければ、いつの間にかじりじりと蚕食され、気が付いたら香港のような状況になる可能性が出てくるのだ。
憲法第12条に述べるように、
「この憲法が国民に保証する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」となっている。
安倍・菅政権が憲法第23条で保証している「学問の自由」を、じりじりとねちっこく侵し続けている。
それが「日本学術会議」への人事権の介入だ。
端的に言えば、「自分たちと考え方の違う学者を排除する」という考えが根底にある。
菅政権は、未だに自分たちの誤りを認めていない。黙って口を拭っていれば国民が忘れると思っているのだろうか?
戦前、学問が国家に隷属した結果、批判精神が封じ込められ、あの無謀な戦争に突入した。
その反省の上に立って、「日本学術会議」が作られた。
ーー時の政権に左右されることなく、科学的・客観的な提言を行うためのアカデミーなのだーー
アカデミーとは、学問・芸術に関する指導的な、権威のある団体をいう。
メディアの役割も重要だ。
民放は、民間企業であり。収益の確保という呪縛から逃れることが出来ない。だから自ずから限界がある。
世界最大の公共放送であるNHKは自立すべきなのだが、菅総理や武田総務大臣に私物化されるとした大問題だ。
NHKは国民の「知る権利」という公益に奉仕すべきなのだ。しかし実態はかなり危うい。
国民による監視がどうしても必要だ。
「N党」なるものがもう少しまともな政党であったならと思わざるを得ない。